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桜庭和志 と 田村 潔司
先日のプライドでのサプライズ、桜庭と田村の登場には私も驚きました。 プライドはかなり初期の頃から観ていますが、二人がそれ以前に所属していたUインターのことはよく知りません。この二人のカードを期待しているファンも少なくない(?) らしいのですが、理由がわからないので是非知りたいのですが・・・。 いったい過去に何があったのでしょうか?
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- shousukebe
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・田村の見解(あくまで憶測) 従来のプロレスとは違い競技性を重視したUルールに誇りを持っていた田村が新日プロレスと対抗戦をすることは「U」に対する矛盾であると考えたと思います。 結果、対抗戦に背を向けた。 Uインターは反逆分子である田村に当時インター内では強い事が周知の事実だった若手桜庭を刺客に第一試合からぶつけた。そして去らざるを得ない状況になりました。 一部では田村がギャラの値段を上げるよう迫ったという事も言われていますがアスリートとして報酬制度も見直していきたいという思いがあってのことです。言い難い事を言わなければならない中間管理職の立場に似ています。 ・桜庭の見解(あくまで憶測) 会社が傾きかけてる状況下で一致団結して誇りまで捨てて新日との対抗戦に向かわなければならない場面で「やらない」と主張する田村は単なるわがままな先輩でしかなかった。 金の事もがめつく見えたはずです。 結局、二人ともUインターと言う団体を愛していたことに間違いはないのですがお互いの立場・スタンス・こだわりが交錯しての背景があります。 田村はリングスでサクはプライドで頂点に君臨した故に夢の対決となったのです。
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当時、 トップ選手だった田村が、 新人の桜庭を相手に『第1試合』で試合をする 『屈辱』分かりますか?? 比喩すると、 会社の部長クラスの人間が、 『お茶汲み』や『コピー取り』してる事と同じ意味ですからネ。
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起源は、長州から・・・。 Uインターvs新日の対抗戦から始まり、 田村と宮戸は、この対抗戦を拒否し、 (補足:宮戸は、即Uインターを離脱) 田村は、ぺナルティーとして、 Uインター興行での第1試合にしか出して貰えなくなった・・・。 (補足:当時、田村はメインイベンタークラスの選手) 第1試合(前座同様)で、桜庭(当時若手)としか、試合を組まれなかった・・・。 毎回、毎回、第1試合で、桜庭としか試合させて貰わなかった田村 もちろん、勝敗は:田村の全勝 この頃、 ゴールデンカップス(安生&高山&山本←桜庭の後輩)全盛期 で、 正式試合ルールを『UWFスタイル』から『プロレス-スタイル』に変更 のち、 田村Uインター離脱 のち、 リングス参戦 のち、 Uインター経営難で、破綻・・・。 (備考:田村Uインターのジャケットを着て、リングスのトーナメント出場!) のち、 キングダム設立 のち、 キングダム経営難で、即!破綻・・・。 のち、 高田道場-設立~ 現在に至る 田村と桜庭は『師弟関係』or『兄弟関係』に当たる存在だと思います。 頑固者の田村潔司が、桜庭戦を拒む気持ちも分かりますが・・・。 まあ、 自分なりの『勝手な解釈』なので、文句は言わないで下さいネ(*^o^*!
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Uインターvs新日/戦:拒否→ UWFインターナシュナル:第1試合= 毎回、田村vs桜庭での、前座試合 赤いパンツの頑固者:田村潔司 話せば長くなる話なので、 検索すればヒットしますので、検索して下さい。 質問のタイトルは、 『田村潔司 と、桜庭和志』にした方が、良いと思います。 田村の方が先輩ですので・・・。