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「はじめての、おそうしき」、憶えていますか?
明日、昨年亡くなった伯母の一周忌の法事があり、故郷に帰ります。 90歳での大往生でしたが、さすがに私も歳を取ってきて、お葬式に出る回数が増えてきたなあ、と実感するようになりました。 振り返ってみると、私が「はじめての、おそうしき」に出たのは、小学校1年生の時、母親のお葬式でした。 まあ、自分の母親のことでもあり、今でも鮮明に記憶に残っています。 皆さんはいかがでしょうか。「はじめての、おそうしき」は、憶えているものなんでしょうか。 教えて下さい。
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4月から高校2年になる女です。 保育園年中か年長のときに、母の祖母(私の曾祖母)のおそうしきだったと思います。 ですが、私は生まれたばかりのときに抱っこされたことがある程度らしく、顔がわかりませんでしたので大きな声で“誰?”と言ってしまい、頭を軽くはたかれたのを覚えています…。ですが、あまりにも場の空気が違うのがわかり、母にくっついて大人しくしていました。 一番心に残っているおそうしきは、中2の時の母の母(私の祖母)のおそうしきです。厳しいというか、ものの言い方がキツク、イケメンが好きな祖母でした。私は祖母のことがとってもとってもとっても大好きでした。 おそうしきに出ても、これが祖母のおそうしきだと思えなかったです。人が死ぬということを初めて目の当たりにしましたが、特に大好きな祖母ということもあり、悲しみが大きすぎて涙が出ませんでした。ぼーっと立っているだけ。何かしゃべったら爆発しそうで、しゃべりもせずに…。 このおそうしきは一生忘れられないと思ったのですが、今すでに記憶が薄れ掛けています。私にも厳しく注意したり叱ったりする祖母が、今は私のことを見守ってくれる側になったのかな、と勝手に思っています。いつも何かあると祖母の写真に向かって報告しますよ^^ はじめてのおそうしきより、一番思い出深いおそうしきがメインの回答ですみません^^; 私が今までに出たおそうしきはこの2つです。これから増えていくのは今からあまりいい気分ではないですね…。
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- mcbride923
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中3の時、母方の祖父が初めてでした。 北海道への修学旅行から帰ったら、自宅に親類がわんさか訪れてて、 何事かと思ったら・・・・その頃、元々容態が微妙だった祖父がなくなってました。修学旅行の楽しい余韻も何処へやら、急転直下、大泣きしてしまいました。 その後の火葬や葬儀の日程も、修学旅行の代休とかと上手い具合に?重なり、学校は一日も忌引きは撮らなかったこと、骨になってしまった祖父を見て、初めて目の当たりにする「死」と言うものを強く実感したことが、今、22年経ってもすごく覚えています。
お礼
中3で「はじめての、おそうしき」というのは、かなり遅い方ですよね。 それだけに、ショックが大きかったかもしれませんね。 子どもの頃には何となく気味が悪いと感じていたお骨も、大人になってくると「死」そのものと感じてきます。 でも、さらに年を取ってくると、残念ながら鈍感になってきてしまいます(汗)。 ありがとうございました!
- kao77
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微妙に覚えていますが、6歳のときの伯母さん(父の姉)の葬式が初だったと思います。遠くに住んでいて、父との年の差がだいぶ上(当時50歳を過ぎたくらい)だったのであまり接点はなかったのですが、お経を一緒に上げて、しばらく頭から離れなくなったのと、ろうそくを手で消しているのを見て、その後幼稚園のクリスマスでキャンドルサービスがあったときに、みんなは火を口で消していますが(大概は口で消しますもんね)、私はおばさんの仏参りの影響か手で消すことが正しいと思い、幼稚園のクリスマスでも手でろうそくを消していたことを覚えています。 さらに、伯母さんの墓だけは私の家の近くにあったので、毎日のように墓に参りに行って、食べ物を供えると次の日にはなくなっていたので、そのときは純粋に伯母さんが食べたんだと信じ込んでいました。
お礼
普段あまり行き来する機会がない親戚は、結構いますよね。大人になると、遠くにいる人との接点はどんどん減ってくるような気もします。 お坊さんのやることは、子どもにとっては新鮮と言うか、不思議に感じることがたくあんありますね。 それにしても、クリスマスのろうそくを手で消すというのは、なかなか出ない発想です(笑)。 ありがとうございました!
- satoshilove2
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父の父(祖父)がなくなったのが小学生だったはずなのですが、記憶になく母の父の時は中2でよく憶えています。 一緒に住んでいたこともあったのですが、可愛がってもらっていたので(姉いわく「私に比べる明らかに違っていた」そうです)とても悲しかったのです。 が、葬儀の日と「蛙の解剖」の授業がかぶってしまったことが、なぜかいまだに心残りの生物好きオバちゃんでした。
お礼
お葬式も、記憶からはずれてしまうことがありますよね。私も、もしかしたら母親の葬式以前に出ていたことがあるかもしれません。 中学になると、やはりはっきりと記憶に残っているでしょうね。特に可愛がってもらったお祖父さんであれば、なお更でしょう。 しかし、「「蛙の解剖」の授業がかぶってしまったことが頭に残っているとは、不思議なものですね~ ありがとうございました!
- tips
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こんにちは。 覚えています。というより、自分がお葬式に出たのは、 その時がちゃんと出席した最初で最後の式なので、印象にあります。 ※自分は、葬式には出ないことにしているので 申し訳ないんですが、近しい人の時でもいけないです。 結婚式も、出ない(出たくない)ので、出ませんが やっぱり角が立つので出席したいのですが、 葬式や葬儀に対する考え方が他の人と違うので 葬式の式場で、故人に対するおくやみ、以外の話題をされると とても腹が立ち、その非常識な人の笑い顔や卑しい顔が 同じ場にいてかなり苦しいので、出たくても出れないのです。 最初で最後のお葬式。 小学生のとき、近所の年下のともだちが突然亡くなりました。 お葬式そのものの記憶よりも、その子の家にいって 目を閉じて寝ているようにみえるのに、 もう生きていないんだということに、 ショックを受けました。 修学旅行や卒業式や期末テストや成人式など 節目のときに、○○ちゃんの分までがんばるから、 と、その子に伝える(その子を思い出す)時があります。 永遠に、その年齢のまま、記憶の中にいるともだちは、 不思議な気がします。 みんないつか死んでしまうのだけど、なるべく 生きている時間を大切にしたいとおもいます。 質問者様のお母様のお話は、昨年に、ここのカテゴリーの 他の回答者へのお礼の文中で知ってから、 時々、気になっていました。
お礼
葬儀については、私も他の人とは考え方にかなりの隔たりを感じますよ。とにかく、宗教や儀式については、全く否定的ですから・・・ でも、ご回答者のように出席すると苦しくなると言うほどではないし、最近は年を取ってそれなりの立場にもあるし、一応の対応はしていますね。 もっとも、しているのは表面だけで、今回の法事でもそうでしたが、頭の中では式のことは何も考えていませんね。 子どもの頃に友達の死に直面するのは、あまりないことでしょうね。 私は、小学校低学年の頃、近所の子が列車にはねられて亡くなってしまったことがあるんですが、葬儀に出た記憶が残っていないですね。 自分の母親の死は、実は今でも心に引きずっていますね。 何故死んだのか、今回の法事の伯母に聞きたかったんですが、なかなか聞きそびれているうちに、亡くなってしまいました。 年を取ってから考えてみると、すごいトラウマになっていますね。自分が人を心底から愛せない性格だと言う自覚があるんですが、もしかしたらこのあたりに要因がるのかも、と思ったりします。 まあ、死ぬまでには真実が知りたいとは思っているんですけど、多分無理でしょうね。 ※先日、俳優の保坂尚輝さんがご両親の死のことについて話されていましたが、彼の場合は二親のことなのですから、私の倍以上も苦しんでいたんだろうな、と思いましたね。 偶然と言うか、彼の出身中学は、私の中学に隣接している学校なんです。 余計な話が長くなりましたが、ありがとうございました!
私も初めてのお葬式は、母のお葬式でした。 9歳でしたが、あまり記憶にありません。闘病生活が長かったからか、母の記憶も今となっては鮮明ではありません。 私は今年30になります。 母の面影も記憶にありません。父が間もなく再婚したので継母の記憶に塗り代わった感じでしょうか・・・ ただ9歳当時、全く泣けなくて、泣きじゃくる従兄弟たちを冷静に見ていたことをかすかに思い出します。どんな心境だったんでしょうね、自分は・・・なんだか悲しくなってきました・・・
お礼
9歳というのも、なかなか微妙な時期だと思いますよ。世の流れに付いて行きはじめる頃ですし、一方ではもちろん子どもの心も残っているし・・・ 私の場合は、父親が再婚せず、叔母が母親代わりに育ててくれたんですが、9歳の頃には父親に付き合う相手が出来ていて、夜遅く電話があったりして、正直嫌な思い出が残っています。 ご回答者のように、早くに再婚して記憶が塗り変わってくれたほうがよかったと思うこともありますよ。 ありがとうございました!
- mogu-chan
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母方の祖母が亡くなったとき、私は五歳でしたけど、よく覚えています。 ちょうどおたふく風邪をもらってしまい、 いとこたちからも隔離されて、離れで休んでいたのですが、 一人で寝ているのが恐ろしく(広くて古い家だったので)、 大人しくしているからと、母親によりかかって葬儀に参加。 他の子どもたちは別室でトランプに興じていたので、 たった一人最初から最後まで静かに正座していた私は、 よその人には随分褒められました。 動くのも口を開くのも辛いほど高熱だっただけなのですが、 母親が一応着替えさせて数珠を持たせてくれていたので、 見た目にはちゃんとしていたんです。 葬儀が済んで、夕方空を見上げていると、 伯母が「どうしたの?」と声をかけてきたので、 「きっとあの大きくてきれいなのがおばあちゃんの星ね!」 と言って、伯母を泣かせてしまいました。 どこかで中の人が入れ替わったのか?というくらい、 子どもの頃の私は良い子だったようです・・・。
お礼
5歳という年齢での「はじめての、おそうしき」は、結構多そうですね。 その年齢で、葬儀の間中静かに正座をしていたのであれば、それは感心されるでしょうね。たとえ熱があったとしても、たいしたものですよ。 「きっとあの大きくてきれいなのがおばあちゃんの星ね!」などと、大人を泣かせるセリフを言えるのも、むべなるかな・・・(笑) ありがとうございました!
- ウラ漁師(@uraryoushi)
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どうも、ボウズの孫です。 坊主の孫なんかやってると、嫌でも“人の死”は当たり前に見てしまうんです。そこで感じるのが“どんな偉そうに威張っている大臣やシャチョーでも、死んでしまえばただのガイコツ”と…世の無常ともロックンロール魂とも取れるチャンプな考えですね。 能書きはともかくはじめての葬式は5歳の時、母方の祖母の死で、亡骸を見た時には何故返事をしないのか不思議でなりませんでした。そして骨になっても魂だけは往き続ける、だからおまえ(私の事)は魂を磨いていかないといけないんだ、と母方の伯父に言われた言葉が鮮明に残っています。 祖母を焼いている時大騒ぎする大人達が理解できませんでしたが、 「死んだ人が残されたものに未練を残さないために騒いで見せてあげるんだよ。だからここで泣いていたらいつまでもおばあちゃんは黄泉の世界に行けずにこの世をさ迷っちゃうんだよ。」 と若い坊さんに言われ、妙に納得した事も覚えています。 死んだ人は語らずしていろいろなことを教えてくれるんだなぁ…と年を重ねれば重ねるほど実感します。父が死んだ時も5歳(当時)の甥に同じ事を話して聞かせ、輪廻転生を感じました。こうやって死んだ人は往き続けるんだ、と。しかーし、法事の際にただ呑んで食って大騒ぎする親父の弟達ときたら…魂を磨くには年を取り過ぎてやがる。この前一列に正座させて 「罰当たりが!恥を知れ!」 と説教してしまった事は言うまでもない。
お礼
知人にお坊さんの家の人は、いませんでしたね~ 確かに毎日のように「人の死」に対峙していると、ちょっと感覚が違ってくるんでしょうね。 5歳だと、人が死んだということがまだ理解できないんですね。そのあたりが意識の境目の時期かもしれませんね。 でも、若いお坊さん、子どもにうまく説明してくれて、なかなかの人ですね。 まあ、いろいろな考え方がありますから、叔父さんたちのような人も多いかもしれません。今回の法事ではいませんでしたけど・・・(笑) ありがとうございました!
- 0sOu0
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小学1年の時でした。(今は高校3年) 幼かったので別にそれほどショックではなかったのですが、すごく鮮明に。 祖母が亡くなったと学校に電話が来たときから(というか入院していたころから?)覚えています。 一番印象的なのは、「焼かれた後の骨」ですね。 これは当時かなりショックでしたよ。 粉々になった物を何故、箸でつまんで箱に入れるのか分かりませんでした。(今も分からないけど。笑) まぁ、それからも何度かお葬式があったんですが、一番鮮明なのはそのときですね。
お礼
小学校1年生というのは、私と同じですね。 その年になると、かなりのことが分かり始めているので、かえってショックになりますね。 ただ、私は「焼かれた後の骨」については記憶がないんです。それ以降のお葬式の場合は、憶えているんですけど・・・ まあ、いまだにあの儀式は好きになれませんけどね~ ありがとうございました!
- chibiari
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こんばんは 私の初めてのお葬式体験もNo.1さんと同じく母方の祖母の母親でした。 小さい頃よく遊んでもらったり散歩したりした記憶がありました。 でも当時小学校低学年の私達姉弟は、初めてのお葬式…周りは黒服の人たちがいて、重苦しい雰囲気にドキドキしていましたが、涙は出ませんでした。 今考えても、お葬式自体を全く理解していなかったのだと思います。 それよりも初めて見る光景に圧倒されていたのだと思います。 そんな私達を親戚の一人の女性の方が私たちをキッと睨み付け「冷たい子達だよ!涙も無いのかい?」と言ったのを今でも覚えています(その方は今はすっかり忘れていますが)。 たぶん…子供なので言っても解らないと思ったのでしょうが、私には凄くショックな出来事でした。 これが私の「初めてのお葬式」体験です。
お礼
全員が黒い服で厳粛に執り行われる儀式ですから、物事が分かり始めた年代の子どもには、あまり経験ない雰囲気でしょうからね。 親戚の方の発言も、子どもと言うのは意外と憶えているもので、私もニコニコしていた弟を「可哀そうに、まだ分からないんだねえ」と誰かが言っていたのが、今でも頭に残っています。 まあ、こちらはご回答者の場合と違って、ショックな言葉というわけではないんですけど・・・ ありがとうございました!
- tanupons
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こんばんは。 覚えてますね。確か、同居の祖母のお葬式が最初です。3歳の時です。 従姉妹が来てくれたのがうれしくて、葬式の準備でおおわらわな家の中を走り回って大はしゃぎし、がっつり怒られた記憶があります。 その後、お坊さんがやってくると、邪魔だといって子供たちは2階に追いやられましたが、やっぱり大声で笑ったり遊んだりしていたので、母親が血相を変えて「うるさいって言ってるでしょ!!」と怒鳴り込んできたりしましたね。 ・・・こんなんでも「はじめての、お葬式」の記憶になるのかな・・・?
お礼
まあ、大はしゃぎされたお母さんは、たまったものではないでしょうけど、子どもにとっては、お葬式といっても、普段会えないいとこ達も来てくれることが、嬉しいものですからね。 でも、小学生あたりになってくると、騒いではいけないものなんだという雰囲気を、実感するようになりますね。 ありがとうございました!
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お礼
お葬式で”誰?”は、きついですね~ でも、私は仕事でお偉いさんの代理で参列することが多いのですが、本当にそう言いたくなります(笑)。 大好きなお祖母さんのお葬式、悲しみの大きさがよく分かります。 あまりにも悲しすぎると、思考が停止してしまうものかもしれませんね。 ありがとうございました!