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環境問題の基本
環境問題はそれだけでは完結できず、また個人のつつましい努力ではすまず、必ず政治、経済の根本的な変化を要求すると思います。 つまり、際限なく経済発展を求めることを止め、むしろ縮小して行くことです。それでもわれわれは十分に物質的には豊かな生活を享受できる段階にすでにあると思います。 むしろこれからは「精神的に豊かになる」ことこそ重要と思います。これまで物質的に発展した一方、「文化」は生まれていません。精神・モラルは疲弊し、社会の荒廃の兆しがあちこちにみられます。 「社会全体の生き方の転換」が必要とおもいます。 みなさんはどうお考えでしょうか。どのようにして実現できるとお考えでしょうか。
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- aoiumi_siroikaze
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おっしゃる通りだと思います。 しかし、私は現在の技術利用する便利さは手放したくありません。 例えば今の生活から車や電車、テレビやエアコン、洗濯機、食器洗い機や照明などはなくしたくありません。 社会の荒廃はこういう技術の問題ではなく 金持ちが更なる金を稼ぐためのモラルハザードに問題があると考えています。 そのために正しくがんばる者の大半は損をする構造になっていると思います。 お金持ちは善悪の問題よりお金のいうことをよく聞く人が好きなのです。 しかし、経済発展と豊かな生活は切り離せないと思います。 源になるのはエネルギーです。 今は石油ということになるのですが エネルギーがあれば安くて人の何倍もの仕事ができるので経済活動は人口以上に大きなものになるはずです。 そうなれば国としては止めたくはないはずです。 温暖化問題でよく言われる二酸化炭素は石油からエネルギーを取り出すときにでるのですが かといって太陽光発電や風力発電、水力発電など環境負荷が軽いと思っていても結局は太陽のエネルギーを利用しています。 太陽のエネルギーは地球表面の空気や水の循環に深くかかわっているのでそれを人が大量に横取りすれば結局のところは気候変動などの問題は付きまとってきます。 というと地球自身が持つエネルギーを使うしかありません。 となると便利で簡単に使える石油になってしまいます。 温室効果ガスの問題だけを考えると 温室効果の問題が一番少ないのは原子力です。 根本的には廃熱の問題だけだと思います。 火山などの地熱も原子力エネルギーですが 利用のし過ぎで冷却しすぎると地球がどうなることか怖いです。 核分裂エネルギーは放射性物質の問題が付きまとうし もし可能なら早く核融合技術が進展することを祈ります。 核融合なら放射性物質もほとんどでないし 資源は水素なので大量にあります。 連鎖反応もないのでチェルノブイリのような事故はわざと起こさない限りおきません。 いいこと尽くめですがそうとう難しい技術のようです。 今の世界人口を支えるにはたとえエネルギーを使わない生活をしても 農業や家畜でかなりの環境負荷がかかっているはずです。 牛の数だけを取ってみても人と同じくらいいるはずです。 その牛が大量のゲップでメタンガスを放出します。 メタンガスは二酸化炭素の21倍の温室効果があります。 1日、数リットルのメタンを50億匹の牛が出していると考えるだけでもすごい量です。 野菜類でもとてつもない面積で太陽のエネルギーを吸収しています。 つまり、人間は繁殖しすぎた。 といえるのではないでしょうか。 大繁殖した生物は食糧の問題からいずれ激減すると思います。 人間の場合戦争などの複雑な問題も増加するはずです。 生き残るには実体験で農業や漁を勉強する必要がありそうです 生きる基は食であり金ではない わかっていても 何ヶ月もかけて育てた野菜や苦労して育てた肉をを数百円で買える世の中の便利さになまけてしまいます。
- kimoto0611
- ベストアンサー率20% (1/5)
#1です。 他国のことは他国に任せて・・・・・ まずこんな考え方自体が間違っています。 地球はひとつです。 国は違えど同じ星で暮らしている隣人同士です。 自分ひとりが規則を守っていても、お隣さんがルールを全く守らないのなら意味はありません。 ですから実現は不可能です。
補足
他国のことは他国に云々は質問の主旨ではありませんが、 たとえば日本は京都会議で決まったた温暖化ガスの排出削減目標を守れそうにもないようですね。 http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=7603) これはほんの一例で、問題はまず我々自身にあるということです。 ここではせっかく環境意識の高い方々が回答下さっていると思うので、「不可能」という断定ではなく、どうしたら「可能」か、というお考えをお聞きしたかったのです。
- DieMeute
- ベストアンサー率70% (571/807)
NO.2です。 現在、多くの人々が環境問題に関心をはらい、力を入れています。大は地球温暖化防止会議、小では町内会のゴミの分別などです。 しかし、その地球温暖化防止会議も各国が自国の都合を主張して、最初の目論見より満足のいく条約とは言い難いものになっている事も事実です。アラスカでは油田開発の為に貴重な自然が破壊されました。日本では産廃業者の不法投棄や、医療廃棄物の海や山での不法投棄のニュースをよく目にします。企業だけではありません。人通りの少ない道端、畑脇、山林への一般市民による粗大ゴミの投棄も、深刻化しワイドショーで取り上げられるほどです。遂には逮捕者まで出てニュースになりました。町内会のゴミの分別でも、なかなか守らず争いが起きている所も少なくありません。 これが現実です。確かに人には理性があります。しかし、理性的に行動できる人ばかりでもないのです。国家、企業、または自分の都合や利益を優先して行動する人達がいる事を忘れてはなりません。人を信じる事は素晴らしい事です。しかし、それだけでは足りません。きちんと環境を守るシステムを作り、それを守らせる事が必要です。法を作ってさえ守らない人が沢山いるのが現状なのです。 中国の儒者、王陽明は「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」と語っています。欲望に負けず、理性的に振舞う。正しい事を行う、という事は、古来より連綿と続く難しい課題なのです。 全ての人々が正しい行動をとれるようにする事が肝要でしょう。
補足
きちんとしたシステムを作り守らせることが大切、というのは全く同感です。
- cat-food
- ベストアンサー率61% (124/201)
精神的に豊かになるべきだという主張には賛成します。しかし。「文化は生まれていません、精神・モラルは疲弊し、社会の荒廃の兆しがあちこちで見られます」という主張には同意できません。 人類は農業を起こして、飢えから開放されました。工業を起こして豊かな物質社会を築きました。しかし、農業によって支配する者と支配される者の関係ができ、工業によって資源争奪戦争や環境問題がおきました。このように経済の発展に伴ってよいこともあり、悪いこともあるのです。質問者は経済発展の悪い面だけを見ていませんか。 経済発展によって文化は生まれていませんと質問者は主張していますが、これはまったく逆です。文化は経済発展によって生まれてきました。クロマニヨン人やネアンデルタール人に文化とよべるものはあったでしょうか。ルネッサンスは貿易によって富を得たメディチ家の保護によって起こり、ワーグナーはフリードリッヒ二世という金持ちの王様のために作曲しました。アールヌーボーのガラス工芸や建築芸術は近代工業技術によって可能になりました。 経済発展をやめただけでは環境問題は今のままです。経済を後戻りさせアーミッシュのような生活にもどらなければ環境問題は解決しません。しかし、これによって近代的な文化も消滅します(アールヌーボーもワーグナーもなしです)。 豊かな生活を維持しながら、文化を育み、精神的に豊かになるのにはどうすればいいかというのが、質問者の命題です。この問題を解決するために、私はもっと経済を発展させるべきだと考えます。質問者はこの考えに同意しかねると思いますが、それは経済発展が工業化だけだと考えているからです。 日本やアメリカは今、脱工業化に向かっています。なぜ脱工業化なのか。それは質問者と同じことをみんなが考えているからです。つまり、「われわれは十分に物質的には豊かな生活を享受できる段階にすでにある。だから次には精神的に豊かになりたい。」と。経済が発展することによって我々は、工業社会の次の段階に向かいつつあります。それは精神的な豊かさを享受する段階だと思います。たとえば食品でいえば、工業社会ではとにかく量が多くて、安くて、栄養満点で、おいしければいいのです。脱工業化社会では、そうではなく安全性や健康によいかが問題とされます。そのためには少しくらい値段か高くでも売れます。(そういう社会にすでになりつつあることを質問者もお気づきでしょう)エネルギーについてもそうです。工業社会では安くて、便利で、たくさん使えればよかったのです。脱工業化社会では環境にやさしいエネルギー源が、値段が少し高くても好まれるような時代になります。 環境問題という経済発展のダークサイドだけを見て、経済発展をやめるべきだというのは乱暴だと思います。むしろ脱工業化を目指した経済発展を目指すべきだと私は思います。
補足
「脱工業化」を環境問題との関連で語られるのは初めて耳にする感じがいたします。 私が初めてこの言葉を聞いたのはサービス産業が大きな割合を占め始めたころ、そしてIT産業が興隆し始めたころでした。その時は環境問題との関連で言われたのではなかったように記憶しています。似た言葉に「知価社会」とか「情報化社会」とか「第3の波」とかありますが、これらも環境問題との関連で言われたのではなく、むしろ逆に「経済発展を助ける新分野」としてしか見られていなかったようにおもいます。 脱工業化は大きな流れですから、環境問題がその必須の背景として広く意識され、環境問題が良い方向に向かうことを期待します。 私はアーミッシュの生活を望む訳ではありませんが、脱工業化や人口減少でGDPをある程度下がったレベルで安定させ、その「定常状態」で十分やって行けるのではないかとおもいます。
- DieMeute
- ベストアンサー率70% (571/807)
ここまで物質文明が拡大してしまえば、もはや転換は難しいでしょう。物質文明がここまで発展したのは人のあくなき欲望の追求によるものです。人の欲には限りがありません。人が欲望を捨てられたなら、可能かもしれませんが、欲望には生きる力であるという側面もあります。 もし、すべての人の欲望を「精神的に豊かになる」という事に向ける事ができれば、可能かもしれませんが、それは今持っている個人の種々の権利、利益を制限してしまう事になるでしょう。それを望まない人が出るのは避けられません。 しかし、国家規模では難しくても、小さなコミュニティなら可能だと思います。思想を同じくする人を集め、社会の片隅で理想を実現する事は可能でしょう。現にアメリカの宗教団体アーミッシュの人達は信仰を宗とし、車も電気も使わず、馬車を使い昔ながらの生活をし、規律正しく心豊かに暮らしています。 人のできる事には限りがあります。環境問題も自分の両腕の届く範囲でベストを尽くせば、それでいいのではないでしょうか。
補足
人間の欲望追求ははたして制御できないものでしょうか? 人間は理性ある動物です。単に微視的な欲望追求の果てはどうなるか、みんなうすらうすら分かっているはずです。レミングの集団自殺を避けるだけの集団的知恵を私は信じたいと思います。いかがでしょう?
- kimoto0611
- ベストアンサー率20% (1/5)
夢物語はきれいですが全世界が同じような生活をしているわけではありません。 貧しい国ではどんなことをしてもお金がほしいでしょうし、そこには環境問題をはさめるほど豊かな暮らしはありません。 必死に生きていくことで環境を破壊していてもそれに気付くには時間がかかります。 日本でも公害問題が実際に被害者が出てから社会問題になるまでにかなりの年月がかかっています。 先進国といわれている国で工業製品を全て廃棄して貧しい発展途上国のような暮らしができるなら実現できるのではないでしょうか。 具体的に言うと家中にある電化製品をリサイクルに出し農作業をし、自給自足の生活を送り車や自転車すらも乗らずお金に頼らない暮らしをすることです。 だから絶対に実現不可能です。 日本一国が一斉にやっても全世界で一斉にやらないと意味がないですから実現できません。
補足
発展途上国のことは発展途上国に、他国のことは他国にとりあえずお任せするとして、まず我々は日本のことから始めれば良いとおもいます。 経済成長を抑止する、むしろ縮小に向かわせる、といっても江戸時代の生活を私が想定している訳ではありません。このグラフをみてください。www.jema-net.or.jp/Japanese/denki/2006/de-0603/p17-25.pdf 80年ころ日本のGDPはいまの1/5でした。それでも当時「貧しい生活」を感じたひとはいなかったでしょう。いまは社会経済の構成・質が変化しエネルギーをそれほど使わないITが中心です。現在の我々の豊かさの多くはそこにあります。いまの豊かさを維持しつつ、全体のエネルギー消費=経済規模を縮小することはできるはずです。さらに人口減少という追い風もあります。
補足
エネルギー源の限界を言っておられます。 一方経済発展と豊かな生活の維持も望んでおられます。 これは両立できるでしょうか? さらに食料問題の限界と人口の激減に迫られる将来も言っておられます。 その時「豊かな社会」は維持できるでしょうか? 一方世界人口は今後数十年激増する見込みです。なんらかの「破局」なしではそこに到達できないと思いますが、どうでしょう? ちなみに、東京ではすでに食料問題の中でも最重要な「水の枯渇」が生じようとしています。飲用に適する水は水道からでてきません。3リットルのタンクを持って毎日買いに行っています。