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八木アンテナおよび八木秀次さんが日本で有名になったのはいつごろからですか
「八木アンテナ」および、その主要な発明者の「八木秀次」さんが日本で有名になったのは、いつごろからでしょうか。 日本で「八木アンテナ」が知られたのは、第2次世界大戦中(1942年)に、イギリス軍のニューマン伍長に知らされてからだと思いますが、ニューマン伍長に知らされてすぐに日本中で「八木アンテナ」が有名になったのでしょうか? それとも、日本でテレビ放送が始まった時に「八木アンテナ」が有名になったのでしょうか?
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1926年には特許取得していたのに、1942年に英軍の技術書を見るまで知られてなかったんですよね。 日本では全く注目されてなかったアンテナですが、欧米では注目され研究されていたという。 戦時中の最先端技術ですから、軍に知れたからと言って日本国内で有名になったとは思えません。 ですから、テレビが普及し始めてから有名になったのではないかと思います。 因みに、八木氏ついては http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E7%A7%80%E6%AC%A1 いろいろと要職についているようですから、それなりの知名度があったのではないでしょうか?
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- hedland
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八木アンテナといえば、ビームアンテナです。四方八方へ飛び散る電波をある一方だけに収束させる、ちょうど虫眼鏡で太陽光線を黒紙に焦点を集めると燃え出すように、ビームを鋭くすれば、強力な利得が得られます。戦前までは、主に軍事利用が多いと思います。(戦前電波利用は軍事利用がほとんど)初期型Aスコープレーダーは八木アンテナ(多段スタック)を使っています。戦争映画などでよく見かけます。 戦後TVの普及で民生品として知られるようになりました。ただ 正確には八木宇田アンテナで共同研究でした。八木博士だけが有名になり宇田さんが気の毒です。
お礼
ご回答をして頂き、大変ありがとうございます。 戦前はテレビ放送は無いし、ラジオでは八木アンテナは使わなかったでしょうね。 大変参考になりました。
- 風車の 弥七(@t87300)
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たしか戦後に有名になったみたいですよ。 ドイツ軍のリヒテンシュタインレーダーも八木アンテナです。 海外では戦前からかなり有名だった見たいです。
お礼
ご回答を素早くしていただき、大変ありがとうございました。 ドイツ軍も八木アンテナを使っていたのですか。 大変参考になりました。
お礼
素早くご回答をしていただき、大変ありがとうございます。 やはり、テレビのアンテナとして普及したことで人々に知られることになったのでしょうか。 八木秀次さんが「日本アマチュア無線連盟会長」だったとは知りませんでした。 大変参考になりました。