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嶋台茶碗について
お正月に使用する嶋台茶碗の由来について詳しく記されている本を探しています。ネットのサイトでもいいのですが・・できるだけ詳しく載っているものがありましたら教えてください。
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http://72.14.235.104/search?q=cache:b7rcrA1rKc8J:plaza.rakuten.co.jp/chikufuuann/diary/200601090001/+%E9%87%8D%E3%81%AD%E8%8C%B6%E7%A2%97+%E9%87%91%E9%8A%80&hl=ja&ct=clnk&cd=19 http://72.14.235.104/search?q=cache:4X3WgMq-7fQJ:www17.ocn.ne.jp/~verdure/yogo/yogo_ti.html+%E5%B3%B6%E5%8F%B0%E3%80%80%E8%A1%A8%E5%8D%83%E5%AE%B6&hl=ja&ct=clnk&cd=10 http://72.14.235.104/search?q=cache:3KAiP4ZjEmoJ:blog.so-net.ne.jp/enotheque1973/2007-01-14+%E5%B3%B6%E5%8F%B0%E3%80%80%E8%A1%A8%E5%8D%83%E5%AE%B6&hl=ja&ct=clnk&cd=1 http://www.asunet.net/susan/saijiki/janindx.htm このあたりでしょうか。 高台の形にも特徴があるようです。 ちなみに「島台」「嶋台」自体にも 意味がありますから、ご自身で検索してみてください。 中国の伝説の山「蓬莱山」だとか 結婚式に使う結納の品だとか おめでたいことに関係があるようです。 質問者様はどちらの御流派かわかりませんが 表千家では *七代目 如心斎自身の手作りを 川上不白に与えたあと、写しを楽長入に作らせた *十代目 吸江斎が南紀徳川家・徳川治宝(はるとみ)公に 出仕し島台茶碗でお茶を点てたときに、幼い吸江斎の手に 合うように、楽旦入に焼かせた。 *明治・大正時代になって 十二代惺斎が楽弘入に好みの島台を作らせた。 如心斎好みの島台の小の方を大として下にすえ その上に新しく小の碗を重ねたそうで、 今日使われているものの寸法は 惺斎好みを基本としているそうです。 ちなみにこれは 河原書店の「茶道雑誌」2003年12月号より 抜粋しました。
お礼
ありがとうございました。大変参考になりました。最初のものは現在流通しているお茶碗とは随分形が違うのですねー。勉強になりました。ありがとうございました。