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剣道はフランス起源?

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2695424.html この質問のANo.6の方が、剣道はフランス式のサーベル剣術が元になっていると書かれておられますが、そうなんですか? 検索したら陸軍でフランス式剣術を採用したらしいですが、それが剣道の元というのは、剣道連盟のサイトなどにも載ってないですし。 もし本当ならコムド起源説とかあまり笑えないような・・・

みんなの回答

  • Kage-Ryu
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.15

1.結論=剣道は日本起源であって、フランス起源ではございません。 2.古流武術体系概略「神代→神事→神道流=新當流(新当流)=影流=武芸十八般の祖=直心影流→直心影流剣道(→大日本帝國剣道)・直心影流柔術→大東流合氣柔術(→合気道)・少林寺拳法・天眞正傳香取神道流柔術。」 「神代→神事→神道流=新當流(新当流)=影流=武芸十八般の祖→直心影流 =(広義の直心影流剣術=狭義の直心影流剣術+狭義の直心影流剣道(→大日本帝國剣道)) +直心影流柔術(直心影流柔術→少林寺拳法+大東流合氣柔術(→合気道)+・・・) +直心影流薙刀術(園部秀雄女剣士は斎藤一を破った富山圓・富山可誠・吉永義秀ら直心影流宗家三代に渡る直心影流宗家の結晶体の愛弟子で直心影流剣術と直心影流柔術と直心影流薙刀術免許皆伝にして不敗の剣士・不敗の薙刀使い。なほ、直心影流十七代宗家秋吉博光先生は富山可誠・吉永義秀・吉永法文ら直心影流宗家三代に渡る直弟子の愛弟子で平成の御代に奇跡として残っている直心影流の結晶体で不敗。「影流の負けと見ゆるは己也己が腕こそ未熟なるのを華を持たされ有頂天にて稽古台にとされしとぞよと。」。)+直心影流槍術+・・・(武芸十八般すべて)。 ここで注意していただきたいのが下記の点です。 「神代→神事→神道流=新當流(新当流)=影流=武芸十八般の祖→直心影流 =(広義の直心影流剣術=狭義の直心影流剣術+狭義の直心影流剣道)→大日本帝國剣道。」 ではありますが、 「神代→神事→神道流=新當流(新当流)=影流=武芸十八般の祖→直心影流 =直心影流柔術→大東流合氣柔術→合気道+少林寺拳法。」 であって、 「神代→神事→神道流=新當流(新当流)=影流=武芸十八般の祖→直心影流 =直心影流柔術」と、 「柔道」は断絶しているのです。 あくまで柔道は帝國大學学者嘉納治五郎先生の発明であって、古流柔術を受け継ぐものにはならなかったのです。 それは当の嘉納治五郎先生がおなげきになっておいでです。 1-2.剣道の歴史 神代から伝わる神事であった剣術を俗世に公開したのが神道流=新當流(新当流)=影流初代宗家愛洲移香斎久忠様(新當流と影流の祖。三大兵法(神道流=新當流(新当流)、影流、念流)のうち二つの祖。)。 神道流=新當流(新当流)=影流二代宗家愛洲小七郎元香斎様が三代たちに教授した。 竹刀(しない)と竹刀を用いた安全な剣術教授法を発明したのが三代宗家上泉伊勢守信綱様。 竹刀を用いて各地で実際に直接指導にあたったのが腕が抜群に立った同三代疋田文五郎景兼様と丸目蔵人佐長恵様お二方。 柳生に指南し目録どまりにと指示したのが神道流=新當流(新当流)=影流三代宗家神泉伊勢守信綱様で、柳生に(柳生)新陰流の直接指南にあたったのが疋田文五郎景兼様と丸目蔵人佐長恵様。 このおり、内部では影流の名を用いながら、外部では陰流の名を用いたのは徳川太平の世のための布石。 なほ、これは、柳生の里のものどもがこんたんをもっていて、 「すなおなこころのかげりゅう」ではなかったため。 面と籠手を発明したのが影流初代から数えて七代の直心影流七代宗家山田平左衛門光徳様。剣術各流派は半世紀後に面籠手とその面籠手剣術指南稽古システム「剣道(竹刀稽古)」を模倣。「剣道」の呼び方は「影流による面と小手と面小手による稽古システムと同時に発生」した。 すなわち、直心影流七代山田平左衛門光徳様の時点、 「面と籠手と面籠手稽古システムの発祥時点」が、 「劍道(剣道)の発祥時点」。 2.日本刀がなぜ侍の魂なのか?=常に携帯できる大きさ重さでありながら、己が身をよく守る世界に類のない優れた刀であるため。 日本刀の性能=(突く+叩き斬る+押し斬る+引き斬る+居合+抜刀+刀を返す+相手の刀剣を弾く)性能をあわせもつ。 日本刀は、 どの技にても敵のバイタルパートに致命傷を追わせることが出来、 相手が届かぬ間合いから一方的に斬り伏せることが出来、 小手を霞めれば相手は武器を使えぬようになり待てば海路の日和ありと出来、 面を霞めれば霞と成りて敵の視界を奪い間合いを狂わせ待てば海路の日和ありと出来、 胴を霞めれば相手は腸をこぼし重心を狂わせ戦闘能力をうばい待てば海路の日和ありと出来 る携帯型汎用兵器である。 剣術の達者は間合いによりては拳銃に勝つ。 3.バイタルパートについて バイタルパート =上下は横隔膜より首の下、左右は腕の奥の方の付け根より内側 =逆ろうと状の胸部全体。 なぜ胸部全体はバイタルパートと呼ばれるのか? =心臓が下方真ん中にあり心臓は傷つけられれば死に、 心臓大動脈大静脈が走りこれらを傷つけられれば死に、 また心臓と心臓から出入りする大動脈大静脈を外しても深手を追うと、己の血で溺れる肺の腑があり息が出来ずすぐに動けなくなりほどなくして死に、 鎖骨下動脈を損傷すると応急処置では止血が難しく失血性ショックで死ぬるため。 影流は胸突きを残し、胸突きのなくなった現代剣道相手でも、胸突きをこそ警戒します。 現代剣道の若者の聖地であり血の結晶たる玉竜旗を見て直心影流宗家秋吉博光いわく、 「剣道はこんなものではなかったはずだ・・・残念でならない。」 若い剣士の方々の訪問稽古・入門を直心影流は強く欲しています。 次世代に直心影流の奥儀である直心影流剣道を遺すためだけに。 また、 清らかである日本刀で清らかである竹を斬ると、 脳内のA10神経系(えーてんしんけいけい)でβ-エンドルフィン(べーたえんどるふぃん)が分泌され、 β-エンドルフィンはドーパミンを抑制する蛇口に当たるGABA(ギャバ)を抑制し、 結果A10神経系でドーパミンが大量に分泌され、 大変さわやかで自然な快感・爽快感を覚えます。 ともに竹を斬りさわやかな気分になり、ともに剣道の稽古で汗を流し、ともに各地の天然温泉に入りましょう。 これこそが昔日(せきじつ(、昔という意味))の影流の奥儀でござりまする。

回答No.14

回答者は恐らく、剣道と銃剣道を勘違いしています。 剣道はフランス起源と言う事は一切ありません。 銃剣道は、明治期に軍隊の様式化に伴い、陸軍の装備の一つである銃剣を用いた戦技としてフランス式の銃剣術が導入されました。 ちなみに、銃剣の事を英語でバイヨネットと呼びますが、フランスのバイヨンヌ地方の農民が紛争の際、銃の先に刃物をくくりつけて闘った事が起源だそうです。 しかし、フランス式の銃剣術が日本軍で訓練されたのはわずかな期間で、より日本人に適合した銃剣術に関する研究がなされ、剣道の理合や宝蔵院槍術を参考に、銃剣道が誕生したので、フランス起源の武器を使った日本武道が銃剣道であるとの見方が普通ではないでしょうか。

回答No.13

剣道の期限は陰流です。 陰流は室町時代、文明15年(1438年)頃、伊勢愛洲氏の一族の武将愛洲久忠が編み出した武術の流派で兵法三大源流の一つで「影流」とも呼ばれます。

  • soron
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回答No.12

フランス式の剣術を使っている=起源 ではないですよ。念のため。 起源というのは他の国に全く無かった考えがこの地で生まれたことが「起源」です。 剣道ってかなり大雑把にいってしまえば 武士が己の剣の腕を上げるために道場や師に弟子入りして稽古していたもの。それで素振りだけでは勿論身にならないので実践型の試合も防具・竹刀・道着・袴を使用し、行ってました。これが剣道の原型。 もちろん当時は剣道の存在があくまで身に着ける武術だったのでルールや実際の技(流派)などは今のとは違うものも多くあります。 そして後からフランスからの色々な剣術も武士間に広まりました。取り入れた武士は取り入れ、取り入れなかった武士もアレンジした武士も居ました。現代ではスポーツとしてルールや形式も国際的に統一され今の形になってます。 もしも剣道の起源がフランスのものだとしたらフランスからフェンシングが入ってくるまで日本には剣の考えが全くなかったことになります。しかし剣を持つ武士は10世紀頃から存在していましたしフランスから輸入するまで剣や剣を使い稽古や試合をする武士が日本に居なかったとは考えにくい。 もうお分かりかもしれませんが フランスの剣術やルールを1%も取り入れなかった訳ではないが取り入れる前から剣を使い、日本なりの稽古や試合を通じて後世に伝える風習が日本に既にあった。これが『剣道』であり、今は色々融合されて今日ではスポーツ・体育教育用に改良された『剣道』になっているんです^^ なんか日本は外国からの技やルールを日本流にアレンジして取り入れてるとか改良とかが剣道以外にも結構多いんで起源を間違えちゃいそうですけど あくまで剣道はフランスから色々な剣術が入ってくる前から日本の持つ日本の剣や防具を使って稽古や試合をしていたのでこれが日本の剣道の起源なのですね^^

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.11

西洋剣術の操作法から見ますとまず、サーベルは片手剣です。両手の刀とはテクニックは全く変ります。テクニックから見る限り剣道にサーベルの影響はないと思います。 考えられる事はスポーツの概念の無かった日本にフェンシング・サーブルのスポーツという概念を取り入れたということはありえます。

noname#44236
noname#44236
回答No.10

>ただ、勝敗を決する際にそれで一本取れるというのは私の見聞した中では存じませんでした。 http://izayohi.hp.infoseek.co.jp/kendoukyoukai.htmlの内容が正しければ、戦前の試合形式を採用しているという、日本剣道協会では、「肩」も一本取れるそうです。 >いつでもどこでも相手も構わず本気で叩きまくっていたとはあまり考えにくいでしょう。 それはその通りだと思います。私にとって、試合は「軽く当てるか、寸止め」のイメージが強いのですが、力一杯打ち込む人や、初心者には、『安全な部位しか狙ってはいけない』ルールを与えていたかもしれませんね。 >一方で袈裟斬りは本能的に斬り易い動きではありますが、やはり理合いとしては介者剣術のものであって、近代的な素肌剣術の正中重視の剣とはやや毛色が違うような気がします。 素肌剣術にも、真っ向から正中線を攻めていく流派もあれば、相手に対し斜めから攻めていく流派もありますので、それは、なんともいえませんね。素肌剣術は正中線最重視中心突破の剣ばかりではありませんから。

  • sabercat
  • ベストアンサー率55% (44/79)
回答No.9

>私の知る流派の試合稽古では、「袈裟」あります。 なるほど、そういう流派もあるのですね。私もそれほど多くの流派を知っているわけではないため、失礼しました。 ただ、やはり試合では袈裟斬りのない方が多かったと思いますよ。当然ながら私もその時代を実際に知っているわけはなく、話で聞くだけですので断言は出来ませんが…。 誤解のないように申し上げますが、袈裟を打つこと自体はかまわなかったと思います。当時は脛斬りだってありましたしね。現代に生きる私からすれば難儀な話だとしか思えませんが、当時の剣士が「そんなのありかよ!ルール違反だ!」と文句をつけたとは聞きませんし、そういう意味では勝負である以上はどこを打ってもそれ自体が咎められることはなかったのかも知れません。 ただ、勝敗を決する際にそれで一本取れるというのは私の見聞した中では存じませんでした。 当時の袈裟については「打ちたければ打てばよいが、決まっても取らない。正規の打突部位ではないから」という位置づけが主流と理解していますので、「試合で袈裟斬りがないのは、幕末頃でもそうなってる」という旨を記述しました。 例えば北辰一刀流自体には袈裟を打つ技もあるのに、流祖である千葉周作の記した剣術六十八手に袈裟技はなかったですよね(組討はありますが)。 流派の技に袈裟斬りがあり、組太刀で稽古するのは古流剣術なら当然です(というか型としてあるのは剣道も同じですが)。しかし、防具と竹刀で打ち合う際には、幕末期においてもバンバン袈裟を打つというのは主流ではなかったと考えています。 ここより以下は個人的な想像で、根拠はないのですが…。 幕末期の実際の斬り合いでは、袈裟掛けに斬られた者が多数いたとの伝聞もありますが、これは逆にいえば袈裟に対する攻撃に当時の武士があまり慣れていなかったという面もあろうかと思うのです。 袈裟打ちは試合でも一本になりませんし、しかも話を聞くと当たり方によっては鎖骨を折るなどして稽古に支障を来たす危険な技だそうですし、あきらかに隙のある場合、上級者が格下を戒めの意味で骨を折らない程度に加減して打つことは当然あったにせよ、いつでもどこでも相手も構わず本気で叩きまくっていたとはあまり考えにくいでしょう。 このため、基本的な剣の腕はしっかりした者であっても、袈裟を打ち込まれる事に関しては普段の稽古での練習量が少ないことから、とっさに凌ぎ切れずに斬られてしまったケースもあったのではないかと思っています。 なお「袈裟打ちが危険だというなら、突きも危険だ」というのはその通りだと思います。ただ、突きと袈裟打ちは技の性質が違うと思いますよ。同列には考えられません。 現代剣道は、一刀流系の剣術の影響が濃いと思います。 派によって違うにせよ、一刀流系の剣は正中線を支配することを大事にしていると思うのです。突きは正中を攻める攻撃ですので、一刀流的な剣技としては本筋に見えます。 一方で袈裟斬りは本能的に斬り易い動きではありますが、やはり理合いとしては介者剣術のものであって、近代的な素肌剣術の正中重視の剣とはやや毛色が違うような気がします。 また突きについての余談ですが、竹刀剣術がはじまった江戸中期頃は、逆に突き技はしなかったようです。一概に古流剣術のすることなら何でも現代剣道より荒っぽく実戦的というわけでもないのでしょう。

noname#44236
noname#44236
回答No.8

>竹刀試合で袈裟斬りがないのは、幕末期の剣術でも同様です。 本当ですか?私の知る流派の試合稽古では、「袈裟」あります。そもそも、木刀で打ち合っていたんですし、安全面で考えても、咽喉突きがあるのに袈裟をなくす必要性がありません。『足払いや組み討ちがあって、袈裟は無い。』というのは考えにくいですし。 戦前の試合形式を採用しているという、日本剣道協会では、足払いが認められ、肩、胸突き、組み討ちも有効なのだそうです。 補足意見でした。

  • sabercat
  • ベストアンサー率55% (44/79)
回答No.7

書き方が拙くて恐縮です。質問者様が、剣術をフランス起源と考えているとは私も思っていません。 先の回答は、明治期に作られた剣道がサーベル剣術由来のものでない事の説明を書いたつもりでしたが、抽象的で良く分からない文章になってしまいました。 要点をいうと、フランス式の剣術や銃剣術が日本に導入されたのは事実ですが、それは現代剣道とは直接関係しません。いわゆる「軍隊式剣術」は現代の剣道と繋がっていないからです。 日本の在来剣術は、幕藩体制の中で武士階級と密接に関係していましたよね。このため、明治維新後は、武士という存在と同様に、武士の技術としての剣術も疎まれていたようです。 当時の日本では西洋式軍制をフランスから学んでおり、フランス人の軍教官を招いて訓練を行っていたりもしましたから、軍の制式剣術や銃剣術などは確かに教官が会得しているフランス式のものが導入されました。 ただこれは軍隊のことで、警察では日本在来の剣術が主に行われていました。警視庁をはじめとする警察の剣術教官は、みな日本在来剣術の使い手でした。梶川師範や逸見師範、上田師範が有名ですが、他の師範もそうです。 そして、フランス人教官が日本から去ると、軍でも徐々にフランス式剣術は勢力を失います。 質問者様のおっしゃるように「外国の物がすぐれており、日本の物は遅れているという思想」は確かに剣の世界にもあり、それゆえにフランス式の剣術が導入されたのでしょうが、なにぶん剣術というのはリアルなものですので、実際に試合などで弱かった方は地位を失っていったということなのでしょう。 これはフランス式剣術が日本の剣術より弱いということではありません。「日本という環境の中では」フランス式剣術の使い手が、日本在来剣術の使い手より弱かったということです。 在来剣術の使い手は、幼い頃より武士として剣術を叩きこまれ、幕末動乱期の実際に刀を振るって斬り合いをした時代の空気を身近に感じながら育った人達も多かったと思われます。平民が軍事教練で学んだ剣術とはやはり違いがあったのではないでしょうか。 その代わりに、主に警察や学校で盛んだった日本在来剣術の流れを受け継ぐ剣道が主流となっていきました。 その後、武徳会が出来たり武道専門学校(武専ですね)や東京高等師範学校(こちらは高師)が出来て、日本剣道界をリードします。その後も紆余曲折はありますが、現代の剣道は基本的にここが出発点だと思います。 警視庁や高師などを指導した高野佐三郎師範や三道範士の中山博道師範、武専主任教授をされた内藤高治師範らの影響は現代にも非常に大きいでしょうが、高野師は小野派一刀流、内藤師は中西派一刀流の剣客ですし、中山師も多くの古流諸派を修めた「日本式の武人」です。 現代剣道のルーツという意味では、やはり日本在来の剣術にそれを求めるのが自然だと思いますよ。 もちろん、剣術と剣道は別のものであるのも確かです。それは古流柔術と現代柔道が別のものであるのと似ているでしょう。現代剣道と古流の剣術も、似ても似つかぬ部分は多々あるでしょう。 しかし例えば、現代柔道のルーツをレスリングやサンボに求めるとすれば、それは違うと思うのです。それらの影響を受けている面はあるでしょうが、嘉納師範の打ち立てた講道館柔道のルーツという意味では、やはり師の学んだ天神真楊流柔術や起倒流柔術を持ってくる方がしっくり来ます。 同じようなことが日本剣道にも言えるのではないでしょうか。西洋剣術の影響があったにせよ、やはり剣道のルーツは古流剣術だと思うのですよ。 なお「日本の他の武道に摺足がない」というのは、真意がよく分かりませんので何とも…。摺足は他の武道にもありますので。また銃剣道も、現在日本で行われているのは日本式の銃剣術の流れを汲むもので、軍創設当時のフランス式銃剣術の流れではないはずです(一定の影響はあると思いますが)。 また袈裟斬りは剣道にもあります。制定居合型に出てきますね。 竹刀試合で袈裟斬りがないのは、幕末期の剣術でも同様です。そういう決めにした深い意義は存じませんが、格闘技で金的攻撃でKOしても逆に反則負けになるように、実戦で有効ということと稽古や試合で認められる技かどうかは別の問題です。 剣の鍛錬において、袈裟斬りそのものを覚えるよりも面を真向に打つ(この方が難しいです)鍛錬を積む方が実戦では自在な動きに繋がるという洞察からなのか、剣理として正中を制する事を重んじているのか、その他色々思うところはありますが、正直なところ私ごとき浅学非才では先人の思慮は良く分かりません…。

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.6

#1です。僕は剣道しか経験がないので、剣術については多くを知らないのですが・・・・。 ただ、その質問の#6の方の言う『日本の他の武道には摺足がない』っていうのはちょっと疑問なんですよね。 剣道で最初に習う型は正眼です。この構えは剣術にも普通にあると思います。 で、正眼に構えてみると分かるけど、摺足以外にしようがないと思うんです。(少なくとも普通にかかとを先につく歩き方ではないだろうと思う。)歩法が違ったり(摺足よりもっと効率の良いのが確立されてるのかもしれない)、その呼び方が違うってのはあると思いますけど、摺足を使ってる剣術の流派だってあると思うんですよね。あれほど完成度の高い歩法はそんなにないと思うから。まあ、単なる勘なんですけどね。 それに柔道でも摺足してましたよ。相撲も基本的に摺足だし。 ただ・・・外国でも普通に摺足はあるだろうと思いますけどね。普通に外国でも発明されてると思います。やっぱり摺足って効率が良いですから。あんまり摺足に拘っても仕方ないと思います。 あと、袈裟切りが簡単かどうかは知りませんが、でも危険な技である事には違いないです。剣道でもたまに袈裟切りしてくる人がいるんですよ。(故意じゃない場合が殆どでしょうけどね。そもそもワザと頭をずらして袈裟切りにさせるってのもありますけど。ただ、ここで挙げるのは故意での袈裟切りですw)すんごく痛いです。肩も一応のカバーはされているのにすんごい痛いです。首と肩の境い目を叩かれるってすんごく痛いんです。打つ方も力が入れやすいですしね。 僕が以前くらった時は蚯蚓腫れが出来ました。幸運にも(?)骨折はしないで済みましたが。それでも何日間かは肩が上がらない状態が続くほどです。 すんごく危険な技なんですよ。同じ『斬る』でも確かにこれだったら死ぬなって思えるぐらい致命的な技です。別に鉄パイプでこれをやられても確実に死ねると思いますw 防具がいくら改善してもこればっかりはどうしようもないと思います。首は可動でなきゃいけないんだから、当然そこは他の部分より薄くなる必要があります。それに胴と同じぐらい装甲が厚くても危険な事には変わりないと思いますしね。スポーツになる過程でこういう危険な技は除外されていったんじゃないですか?(ただ、居合いにはあるようです。型でも袈裟切りはやります。実際に試合では使用しないだけなのでは?)

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