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印象を書くから印象派なのか

印象派についての説明で、 「見たままの自然を描こうとした」とか 「自然を忠実に再現した」などの記述がある一方で、 「見たままでなく作者の印象を描いた」とか 「心に残った印象を表現した」などと書かれたものがあります。 これって、全く反対のことを言っていますよね。 印象派って何ですか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.4

>「見たままの自然を描こうとした」 >「自然を忠実に再現した」 こちらは印象派の説明。 ・・・形態の明確な描写よりも、それをつつむ光の変化や空気感など一瞬の印象を捉え、再現しようとした。【参考サイトからの引用】 >「見たままでなく作者の印象を描いた」 >「心に残った印象を表現した」 こちらは後期印象派(ポスト印象派)の説明では? ・・・見たままの自然を描く従来の印象派とは異なり、これらを主観的表現として再構成した彼らの描き方は、20世紀美術に大きな影響を与えた。【参考サイトからの引用】

参考URL:
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C0%BE%CD%CE%C8%FE%BD%D1%BB%CB/detail.html?LINK=1&kind=epedia
sames
質問者

お礼

明快な回答をありがとうございます。 わたしもそのように思います。

その他の回答 (5)

  • kettouti
  • ベストアンサー率46% (274/589)
回答No.6

質問者さんが言われるように印象派とは、「印象を書くから印象派なのか」と言う事で良いのでは? 印象と言う言葉は「見たり聞いたりして心に直接受ける感じ」又「強く感じて忘れられない事」という意味のようです。 私が思うには、質問者さんが言われている印象派についての4つの説明文は、全く反対の事であっても、すべて印象派の説明になるように思います。 そして印象派はそれを、絵によって表現したという事です。 「マネ」は、見ている物に新鮮さを感じたのか、明るく濁りの無い色で表現した。 「モネ」は、刻々と変わる光に興味を持ち、それを色に置き換えていった。 「ルノワール」は、女性の優しさ・美しさ・愛情等を感じ取り、明るい色で表現した。 「ドガ」は、踊り子・裸婦の一瞬の動きの中で、自分が感じ取ったものを描いた。 「セザンヌ」は、見る物にセザンヌ的に、形と色を感じ取り、描いた。 「ゴッホ」は、見た物に対して感じた、自分の激しい感情を色で表した。 「ゴーギャン」は、見ている物を平面としてとらえ、それを自分の内面で感じ取り、描いた。 というように、感じ方は色々あるんだと思います。 ただ、印象派の方達は、パレットの中で色を混ぜ合わせる事はしないで、チューブから出した色をそのままキャンパスに塗り込んだり、並べたりする事によって、色彩の表現をしたようです。 絵の具は色を混ぜ合わせる事によって、どんどん黒に近づいていき画面が暗くなってくるのですが、印象派の人達の色の使い方は、上記の様に色を混ぜ合わせず、色を並べたりする事によって描いたようです。こうすると、画面が明るくなるそうです。 上記のように色彩の表現をどのようにしたのか?という事も印象派と言われる1つの要因ではないかと思います。

sames
質問者

お礼

ありがとうございました。 後期印象派を区別するのがいいと思いました。

  • greenkoo
  • ベストアンサー率34% (72/210)
回答No.5

No.3です。 >はじめから、「見たままでなく作者の印象を描いた」とか 「心に残った印象を表現した」わけではないということでよろしいでしょうか。 簡単に言えばそういうことになるでしょうね。 あくまで実際の風景が基本にあり、それなしでは印象派はありえない ということじゃないかと思います。 (あくまで、印象派の初期の段階はということです。 後期になると、いろいろ考えが複雑になってそれだけでは 語れないという面があるかもしれません。)

sames
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり、印象派と後期印象派の問題だという気がしてきました。

  • greenkoo
  • ベストアンサー率34% (72/210)
回答No.3

印象派の始まりは、1872年にフランスの新聞記者ルロワという人が 画家クロード・モネの描いた「印象-日の出」という絵を 皮肉っていったのか、その周辺のアーティストたちをまとめて 「印象派」と読んだのが由来です。 僕が今まで実物を見てきたたくさんの印象派絵画や、 自分が描いたことのある経験を元に言うならば、 実際の風景や静物を固有色でそのまま見えるとおりに 描いた結果、光を再現するに至らないことが分かりました。 その目の前にある風景の光というものを再現するには、 見えている色全てを、「光のつぶ」に置き換えて、それを 絵具で置いて(筆のタッチ一つ一つを光として)とらえることで 望ましい効果が得られるということに気がつきます。 とくにその効果を実感するには戸外制作を重要視しなければ 理解することが出来ないのです。 ●要するに、≪作家の心の中の印象≫と≪見たままの自然≫ は相反するように思われますが、実際は作家自身が「忠実」に 再現するにはその人の印象で描く以外に手段はないのです。 この世の中にある絵画(とくに絵具を使って描いた絵)すべては、 あくまで作家の中のフィルターを通して制作されるものなのですから、 すべて印象であり、忠実であるのです。 それなら、写真はどうか?ということも言われかねないですが、 写真もやはり、撮る人によって十人十色あるわけで、これも 言ってみれば、「印象」であり「忠実」なのではないでしょうか? しかし、心の作用と絵画制作を言葉で定義づけるのは、美術評論の 歴史を重ねても、簡単に片付けられるものではないということを 常々思うこのごろです。 質問者様の問題提起が、まさにそれを物語っています。

sames
質問者

補足

つまり、画家の意識としては、「見たままの自然を描こうとした」とか 「自然を忠実に再現しようとした」ということであって、 はじめから、「見たままでなく作者の印象を描いた」とか 「心に残った印象を表現した」わけではないということでよろしいでしょうか。

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.2

『印象・日の出』という作品の題名から「印象派」という言葉が生まれました。 http://www2.starcat.ne.jp/~lueur/text/essay/impression/imp01.htm

sames
質問者

補足

ネーミングについて聞いているわけではないのです。

  • fake-tang
  • ベストアンサー率24% (186/772)
回答No.1
sames
質問者

補足

この中のどこに答えがありますか。

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