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人と平等に接するには?迷走してます。
こんにちは。大学1年の女です。 最近人間関係や人との接し方に悩んでいて、いろいろと考える毎日です。 私はどうやら、無意識のうちに人のランク付けをしているようで、たとえば、相手がお洒落で可愛くて隙がないような人は高ランク、逆に私と同等の雰囲気、何を言っても相手してくれそうな人は同ランクです。私としては、同ランクの人と接するように高ランクの人とも接したいのですが、高ランクの人とだと引け目を感じ、聞き役に徹してしまいます。 なので高ランクの人たちからは「素朴なおとなしい子」、同ランクの人たちからは「明るく面白い子」と見られています。 人見知りはしない方なんですが、親しくない子と話し出す時は、前もって会話を想定しすぎて、話すことがなくなります。 小・中と「明るく面白い子」というイメージで来ていたので、6年も経っていますが、悔しくてたまりません。以前は目立つ位置にいたのが、今は引っ込み思案人間です。男子と話すときは、突っ込まれて質問などをされると、自分が特に可愛いわけでもないのに、「何コイツ。何でこんなことまで聞くんだよ。」と警戒してしまいます。 性格の変化の原因として考えられるのは、高校で友達ができなかったことです。1年の時、お昼ご飯一人、休み時間一人、という辛い思い出があります。2,3年生はまともでしたが、やはり小・中学時代が私の絶頂期であったかと思います。高校の頃から「小・中学時代の自分に戻りたい」・「本当の自分はどれ?」と考えまくって今に至ります。家での私は以前と同じままです。 会話の先を読まない方法はないでしょうか?また人をランク付けせず、誰とでも同じように接するにはどうしたらよいでしょうか?昔のように大声で話してみたいです。私の性格は変わってしまったのでしょうか?それとも元々話さない子だったんでしょうか?自分が分かりません。
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こんにちは。思うのですが、すべての人と同じように接するということは本来難しいことなのだと思います。世の中には多様なタイプの人がいます。信念・価値観・目標・興味対象・能力・育った環境・その他、人格を形成する様々な要素において、自分と共通点の少ない人とは、コミュニケーションをとろうとしても、ほとんど心が通じないということは多々ありえます。 通じ合える人というのは、広い社会の中では本当はそう多くはないはずです。そういう中で、心の通じる人ばかりが周囲にいたというのが、貴方の小中時代なのだと思います。子供というのは人格や個性が未発達でほぼ画一的だから、一般的に小中時代とはそんなものではないでしょうか。まさに「恵まれた環境」です。 高校以降、「ランク付け」をするようになったということですが、それは「ランク付け」というよりも、応対の仕方で相手を「分類」しているということではないでしょうか。高校以降、「同ランク」でない人達と共に過ごすようになり、「同ランク」の人と同じように接しようとしても、うまくいかなかった経験があったのではないでしょうか。「親しくない子」には会話を想定しておいたり、「高ランクの人」には聞き役に徹したりというのは、貴方が経験からいつのまに学習し体得した対人ノウハウなのではないかと思います。適応のための方法です。 「私の性格が変わってしまったのでしょうか?」に対する答えとしては、(1)高校以降周囲が変わった (2)周囲の変化に対し貴方の対人法が変化した ということになる気がします。現状に満足でないようですが、ある程度は「そんなものだ」と諦めたほうが良いと思います。 そして、「誰とでも同じように接したい」という希望をお持ちなのなら、同ランクでない人とも通じ合えるような、幅広いコミュニケーション能力を新たにつけるよう訓練すべきです。まずは、そのように意識をしておいて、あとは、良いチャンスに出くわしたとき、あまり臆病にならずに、実行あるのみです。対人法とは日々の行動から形成される習慣です。そして習慣は、意識的な行動で変えることもできます。また、環境によっても変わります。 他人とは自分を映す鏡です。鏡が変われば、映る自分も変わります。いろいろな鏡に映るいろいろな自分、どうせなら、たとえどんな自分でも、嫌うことなく、好きでいたいですね!
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- chanomi74
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A No.1の者です。「ランク付け」について私の解釈が間違っていたようなので、謝ります。 さて、コミュニケーションの仕方についてですが、 「自分で話さず、どのような相手であっても聞く側に回る」というのはい かがでしょうか。 これならば会話の先を読む必要がなくなります。 今は学生なので、現在のようなコミュニケーションでも(乱暴に言えば)問題ありません。 しかし、働きだしたらそうはいきません。自分はヒヨッ子、相手にするたいていの人は 美しくなかろうが「高ランク」です。 相手はあなたの話すのを待たずに、職務上の命令だろうが、グチだろうが 何でも発してきます。 その言葉の先なんて、読んでいられません。発された言葉そのものを理解 できなかったらコミュニケーションは成立しないのです。 誰とでも接したかったら、今後のこともありますので、聞くことを 大事にしてください。誰かがあなたに心のうちを話してくれるように。 「性格」が「変わる」「変わらない」と思っても、答えは出ません。 「生き方」として捉えたらどうでしょう。 一本の幅広い道でも、細かく枝分かれした道でも、曲がりくねっていても全体であなたです。 まずは今ある自分という存在を、嫌なところも含めて認めましょう。
お礼
いえいえ、私の文章が誤解を招かせたのですから、謝る必要はないですよ! 聞く側に回るですか・・・。私的に、誰かといるときは常に話していないといけない気がしてしまうんです。でも「これを言ったらどう思われるかな」などと考えすぎてしまって、沈黙してしまいます。そして、当たり障りのない「暑いねー」とか「疲れたねー」とか、相手が絶対思ってるであろうことを言いまくってしまいます。 でも会話をうまくするには聞き上手になることも大切ですよね。ホストやホステスの方も聞き上手だからモテんでしょうし。 回答ありがとうございました。
- hanna26
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ランク付けをしないようにするには…どんなに可愛くても、どんなに不細工でもどっちも同じただの人間だという見方をするしかないんじゃないですかね…(^-^;)なにしろ自分はランク付けはしても、接したりするのにはあまり関係していないし、<苦手なタイプとはあまり関わらない主義>ですから…。 家の中での自分が変わらないのなら、それが本来の自分でしょう!!!!でも人間には表も裏もあるし、側から見られている顔があるから自分のタイプは一つだと決めなくてもいいのでは?? 昔の自分を表現したいのなら、自分の持っているキャラで自然に話せば、先を考えずに話しても大丈夫ですよ。私からみた高いランクの人にも、同ランクの人にも、自然に思ったことを話していますよ!!(人を傷つけるようなことじゃない思ったこと…)話題がなくなったら、相手も何か考えてくれるでしょう…。
お礼
ありがとうございます。 そうですよね。みんな同じ人間なのだから。頭では分かるんですが、いざ相手を目の前にすると、物怖じしたり、話さなくなったり、一方では話したり…自分でも大変です^^; やはり家での自分が本物でしょうか?そうであると嬉しいです。家の性格を外でも出せれば、それ以上に嬉しいことはないんですが、難しいでしょうね。 思ったことを言おうと思っても、考える機能が先に動いてしまいます。思ったことを言える人が本当に羨ましいです。
- chanomi74
- ベストアンサー率25% (16/62)
>小・中学時代が私の絶頂期 ということから、恵まれた環境で育ったと言えるでしょう。 その万能感から、今の不全感が起きているのです。 他者をランク付けしていたあなたは、その他者からどうランク付けされていたのでしょうね。 ランクを付ければ、自分より「低い人」を見つけることで安心できたでしょう。 今、「自分が分からない」のは、きつい言い方をすれば他人の上にあぐらをかいてきた ツケが回ってきたからです。 「自分が分からない」ならば、他者も同様に分からないはずですよね。 すなわち、ランク付けなんてできないはずなのです。 「本当の自分はどれ?」などと、選べるようなものではありませんよ、 「自分」という存在は。 迷っているあなたも、醜く思える思える自分も、独りの自分も、 全部あなた自身です。探そうとしているうちは、見えません。
お礼
早々の回答ありがとうございます。 確かに私は小・中時代恵まれた環境に育ってきました。私自身学校のみんなを知っていましたし、みんなが友達だと思っていました。 ただ、回答者さんがおっしゃったような、人を下に見たりはしていません。 ランク付けというか、高校時代の経験から人を種類別に見るようになってしまいました。 自身では、家での自分が本物だと思っています。でもそれも違うのかもしれません。 人の性格は変わってしまうとは信じたくありませんが、そうなのかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 そうですよね、諦めが肝心というのは重々承知しているんですが、 やっぱり「昔はあーだったなぁ、こうだったなー」と今と比べてしまうんです。 私の考えが小中学時代から成長していないのかもしれません。 できれば誰とでも家で話すようにハジけて(?)話したいんですけどね。人の顔色伺って話すのは、正直とても窮屈です。 私自身見た目が真面目っぽいらしいので、そのせいもあり他の人たちも落ち着いた話ばかりするのかもしれません。