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函館ー札幌

こんにちは、昔、昭和58年ごろ一人で旅行したんですが、たしか函館を朝6時ごろ出て、札幌に4時ごろ着く普通列車に乗ったのをきおくしてます。どういう客車で どういう編成だったでしょうか? 鉄道に詳しい人よろしくお願いします。当時の時刻表なんてどっかにないですよね。

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noname#23881
noname#23881
回答No.8

昭和58年ごろでしたら、石勝線(昭和56年開業)の開通後(このときに北海道の鉄道は函館中心から札幌中心のダイヤに変わっていきました)ですから、当時は急行「宗谷」が函館-稚内間の運転(山線経由)だったものを函館-札幌間について特急「北海」に建替えていましたから、徐々に山線から列車が減っていく時期に差し掛かっていたように思います。それでも、14系座席客車の急行「ニセコ」も健在でしたし、急行「らいでん」や急行「せたな」(現在の快速アイリス・・・山線ではないですが)もありました。 急行まりもは、昭和58年当時は、札幌-釧路間の14系客車(Bネ5両+座席3両)でした。14系になったのは昭和57年11月からですが座席車から先に投入され、翌年の上半期に寝台車も14系に置き換えられました。急行まりも自体は、昭和56年の石勝線開業に伴って急行狩勝のうち夜行1往復と昼行1往復(札幌-帯広)を富良野経由から石勝線経由に建替えて運転されるようになりました。

tomo_momo
質問者

お礼

詳しい説明に驚いています。やはり、時代の流れを感じさせます。 どうも ありがとう。

その他の回答 (7)

  • hiroki0527
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回答No.7

No2です。 僕が乗った年(日航機御巣鷹山墜落の年)の車両編成です 121レ(函館6:20発札幌15:23行) 8月10日 スハフ44ースハ45ースハフ42ーマニ50ーマニ44 釧路区、函館区、盛岡区の混成編成 46レ(夜行 札幌21:21発函館5:04行)8月11日 スハ43ースハ45ースハフ42ースハフ42 函館区、盛岡区の混成編成。 どちらも電化区間はED76、非電化区間はDD51と記録しています。 良く記録が残っていたもんだ

noname#23881
noname#23881
回答No.6

#3の最初のパラグラフの小樽-札幌間の牽引機ですが、ED75は使用されていません。失礼しました。尚、DD51についてhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84DD51%E5%BD%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84ED76%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
  • ultraCS
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回答No.5

当時、周遊券で北海道の列車ホテル(夜行のこと)を乗りまくっていた者です。 当該列車は函館本線の山線の夜行普通列車(旭川~函館)で、寒地仕様の旧型客車で運用されていたと思います。室蘭線経由(海線)は急行すずらんだったと思います。 このほかの周遊券で乗れた夜行は、宗谷本線には急行利尻、石北本線には急行大雪?、根室本線には後に「からまつ」になる根室行きの寝台併結夜行がありました。

tomo_momo
質問者

お礼

北海道もそのころはずいぶん 乗りがいがあったことでしょうね。 急行 まりも も乗れたでしょうか?

noname#23881
noname#23881
回答No.4

#1・3で挙げた夜行列車ですが、色々な鉄道雑誌を読んだときのことを思い出したのですが、オハ45を使用していたことがあったと思います。 しかし、ご質問の列車の客車は、オハ45やそれ以外の客車も使用していたということも考えられます。

noname#23881
noname#23881
回答No.3

函館-小樽間は非電化区間なのでDD51だったと思います。小樽-札幌間は電化していましたから、もしかするとED75 500やED76 500だったかも知れないですね。 旧型の客車の列車は色々な形式の車輌が雑多に組まれていましたから、一つの形式で統一されていなかったと思います(全国的な傾向として)。恐らく#1で挙げたサイトの北海道用のもので編成が組まれていたと思います。荷物車があったかどうかは不明です。http://jnr.site.ne.jp/PC/43k/htm/43k3_frm.htm http://f29.aaa.livedoor.jp/~dosa/icon/ >夜行もあったんですか?  国鉄末期までありました。山線(倶知安経由)廻りの列車で、荷物車や郵便車が主体で10両編成くらいだったようですが、普通客車は3両しか無かったものです。愛称名はなかったのですが、このような列車は、荷物や郵便の輸送の為といっても良いくらいの列車だったようです。この夜行の記事は昭和57年から59年頃の鉄道ジャーナルに掲載されていたと思います(列車追跡のコーナー)。 また、この夜行列車について昭和58年の鉄道ファンにも記事がありましたが、雑形客車としか掲載されていませんでした。この列車は、札幌到着後に荷物輸送の関係で客扱い無しでそのまま苗穂の方に向かっていました。国鉄末期に鉄道郵便も全廃され、役目を終え廃止されました。

参考URL:
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tomo_momo
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。そのころは 山線の方が本数も多く活気があったんですよね ?

  • hiroki0527
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回答No.2

はい、ちゃんと存在しました。 僕は青春18切符でそれを使って旅行をしています。 青函連絡船があったころです。 僕が乗った頃で函館6:30頃、札幌着15:30頃でしたね。 函館山線経由でした。車両は北海道仕様の旧型客車です。 なお、普通列車の編成表は時刻表には載っていませんよ。 札幌発函館行きの夜行普通も乗っています。

tomo_momo
質問者

お礼

そうでしたね。たしか、朝4時ごろ青函連絡船で函館に着いて、特急北斗と北海が並んでとまってて、それがいったあと この普通列車に乗ったと記憶してます。

noname#23881
noname#23881
回答No.1

当時の時刻表は、古本の市場で探すようになると思うのですが(復刻版を含む)、時刻表にその普通列車の編成表や車輌の形式は掲載されていないと思います。 恐らく、↓のような普通車のみの旧型の客車列車ではないかと思います(函館-札幌間を夜行として走っていた41レや48レといった列車も旧型客車でした)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8443%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8Ahttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8460%E7%B3%BB%E5%AE%A2%E8%BB%8A

tomo_momo
質問者

お礼

旧型客車だったことは覚えてるんですが、どういうのだったかは。確か函館線廻りだったと思います。夜行もあったんですか? ヤッパリ ディーゼル機関車が引っ張ってたんでしょうかね?