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脳卒中で意識が戻りません

とても重たい質問です。 父が脳出血で倒れ6日目になります。 病名は詳しくは分からないのですが、右脳の怪我で、 片麻痺がでています。 毎日、30分ほどですが仕事の合間に見舞いに言っています。 声をかけると、なにか反応するようなそぶりがあり、 口も時おり動かすのですが、声とはほど遠いものです。 目もうっすらと明けるものの、まったく焦点があっていません。 回復の見込みを信じて、声をかけたり、手を握ったりしていたのですが、いっそ、意識が戻らない方が本人はしあわせなんじゃないか、などと考えてしまいます。中途半端に戻った状態が、一番本人も周りもしんどいと考えはじめたのが、正直なところです。 意識が元のように戻る可能性があるのなら、 もっと見舞いに時間をかけてがんばりたいのですが、 遠距離見舞いに少々疲れてきたのも事実です。 なにか、参考になるアドバイス、経験、情報源があれば お教えください。 よろしくお願いいたします。

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回答No.5

NO.4です。 先程の回答は現在の私の心境を書いてしまいましたが、母が1回目の脳出血の時、1週間程、意識が戻りませんでした。 その後、出血の腫れが引き、年寄りですので、手術はしませんでしたが出血した血を抜く手術をした所、快方に向かい、半身麻痺ですが車椅子の生活が出来ました。 お父様も、もう少し時が経てば良い方向に向かうかも知れませんので、諦めないで下さい。 お疲れでしょうがお互いがんばりましょう!

その他の回答 (4)

回答No.4

私の母は約一年前に脳出血で左半身麻痺になり、かなりの重度障害者になってしまいました。在宅介護が出来ないため施設で看ていただきましたが、再び脳出血を起こし、まだ意識が回復していません。 主治医からは危篤状態だと言われましたが、少しずつ良くなってきてるとも言われています。今度は右半身麻痺になってしまい、寝たきりで話も出来ず、目も見えにくくなるようですので一層のことこのまま逝かせてあげたほうが本人も嬉しいのではないかと思います。 それは、以前、右手が痛いと母が言い、もしかしたら麻痺して達磨になっちゃう(失礼な表現をお許しください)と泣いた事があったからなのです。でも、年老いた母の兄弟たちはどんなふうになっても生きていてくれるだけでいいと申します。 危篤と言われてから毎日、枕元に子機を置き、落ち着かない夜を過ごしています。私も母に会いに行く度に複雑な気持ちで帰ります。

mika0123
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 どのような状態になっても、生きていたいか、生きていて欲しいと言えるか。わたし自身、なんとも言いがたい心境です。 心中お察し申し上げます。 どうぞ、たいへんだと思いますが、ご自身のお体も 大切になさってください。

  • momonoke
  • ベストアンサー率75% (3/4)
回答No.3

私の父も脳出血で倒れました。 入院の連絡を受けて、すぐに実家に帰りました。 症状はmika0123さんのお父様と同じような感じで、話もできず、焦点が合っていないし、手足の感覚があるのかどうかもわからない状態でした。 脳外科の先生が診に来て、ものすごい大声で話しかけたときだけ、 反応があった程度です。 私の場合、実家へは片道5時間かかるため、仕事を1週間ほど休んで 家族交代で病院に寝泊りしていたのですが 全く回復の兆候がみられず、母は毎日泣いていました。 これは長くかかりそうだからと、主人と勤め先に相談して、 しばらく実家にいられるように準備をしようということで自分のアパートに戻りましたが、 父はその翌日の朝危篤状態になり、会えないまま亡くなってしまいました。 本人の意識が戻っても戻らなくても、見届けてあげたかったし 元の健康な状態でなくても生きていてくれたら、自分にできることや したいことがたくさんあったのに、と今でも悔やまれます。 アドバイスなどは病院で先生にお聞きになるのが確実かと思いますが、 色々なケースの情報も集めたいところでしょうね。。私もそうでした。 それに、病院にずっといるとなんだか悲観的になってしまいがちでした。 お父様にはまだ可能性があります。ご家族の心労や負担はお察しいたしますが、協力し合い、励ましあってがんばってほしいです。

mika0123
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お父様、たいへん残念でしたね。 ご家族の方の心痛、お察しいたします。 わたしも仕事があり、小さな子どももいるのですが、 今後、どうすればいいのか、先の見えなさに 不安でいっぱいなのが正直なところです。 わが父はまだ60代前半ですし、他は悪いところもないようなので、 長期戦かな、と思います。 実家では、90近い祖母もおり、 母一人に負わせるわけにもいきません。 なんとか、苦難を乗り切っていかなければ…。

回答No.2

私は12年前に50代前半で二回目の脳出血で倒れました。後遺症で四肢麻痺と言語障害が残り現在車椅子の生活をしている者です。私の場合は、二回目の脳出血の出血場所が自律神経系の最高中枢といわれる視床下部からでした。そのため脳出血の直後意識不明になりましたが幸運にも4,5日目ぐらいから意識が少しずつ戻ってきました。 病院のICU(集中治療室)にいたとき、脳外科の主治医が妻に説明してくれた内容は、「(1)出血場所が手術のできない場所であること、(2)命が助かっても寝たきりになるかも知れないこと、(3)病院ではできる限りの医療をして後は本人の生命力に期待すること」でした。その後、幸運にも車椅子で復職もできました。車椅子生活は不自由ですが悲観はしていません。独学で自分のホームページを作ってから、インターネットで交流もするようになり、生きがいも見つけました。 脳出血は、本人の年齢、脳出血の部位、出血時の状況などによって様々に違うので、お父さんの場合に当てはまるかどうかはわかりませんが、倒れて6日であれば、まだまだあきらめるのは早いと思います。 私のインターネットの友人の家族に1月も意識が戻らなかった人が何人もいます。後で後悔しないためにも、主治医や看護師によく話しを聞いて、今ご家族ができることを精一杯頑張ってください。

参考URL:
http://homepage3.nifty.com/kinsan/
mika0123
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ご自身のホームページでしょうか。 状況を冷静に受け止め、 前へ!と向かわれる姿勢に、たいへん感銘を受けました。 父は、倒れて10日を過ぎましたが、状態は変わらずです。 回答者様とは、正反対!?(^_^; わが父は、元々が逃げ癖のある性格でした。 それが、自制なき飲酒やタバコの習慣になっていました。 胃潰瘍もひどいらしく、食事も胃に送り込めない状態です。 ストレスかもしれません。 がんばって、と期待するのも本人にとって酷なのかもしれない。 もう、あるがままを受け止めるしか、ないのかな、という気持ちになってきました。 

  • k-ko0730
  • ベストアンサー率47% (193/405)
回答No.1

母方の祖母が脳出血で右半身麻痺になり、18年後にこの世を去りました。 意識が元のように戻る可能性がどの程度かは、出血した場所や量に寄ると思います。そういう説明は医師からなかったですか?手術が出来るかどうかも。 祖母は意識はハッキリしていました。言葉はノンビリ&ユックリになりましたが何を言ってるかはちゃんと分かりましたし、頭もそこそこハッキリしていました。世間話をしたり、私の主人の心配をしてくれたり、3姉妹が小さかった頃の話や祖父が戦争から帰ってくるまで結婚の約束をしたまま何年も待ってた話も聞きました。 祖母が亡くなるまでの18年間、母は3姉妹の長女で他県へ嫁いでしまったのですが、月に1~2日、田舎へ帰らせて貰って祖母の看病をしてました(父方の祖父母と同居だったので、頻繁に田舎へ帰ると嫌な顔をされる)。 次女は田舎の実家の近所へ嫁いでいたので週に2~3回看病に来ていたそうです。が、ある日突然亡くなってしまいました。 三女がお婿さんを貰って母方の実家を継ぎ、家業と看護を両方していました。 倒れてすぐに病院へ入って状態が落ち着いてからは、リハビリのある施設へ移されて、そこで徹底的にリハビリを受けて三つ足になった杖をつきながら歩くことも出来ていました。 都内の名医と呼ばれる方に、本来なら手術出来ない場所だけどその方なら出来るという先生にお願いして保険適用外の手術を受けたこともあります。それで数年は痺れや痛みを取れるから、体の揺れも収まって、少しは本人が楽になるからと。 リハビリを受け、自宅へ戻って、手すりに捕まりながら杖をついてトイレに行こうとした時にバランスを崩して手を伸ばしたところにあったのが籐の棚だったので、祖母の体重を支えきれず一緒に倒れてしまい、またそれをすぐに発見してあげられる人がおらず、しばらく倒れたままでいたショックから、それ以来、歩くのが怖くなったようで寝たきりが多くなりました。 それに追い討ちを掛けるように叔母(次女)の急死。自分の介護で負担を掛けたせいだと責め続けて自分が代わりに死ねば良かったと一層動けなくなってしまいました。 病院へ入れようとしてもリハビリをしなければいけないから嫌だと絶対に行こうとせず、自宅へマッサージ師に来て貰って少しでも体の強張りを楽にさせようとしてました。麻痺になった右半身は正座して足が痺れたように、常に右半身が痺れているようで触られるのも嫌だと言ってましたっけ。 昼夜関係なく、用事がある時にはナースコールのようなスイッチを押してベルを鳴らすんです。祖母のベッド横に置いてあるポータブルトイレに1人では行けないので誰か来てって呼ぶんです。本人はそっちの感覚も鈍っていますし粗相したくない、間に合わなかったら申し訳ない!の一心なのでしょうが、一時間に1度や2度呼ぶようで熟睡出来ない家族は大変ですよね… 元気だった祖父も祖母より先に突然死してしまい、看病は三女夫婦と母だけに。ある日、祖母の様子がオカシイと救急車で運ばれた病院で、今まで左脳での出血だったけれど、今度は右脳で出血したこと。意識が戻るかどうかは分からないことを言われました。私も何度か御見舞いに行きましたが、手も足もパンパンに浮腫んで、体中を管だらけにされて、呼んでも擦っても何の反応も無い祖母の姿を見て声も出ず涙しか出ませんでしたね。 万が一、意識が戻ったとしても左右両麻痺だから、自力で水を飲むことも、ベルを押して誰かを呼ぶことも、何も出来ない。喋ることも出来ないでしょう。意思の疎通が出来るかどうかも難しい。自宅で介護するなんてまず無理だから施設に入れるしかない、と医師に言われました。 尊厳死させてやることは出来ないのか?今の状態で母が喜んでいるとは思えない。せめて生命維持装置を外して貰うことは出来ないですか? 繰り返し医師と話し合いましたが、自力で呼吸しているので、他の装置を止めることは医師として出来ませんと。 万が一、意識が戻っても、全く身動きが取れず、辛いことを伝えることも、自力で水を飲むことすら出来ない状態では祖母は幸せなんだろうか。機械や点滴で生かされている祖母は幸せなんだろうか… 後で聞いてみたら御見舞いに行った親族、みんな思ったそうです、いっそ殺してやるのが祖母の為じゃないかって… 結局、一ヵ月後、祖母は静かに息を引き取りました。 一生懸命、若い頃から苦労して働きづめに働いて娘を三人育て上げ、家を建て直す為に近所に引っ越して暮らしている間に倒れ、18年。 何度も手術を受け、リハビリは辛く苦しく限りない、それだけしても体が自由に動けるようになるわけでもない。 祖母は繰り返し言ってました、私さえいなければ、私もう死にたいよ… 意識がある間は、私の前ではちゃんとした祖母でいたかったらしく、決してトイレのお世話はさせませんでしたし、愚痴をこぼすこともなく、お喋りをして、私が帰る時には呼ばれて2千円を持たせてくれるんです。何度断っても「いいから、来てくれたから汽車賃だから」って。祖母に収入はなく、叔母がお財布にお金を入れてくれている、その中から必ず2千円。祖母が亡くなって3年になりますが、今でも貰ったままの2千円が私の財布の中にお守りのように入れてあります。優しく威厳ある祖母の意地?精一杯の気持ちだったのだと思います。なので私には素を見せなかったので、どれだけ家族が苦労したかは正直分かりません。 長すぎる闘病生活、祖母自身も、老体に鞭打って仕事と介護をしていた祖父も、3人の娘たちも、私には想像できないほどの思いをしながら苦労したと思います。 > 意識が戻らない方が本人はしあわせなんじゃないか、などと考えてしまいます。中途半端に戻った状態が、一番本人も周りもしんどいと考えはじめたのが、正直なところです。 意識が戻られたら私の祖母のような状態になるのでしょうか? 意識が戻る=どのくらいの状態になるのか、自宅介護可能なのか、施設へ入れるしかないのか。 その辺りを主治医の先生にうかがってみてはいかがでしょう? でも… 母も下の叔母も、出来るだけの事は祖母が生きているうちにやったから、悔いは無い。と言いますよ。そんな母や叔母のことを尊敬しますし、いつか母が倒れて祖母と同じようになったら、私も母が祖母にしたのと同じように介護していこうと思います。 mika0123さんの危惧、分からないわけではありません。 介護疲れで、本人より2人も先に逝ってしまったのですから、半端じゃない負担なのだと思います。祖母も心身ともに苦しんでいたのは母から聞いていますから助かるのが本人の為なんだろうかと思う気持ちも分かります。 でも、状態が落ち着いてみないと分からないんですよね、助かるか、どうなるか。 ただ、mika0123さんがいつか悔いを残されないよう、あの時に何でもっとこうしておかなかったんだろうと後悔などしないよう、これから先、どんなことになっても対応して頂ければな、と思います。 長文、乱文、失礼しました。

mika0123
質問者

お礼

ご丁寧な回答、ありがとうございます。 こうした質問をするのって、どうだろうと思いながら書いたのですが、 でも、質問させていただいて、良かったです。 わたしも、少しづつこの状態に慣れてきました。 わが家族だけに起こった事ではない。 多くの方が同じような境遇で、悩み悩み、選択をし、看取っておられる。 逆に、なぜ、いままでわたしは見ていなかったのだろう?と 自分の無関心ぶりに恥ずかしく情けない思いがいたします。 「悔いを残されないように」というお言葉、たいへん胸にしみます。

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