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人は自分をどこまで犠牲にできるのか

広くご意見を頂きたいと思います。 最近、事情があって自分のこと以上に両親のことを考える(考えないといけない)状況になりました。 今、結婚を控えているのですが、普通なら一番浮き足立った時期なのでしょうがそういう気分ではありません。 人は一体どこまで自分を犠牲にすることができるのか、客観的なご意見を聞きたくなりました。 例えば、親のためなら○○までなら犠牲にすることができる、配偶者のためなら(彼・彼女)のためなら○○までなら犠牲にできる・・・・ 犠牲というと語弊があるかもしれませんが、わかりやすい表現なためあえて使わせていただきました。 よろしくおねがいします。

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  • tomoji
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回答No.5

犠牲という言葉に惑わされずに考えると・・・これは犠牲或いは、どこまで身を削れるかという事じゃないかと思いますがいかがでしょう? 抽象的な言い方になりますが、自分が大切なものを守る為には、その大切さに比例して身を削れるのだと思います。 例えば親の面倒を見なくてはならない状況ができたとして、自分が他にやりたい事があったとします。自分にとって大切なのが「親」という存在ではなく、親を守るという意識であった場合は親の面倒を見るでしょうし、逆に自分がやりたい事を守る意識が強い場合はそのやりたい事の為には身を削れるのだと思います。 船が難破して救命ボートに乗るとします。しかし救命ボートの数が足りなくて犠牲になる人が出てくる場合、私は船に残ることを選択すると思います。それは自分がそういうスタンスでありたいと思うからであって決して身を削るとか犠牲になってると感じるものではないのでしょうけど、そんな感じです。 んー、上手に表現できませんが、対象によって変わる部分は当然あるでしょうけれど(例えば親や妻のためなら・・という部分)、自分の生きるスタンスに関わってくる問題だと思いますよ。 ですから私は誰かの命を助ける為なら命を張りたいとも思いますし、自分の信念、スタンスを守る為なら身を削りたいと思います。

0705yk
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに言いかえれば「身を削れる」という表現はかなり近いものがありますね。

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回答No.6

犠牲になる程度は、 「犠牲になることで自分がどれくらい得するか」にかかっていると 思います。 得する、ということの具体的な例をいうと、 ・親から認められ、ありがたがられることで気持ちが安定する ・自分の愛する家族が幸せな顔をするのを見て気分がよくなる ・周囲から尊敬される ・自分で、犠牲となっている自分を高く評価できる ・犠牲となることで、お金や住居など物理的に得るものがある こんなかんじです。 以上は、+の方向に考えたのですが、たとえば逆に ・犠牲にならなければ周囲から非難・阻害され居場所を失う というような、マイナスの要素によって 犠牲とならざるを得ない場合もあって、これは不運としかいいようがない。 プラスの方向で、精神的・物理的に得るものがありそうなら、私は それに応じた苦労はつらい気持ちを持たずに実行できると思います。 マイナスの要素で犠牲となることを要求されたら、逃げちゃう。。

0705yk
質問者

お礼

ありがとうございます。 自分としては損得勘定をしているつもりはないんですが、もしかしたら気持ちのどこかでは、そういう場面に遭遇したとき、そう感じながら行動しているのかもしれないと、はっとさせられました。 自分の身を呈して、自分のことを後回しにしても・・というニュアンスで犠牲という表現を使いましたが、そういう対象はやはり自分がとても大事にしている人や仕事などになると思います。 なのでできれば損得勘定を抜きにしたいとは思っているのですが・・

  • dryad
  • ベストアンサー率30% (24/78)
回答No.4

 まず一般的な見方で考えてみて……  その主体者の、「対象」への関心の度合いによる、と思います。  つまり、自分の持つ何よりもそれらを「対象」に捧げる事の方が主体者にとって価値がある場合は、どこまでも捧げる事も主体者には可能でしょう。  逆に、「何よりも大事」と定めたものを持っている人は他のことにそこまでの関心はないでしょうし、極端な場合は生命が滅亡して自分独りが地上唯一の生物になろうとも、純粋にそれで満足、ということも考えられます。  実際的にはその極端な例の間で微妙に揺れ動いている場合がほとんどだと思います。  わたしは独身時代は自分の命にも人生そのものにも、それ以上の価値を見出せることになら捧げてもかまわないと思っていました。  でも、たいていは何に対しても捧げる事は無駄無益か効果薄な事と見えたので、実行に踏切る事はありませんでしたが。(たとえば当時興味を持ったあるボランティア活動にしても、自分一人の生計をたてながらでは無理がありました。生活できなくては継続的活動も無理ですし、、というわけで断念したことは多いです。)  結婚して育児中の身となって、、そう、まず結婚するにあたりそれまでの職も住環境も放棄しましたし、実家に戻って婿取りして両親と過ごすなんて可能性も消えましたし、出産にあたっては生命の危険すら感じました。はたから見たらいろいろ「捧げた」「犠牲にした」形かもしれません。  でも、彼とともに生きていたいと思ったのは自分だし、両親も結果的に諦めがつく範囲とわたしは判断しましたし、また出産する体験への好奇心も自分にありましたし。  やはりこれは自分の希望の道なのだと思います。  栄誉の為、名声の為、自分の理想の為、愛する者の住環境を守る為……  あるいは痛みや恐怖・不利益などから逃げる為、その場しのぎの為であろうとも。  本人が選ぶ道である以上は、やはり本人が「そうでない道」と引換に「満足への可能性」という利益?も受けとっていると思います。  0705ykさんもいろいろな可能性を引換にして、ひとつの可能性を選んでいらっしゃる時なのですね。  どうぞ、失われる可能性のぶんもお幸せになられますように☆  

0705yk
質問者

お礼

ありがとうございました。 >実際的にはその極端な例の間で微妙に揺れ動いている場合がほとんどだと思います。 その通りでしょうね・・・。 自分の幸せ=同時に家族も幸せ、という図式を考えていた矢先のことだったので、それがバランスを崩し始めたときに、ふと、考えてしまいました。

  • rakki
  • ベストアンサー率47% (662/1392)
回答No.3

私は親になった時から自分の使命は、子が親となれるように導いてゆくことだと思っています。 言い換えれば『種の保存』の役目を滞りなく果たすと言うことです。 カマキリのオスは、交尾のあとメスのえさとなります。 立派に種の保存に役立っていると思います。 人間はどのように振舞えば人という種の保存に役立つでしょうか。 私はいつでもカマキリのオスになれる心の用意ができています。 過去に多くの質問に種の保存の視点から回答させていただきましたが、そのひとつとして参考URLのNo4などをご覧下さい。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=172133
0705yk
質問者

お礼

参考URL,拝見致しました。 ありがとうございました。

回答No.2

「犠牲になる」とか「尽くす」というのは自分の正直な感情ではないと思います。 このような気持ちをもって家族に接しても、「してやっている」になり結局は上手くいかなくなってしまうと思います。 またご両親の世代だとそれが当然と考えるでしょう。 やはり時間をかけてでもお互い話し合っていくべきと思いますよ。 自分はこうしたいと告げ、ご両親の希望も聞き、その中で妥協点を探していくのが、今後のためにもいいかと思います。 自分の希望も取り入れて、お互い納得したものになれば「犠牲になる」感情はなくなると思います。 大事なご両親と大事な恋人なのですから、末永く仲良くやっていきたいじゃないですか。 ご両親も息子が真剣に将来を考えていると、聞く耳を持ってくれると思います。 ご自分ひとりで全部背負わないで、とにかく話し合うことが解決への糸口だと思います。

0705yk
質問者

補足

ありがとうございます。 いろいろご意見頂いたのは嬉しいのですが、私自身の背景を話さなかったほうがよかったですね・・ わたしのことは単に「人は~」を考えることになったきっかけについて話したまでのことで、自分自身の事はもう解決ができています。 わたしのことを相談したかったのではないので、タイトル通りの質問についてお尋ねしたいと思っています。 繰り返しますが、「犠牲」というとやや恩着せがましい感じがあって語弊がありますが、ニュアンスをご考慮下さい。 ちなみにわたしは女性です。

noname#1583
noname#1583
回答No.1

ご質問の趣旨は分かりますが、ちょっと難しいかもしれませんね。 物事の価値は人によって大きく違いますので、画一的に論じることができないのではないかと思います。 例えば、「親のために●×を犠牲にできる」ということについて考えてみます。 結婚することを人生最大の喜びとし何にも代えがたいものと思っている人が、「親のためなら結婚も諦める」と言った時の事の大きさと、もともと大して結婚に興味が無い人が、「親のために結婚しない」って言ったのとでは大きく意味合いが変わりますよね。 それぞれの考えの背後を説明してもらった上での回答なら、ある程度は推測できると思いますが、かえって混乱してしまうかも…。 ちなみに、私は両親の面倒を最後までみるつもりでいます。 ですので、結婚相手は私の両親と同居してくれる人を望んでいます。 それが得られなければ、結婚しなくていいと思っていますよ。 幸い、こんな条件でも良いと言ってくれる人がいますが、万が一、この先に家庭か両親かという選択を迫られることがありましたら、迷わず両親をとると思います。 ただ、もともと結婚に対して興味は薄いです。子供も作るつもりはありません。 ですから、本当に心から結婚を望んでいる人と比べたら、諦めるものの大きさは全然違うでしょうね。 私の中に大きな迷いや葛藤といったものは、無いんです。 色々と難しい問題だと思いますが、頑張ってください!

0705yk
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに人それぞれの価値観がありますよね。 その価値観の違いを充分にわかった上で、その価値観の違いも含めてお聞きしたいと思い質問しました。 自分自身の問題はあくまで質問のきっかけです。 ありがとうございました。