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靖国問題を落ち着いて考えたい
小泉首相が靖国神社に参拝して、また内外で物議を醸しています。 正直、いいのか悪いのか判断しかねているのが正直なところです。 どこか、落ち着いて自分の頭でこの問題を考えるためによいサイトや本があれば教えて下さい。
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質問者が選んだベストアンサー
『靖国神社をどう考えるか?―公式参拝の是非をめぐって』(小学館文庫¥476)なんていかがでしょうか。
- 参考URL:
- http://www.shogakukan.co.jp/
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- ma1025
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日本人と中国人とでは考え方にかなり差があるみたいですね。 やはり、やった側とやられた側の違いでしょうか。 いじめでも、やった側は余り覚えてない事が多いし、何も感じないことがありますが、やられた側は憎しみや悔しさが残ります。 そんな事が下記URLを見て感じました。
お礼
参考URL(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/5018/023.txt)見ました。この日中関係を語るめるまがの中である中国の人による靖国について面白い投稿?記事がありました。 要約すると、「一般的な中国人にとって靖国神社とは悪魔が祀ってある墓場なのです。」、「日本の急進的な人たちは靖国神社を大日本帝国の栄光の象徴として、第二次世界大戦の英雄を祀っている場所としてみなしています。」という前提を出発点に、靖国に祀られている大東亜戦争の「英雄」は「栄光」から程遠いもので、真の「栄光」は戦後の経済復興を成し遂げた人たちであり、栄光の象徴として靖国を捉えるのは間違いであるという主張であるかと思います。 正直、彼(女)の前提に違和感を感じました。日本の若い人は、靖国神社を大日本帝国の栄光の象徴とみなしているのでしょうか。靖国神社の問題は、英雄や栄光という類のハナシではないのではないでしょうか。この問題は、日本人が無意識?に抱いている「死んだらみなカミさま」というアニミズムの思想と深く関係しているように思えてなりません。しかし、これが理解されず、いかにも唯一絶対神を崇め奉るような印象をもたれているように思います。英雄とか栄光という言葉もその辺の認識のギャップに起因するように思います。 また、靖国の議論を第二次世界大戦だけに向けることも問題を包括的に捉えることを妨げていると思います。 靖国神社で祀られているのは、第二次世界大戦で斃れた人たちだけでありません。この辺の事実を踏まえつつ、大きな枠組みで考えていきたいと思います。
- birth1123
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#1です。その本は、賛否両論を2名づつ記載していたので選びました。一方的な意見は、nadachi999さんの判断に何らかの影響を与えかねないと思いましたので。 私もこの件につきましては意見を持っていますが、ここでは触れません。私は、意見の押し付けは良くないと思い、あえて前回の回答でも意見は述べませんでした。 ぜひ、じっくりと両論を読んで、適切な判断を下していただけたら幸いです。どちらにしても、現状のまま触れずにおくことは許されないとは思いますから。
お礼
いろいろ考えるツールを下さりありがとうございます。 靖国の問題は、相反する二つのグループが、別の次元でそれぞれの論理を構築してしまっているため、かみ合わないのだと感じています。 しかし、どちらの議論も説得的でありません。 でも少しずつ、問題の本質が見えてきたような気もします。 ありがとうございました。
- sdamau
- ベストアンサー率7% (7/95)
とりあえず、一度行ってみたらどうでしょうか。 なんか兵器が敷地に陳列してあって、平和祈念では無いような気がしますが。
お礼
ありがとうございます。 消極的平和と戦争ではやはり前者がよいのでしょうか。
- NAATAN
- ベストアンサー率33% (57/170)
難しいですね。 私はこの問題に私なりの考えがありますが、恐らく一方的な見方だと思います。 書物やましてサイトとなると、そこには何らかの意図が必ずあるはずです。 よくお分かりになっているとは思いますが、この問題はそれぞれに意見があり、それがかみ合うことは永遠にないと思います。(これも、偏向した意見かも知れませんが) あえて言うなら、過去の新聞記事等の中で、事実(判断が難しいかも知れませんが)を記載した部分だけを箇条書きにして、KJ法等の分析手法を使って問題点を洗い出すのが、一番冷静に考えることが出来る方法かも知れません。
お礼
ありがとうございます。そうですね。歴史認識の共有を期待するのは、間違いであるとおもいます。事実から問題を洗い出すその方法しかないかもしれません。
- zawazawa
- ベストアンサー率0% (0/2)
私も日本の総理大臣の靖国神社参拝についての是非を、 自分の言葉で明確にできなかった一人です。 ところが、先日、映画「日本鬼子/リーベンクイズ」を 観てからはっきりと分かりました。 この映画は松田稔という監督が、実在の元日本兵14人に 自分達が中国で何をしたかという事実を語ってもらうという 記録映画です。 内容を書くと長くなるので省きますが、私達の祖父や父が 中国人に対して犯した罪の酷さに震えました。若い女性を 強姦した後、その肉を切り刻んで軍の食用に提出したなどと いう事実が語られるのです。 被爆国日本という被害国としての声は挙げても、中国他の 国々に対して残虐行為の数々を行った、加害国としての声を 全く挙げないのが私たちの国です。 一度も正式に謝ったことのない国の総理が、戦犯も祀られて いる靖国神社へ参拝するのは、彼の国の人々に泥をかけるような ものです。 断じて間違っています。どうしても参拝するというなら、 過去の行為を謝罪してからするべきだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。その映画はまだ見たことがないので、見てみたいと思います。ただ、一言だけ感想を。 「鬼子」という表現は、日中戦争で使われていた日本人の蔑称ではなかったでしょうか。例えが適切ではないかもしれませんが、「じゃっぷ」という表現に通ずるものがあるように感じます。また、肉を切り刻んで食用に供するなどの処刑の方法は、中国の歴史によく登場するもので、日本的ではないようにも思います。だからと言って、絶対に日本人がそのようなことをしなかったとは言い切れないのも事実です。「証言」の扱いの難しさを感じます。 それから、一度も正式に謝罪したことがないというのも事実誤認ではないでしょうか。日本の総理大臣は、何度も謝罪をしています。タイ、カンボジア、マレーシアなどの国からは、もう謝らなくていいとまで言われています。 ただ、謝罪をしていないとしても、それをもってなぜ靖国神社に参拝してはならないのか、分かりません。この論理だと謝罪さえすれば、参拝してよいということになります。うまくいえませんが、これはちょっと違うような気がします。 被害者としての日本と加害者としての日本という二つの側面を認識する必要性は、おっしゃるとおりです。そのためには、憎しみとか悔しさとかの感情を排除し、可能な限り「客観的」なアプローチで、歴史を認識する努力をする必要があると思います。戦争が終わって、50年以上の年月がたちました。感情を排して、この問題を歴史学の俎上に乗せてもよいのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。買って、勉強します。