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シャイニングのラスト
今更ですが、シャイニング見ました。 非常に楽しめましたが、ラストの写真がどういう意味なのか理解できませんでした。 ホテルのオーナーらしき人物の顔が、ジャックニコルソンになっていたと思うのですが、どういう意味なんでしょう?
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ジャックニコルソン扮する作家は死後めでたく?このホテルに棲みついている代々の悪霊達の仲間入りを果たし、このホテルでまた誰かを迎えようとしている……ということではないでしょうか。 というか何の疑問ももたずそう思っていました。
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- PEPSI
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僕も少し補足を 映画のタイトルになっている「シャイニング」とはジャックトランス(ジャックニコルソン)の子供もつ、霊を見たり感じたり、そしてそれと対峙することのできる(今は未熟なので霊を討ち滅ぼすことは出来ない)能力のことです。小説では「かがやき」と表現されています。それは黒人のジャックハローランも持っており、ジャックトランスもわずかですがもっています。(ただしトランスはその自覚は無し。) 霊たちはその子供を取り込むことでさらに力を増したいと思っていたので一家をホテルへと招き寄せました。 Sキングが「映画シャイニングはエンジンのない高級車だ」とひどく揶揄するのはその少年の能力「シャイニング」の要素を切り捨てて(まるっきり切り捨てているわけではないですけどそれをメインにはしていない。)「屋形の霊に翻弄される親子」というストーリーにしているためです。 僕はSキングがすごいファンですが映画シャイニングに関しては「悪い映画」とはちっとも思わないどころか「傑作」と思っています。 質問の答えに関しては僕もNo2さんの意見に賛成。
お礼
キューブリックのシャイニングと キングの作り直した作品は、かなり内容が違うようですね。 機会があったら見てみます。 有難うございました。
- psss
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単なる補足知識です。 「2001」の元になったのはクラーク短編「前哨」で、監督はクラークをブレーンとして、映画の構想を練り、一つの出来事を別の角度から見た作品として、小説版と映画版があるので、同名の小説は映画の原作というわけではありません。 その証拠に、その後、何作も続いている続編小説は、設定を映画版に合わせてしまっています。 また、「時計仕掛けのオレンジ」などは、完全映像化、といってもいいほど原作のまんまです。よくある時間の制約による省略なども、ほとんどありませんし、見た後、全く同じ感触を受けます。あれはあれで、ものすごいことだと思いますね。 シャイニングのラストについては、私はNo.2の方と同意見です。
お礼
2001年、先週見直しました。 68年に製作されたとは思えないほどのクオリティー。 見入ってしまいました。 今更キューブリックに目覚めるとは、、、 長生きして欲しかったっす。 有難うございました。
- tom17
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「シャイニング」ですか、たしかオープニングのびどうだにしない空撮で話題になったとも記憶しています。 あのラストの同じ顔の写真は、写真のオーナーの霊がジャックニコルソンふんする作家をよびよせた。また、同じ顔の作家はあのホテルに行くべくして行った。 さらにはジャックニコルソンはあのホテルで殺人をするべくして生まれた、以前のオーナーの生まれかわりだと思います。 ビデオやポスターになっているジャックニコルソンの斧を持ったあの顔、頭から離れません。「アイム ホ~ム」?「アイム ヒヤ~」でしたっけ?
お礼
斧を持ったあの顔、、、怖かった。 幽霊より生きている人間の方がやはり怖いですねぇ。 怖さも面白さも演出しだいですね。 有難うございました。
同じ疑問はずっと持ってました。最後のクローズアップで「凍死した」J.ニコルソン役の主人公と同じ顔が、昔のホテルのオーナーと同じという奴ですね! 日本版では、カットされたという部分もビデオで観ましたが、疑問の参考にはなりませんでした。 推測: (1) 作家役のニコルソンが、スランプ状態になるのと同時に「ホテルの元オーナー」が憑依した。心霊でいう「憑いた」という説。 (2) 作家役のニコルソンは、実は「元ホテルのオーナー」の生れ変りか子孫で、作家役のニコルソンもその「因縁」でホテルの募集に採用された。(心霊風に言えば「前世・先祖の因縁で引っ張られて」来た。偶然では無く。 以上の2つしか解釈の仕方は無いと思います。両者とも共通するのは写真の元オーナー時代に惨劇が(殺人)が起きたという設定。ただ、ニコルソンがホテルの募集採用時に「前任者が、やはり家族を殺した事件があるが構わないか?」と訊かれるシーンがあり、それだと(2)の生れ変り説は矛盾(前任者もあの写真のオーナーと同じ顔だったのか?前任者の更に生れ変りがニコルソンだと時間的に合わないし…。)或いは、前任者も、やはりあの写真に写っている(元オーナー以外の)別の人の生れ変りか子孫という解釈。(あの写真が撮られた時代に惨劇が起き、写真に写ってる人の生れ変りや子孫が今後も、やはりホテルに(引っ張られて来て)惨劇を繰り返す。 また、(1)だと単なる「憑依」だけ説では、顔が同じ事の説明が着かない。 こういう解釈をしてると何か空しいですね!当時原作者のS.キングは「キューブリック監督は、作品を理解していない」と批判し、後日自作を監督したりもしました。ただ、キューブリック自身は「原作」なんかどうでイイと考えてる節はある。『2001年宇宙の旅』が原作無視のいい例でしょう。『シャイニング』なんてかえってラストは無い方が良い感じもするのに(あの「意味ありげな写真」と凍りついたニコルソンのシーンで何か滑稽なマイナスの印象が残る。) 結論: 釈然としないが、『S.キューブリックの映画』として映像美を楽しめばよく、結末は(監督自身も)どうでもよかった。または、体裁だけでもと適当&こういう疑問が残るようなラストにした。(墓場の中で『この映画のラストの解釈をまだやっとるわい!ヒヒヒ!』と笑ってるのかも…。)元々傑作揃いなのに「ラストは腰砕け」のが多いから、単純に映像やカメラワーク(自分のような素人でも面白がる『シャイニング』なら庭園迷路の箇所など)にしか興味が無い人だったのでは?「時計仕掛けのオレンジ」もラストは「なんだコリャ!?」でしょう?そう思いませんか?
お礼
子供のころは、キューブリック作品の面白さを理解できませんでした。 今はかなり好きです。 映像がすばらしいですよね。 解釈は2の次にしています。 有難うございました。
お礼
やはりそれですかね。 有難うございました。