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クリスチャンの彼から別れを告げられました。
はじめまして。 私は一年前に洗礼を受けた23歳(女)です。 この間、付き合っていた彼の彼から突然別れて欲しいといわれました。 私はその時非常に混乱してしまい、彼に対して憎しみの心を持ってしまいました。 その後彼に別れたい理由などを聞きたいと思って連絡しましたが、まったく音信普通になってしまいました。 このままでは埒があかないと思い、直接話してみると本当に別人のように冷たくなっていました。 私は今通っている教会が好きです。 しかし彼がいるとなると冷静な心で神様を賛美することはできませんし、 何より冷たい態度をとられることが辛くてなりません。 今後私はどのようにしていけばいいでしょうか? また、このような状況のときどのような祈りを神様にすればいいのでしょうか? ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。
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クリスチャンホーム育ちのおじさんクリスチャンです。 教会といえど、人の集まりなので色んなことがありますよね。 中学生の頃、やはり同じ教会に通っていた同い年の友達が「クリスチャンなのに対立があったり、いざこざがあったりして嫌だ!」と言って教会から離れたことがありました。中高生の頃って特に正義感が強いから、そういうことを考えるわけです。 でもそのとき、自分が母親に言われたのが「そういう人間だから神様に繋がっていなくてはいけないのだよ!」てことでした。 別にクリスチャンだからといって皆が聖人君子でないのは当り前ですし、憎しみを持ったり、人を裏切ってしまったり、そういうことはあります。 でもだから、クリスチャンにとって大切なのは“そういう自分を認めたたうえで、神様の前に全て投げ出せる”ということなのではないかと自分は考えます。 お辛いとは思いますが、これも神様が用意された“なにか”なのかも知れません。もしかしたら、今までの質問者さんの教会生活に彼は大きな位置を占めていたのかもしれませんが、最もベースになる“神と自分”という部分に今一度立ち返ってみたらいいと思います。 抽象的なことばかり書き連ねましたが、自分も教会での人間関係に躓いたとき、暫く人の少ない夕礼拝に参加して自分にとっての“信仰”というのを見つめ直した時期もあったので、参考までに‥。
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- mtbyc
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お気持ちよくわかります。あなたの純粋な心と辛い気持ちが一日も早く楽になられるようにお祈りいたします。 ただ、私自身は幸福の科学の信者なのでクリスチャンではありませんが、あなたと同じように、主なる神やイエス・キリストを信じる立場で、アドバイスさせていただきたいと思います。 聖書の言葉によれば「信仰には試しがある」そうです。たとえば、旧約聖書のヨブ記はお読みになったでしょうか?ヨブは大変信仰深い人で繁栄しておりましたが、子どもが死んだり、財産(羊だったと思います)を失ったり、身体に腫れ物ができる病気になったりして、次々と不幸が訪れるという話があります。ヨブのように、自分が幸福なときに神様を信じるのは簡単なことなのですが、自分が不幸で、苦しいときにその信仰を守るのは、とても難しいことなのです。 考えてみれば、太陽があり、水があり、空気があり、日々の糧があり、今日も命があるということだけでも、本当は神様に感謝するべきことです。もし、電気代みたいに、太陽の光の請求書が神様から来たらどうしますか?みんな破産してしまいます。 だけど、神様は何も言わずに、たださんさんと太陽の光を下さっていますね。たいていの人はその恵みを忘れています。そして足りないことばかりを嘆くのですね。これは人間の側の問題なのです。 感謝とは何かと言えば、「幸福のセンサー」です。幸福を感じる力のことを感謝といいます。感謝が強い人ほど、神様の愛を感じることができます。だから心から他の人を愛することができるのです。 今、あなたは失恋を通して、「幸福のセンサー」を鍛えていただいているわけです。これが「信仰の試し」の本質だと思います。その中で神様を信じきることができれば、あなたは愛の人になれるのだと思いますよ。だから、あなたはまず、日々さまざまなものを与えられていることを神に感謝するべきだと思います。 次に「憎しみ」の本質について考えてみましょう。憎しみとは何かというと、相手に対して「自分の思うとおりに動いてほしい」と思う気持ちなのです。ところが相手がそのとおり動いてくれないから、憎しみの気持ちが生まれてくるのです。これは相手に愛を与えているのではなくて、相手から愛を奪おうとしているのです。 愛を与えると人間は幸福になります。なぜなら、もちろんレベルは違いますが、神様やイエス様と同じ気持ちになれるからです。だから、純粋に人に愛を与えると人間は幸福になるのです。 反対に愛を奪おうとすると、最大の不幸が訪れます。それは、相手の自由を奪い、鳥かごの中に小鳥を閉じこめて可愛がるような愛し方だからです。小鳥にとっては窮屈ですし、あなたもいつ小鳥が逃げるか気が気でないのです。そして実際に逃げられると悲しくてしかたがないのです。しかし、本当の愛とは相手を縛ることではありません。相手を自由に野に解き放つことなのです。 これはあくまでも私の想像なので、違うかもしれませんが、彼があなたと距離を置いた理由は、宗教的に「男女交際は罪だ」と考えたからではないかと思います。確かに、パウロなどは「できれば結婚はしないほうがよい」と(ローマ人への手紙だったでしょうか?)で述べていたと思いますが、旧約聖書の「雅歌」には男女の愛の素晴らしさが書かれています。 もちろん男女交際が「奪う愛」になると、心に罪を作ることも多いでしょう。しかし基本的には神様は、男女が正しい交際をして、一緒によい家庭を作ることを願われているはずです。「産めよ、増やせよ」というのが、基本的な神様の御心のはずです。 まだ彼はそのあたりの区別が十分整理できていないのだと思います。 だから、あなたは彼の心の整理ができるまで、待ってあげてほしいと思います。もしかしたら、彼とあなたとは今後縁がないかもしれませんが、それでも彼が幸福になることを祈ってあげてほしいと思います。 私も、あなたが幸福になられることを、心よりお祈りいたします。
第一ヨハネへの手紙(福音書のヨハネではない)の冒頭を中心に全体をお読みください。 罪の告白について語っています。相手がどうであれ、あなた自身に憎しみの心があるのは、罪です。神様にお祈りし、赦していただきましょう。そして、心が平安であるようにお祈りしてください。 神は義であるので、イエス・キリストの血によってあなたを清めることができます。そうすれば、神は光であるので、あなたの心に暗闇はありません。
お礼
回答ありがとうございます。 さっそく第一ヨハネを読みました。 本当に私は罪の塊だと感じました。 祈ります。ひたすら祈ります。
- atom_leo
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一年前に洗礼を受けたばかりでは仕方がないかとも思いますが、 どんな状態であれ、神様を賛美できない、というのはクリスチャンの姿勢とは違うと思いますよ。 苦しい時にあってこそ、神を賛美する。 聖書の中のヨブ記をお読みになると良いでしょう。 ひょっとしたら質問者様は、付き合っていた彼がクリスチャンだったから、教会にいくようになられたのではありませんか? きっかけはなんにせよ、“今通っている教会が好き”ということは、 神様を信じるお気持ちはあると思われますので、もう一度、なぜ自分は洗礼を受けたのかを考えてみたらいかがでしょうか? “他人を許す”ということは、クリスチャンにとってとても大切な心の持ち方ですよ。 あなたがクリスチャンでなければこのようには申しませんが、 クリスチャンであられると言う事なので、祈りの仕方としては、 「別れた彼が幸せになりますように」とお祈りするのが模範的なクリスチャンの祈り方だと思います。 始めは苦しいと思いますが、相手を許す事によって自らも救われる事は多々あります。 あなたに神のご加護を。 アーメン
お礼
回答ありがとうございます。 苦しいときこそ神を賛美する…根本的なことを忘れていた気がします。 ヨブ記をよくよく読み直してみようと思います。 神を信じるきっかけになったのは、私は愛されているんだということがはっきりとわかったからであって、付き合っていた彼とは関係ありませんでした。 彼を許す祈りは今の私にはとてもとても苦しいです。 でも神にすべてをゆだねて祈ることにします。
辛い気持ちをお察しします。でも洗礼を受けたクリスチャンがこのような質問をされるのは驚きです。結婚関係以外での親密な男女関係について聖書はなんと言っているでしょうか?「惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ人は自分の撒いているものを刈り取るのです」と聖書に書かれていませんか?教会にいる間だけクリスチャンで一歩外に出るとまったくの「世の人」になっていないですか?このまま姑息(根本的な解決を求めない)なクリスチャン人生を送るなら、神を賛美することなど出来るわけがありませんね。もういちどよーく考え直してください。あなたがクリスチャンであるなら聖書にその答えがありますよ。聖書を良く調べなさい
お礼
回答ありがとうございます。 neko-tabii様が仰るとおり、世の人になっていたと思います。 聖書をよく読み、牧師先生によく相談してみます。
神父様にご相談してみてはどうでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、まずは相談してみることにします。
お礼
回答ありがとうございます。 神様に繋がっていないと、本当に俗的な考えしか出来なくなってしまいました。 彼と別れたのはとても辛いことですが、私もこの出来事が神様が与えられたなにかだと思います。 神様と自分の時間を大切にしていかなくてはと思いました。 神様にすべてをゆだねて祈っていきます。