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この常識そのものが、、
正直、この質問をどのカテゴリでさせていただくのが適切か分からなかったのですが、このカテゴリが一番適切だと判断し質問させていただきます。(本来ならメディアなのかも) 質問の旨は、社会のアダルトのあり方です。 いわゆる女優と呼ばれる人々はそうならざるを得ない悲しい環境で育ってきた人々、また、悲しい環境で育っていなくとも、人生に生きづまり「女優」になってしまった人もいるのでしょう。 そんな悲しい状況下で、(もちろん価値観はそれぞれですが、それでも基本的に)彼女達はそれなりに人生を捨てている、捨てざるを得ないのだと思います。 そんな人を欲のままに金で買い、いわゆる遊び道具とする・・・。 この常識どう思いますか?
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- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
質問者の方は、おそらく実際のデータを調べずに、感情だけで物事を議論しているように思います。 まずは、No.3の方が進める書籍を読んで、現実の性産業に携わる人の実態がどうなのか、きちんと認識すべきでしょう。 >現代では生きていけないほど貧乏でもないのに不幸だという人は大勢いる >と思います。僕が言いたい女性はそんな人々も含めてですね。 もちろん、そういう女性に対しては、私も同情します。 ですが、私が調べた範囲でも、そうでない女性の方がはるかに多いのが実情でした。 世界中どの国にも売春に携わる女性はいますが、No.3の方が民俗学的な見地で考察しているように、日本には性に関する独特な風習があったことも事実です。 とにかく、物事を自分の主観だけで捉えずに、きちんと実情を客観的に把握してから、再度この問題を考えることをオススメします。
- tewpi
- ベストアンサー率36% (255/707)
価値観の相違ですな アダルト女優が人生に行き詰まってるとも、人生を捨てているとも思いません もしその経験が元で、社会で不遇な目に合うことがあるとするなら、それは出演者本人の問題では無く、そのように扱う社会の方の問題でしょう >欲のままに金で買い、いわゆる遊び道具とする これも価値観の相違です アダルト女優として仕事をしている女優に対し遊び道具と思ってません ただ騒いでいるだけの芸人や、「キャラクター」なんて訳分からないものを素質と評価し、特に優れた演技力や歌唱力も無い「タレント」とか言う肩書きの芸能人なんかより、私は「美」や「エロさ」という才能を持ったアダルト女優の方がよっぽど尊敬出来ますので もし芸をしている映像を見ることそのものが「遊び道具としている」とするなら、タレントが滑った転んだしているのを見て笑い転げるのを見ることも「遊び道具としている、不道徳な行為」なのですか? そうでないなら、この二つについて、タレントの芸を見ることは遊び道具としていることにはならず、アダルト女優の芸を見ることは「遊び道具とする」ことになってしまう根拠をお聞かせ願いたいものです
お礼
回答ありがとうございます。 好き好んで女優業をされるのはどうでもいいことなのですが、そうでない場合価値観のレベルではないと感じます >もし芸をしている映像を見ることそのものが「遊び道具としている」とするなら、タレントが滑った転んだしているのを見て笑い転げるのを見ることも「遊び道具としている、不道徳な行為」なのですか? 言葉が悪いですが、タレントを楽しむことはタレント自身が好きでやっている場合、遊び道具と捉えて問題ないのではないでしょうか? ただ、タレント本人がタレント業を好きでしているのではなく、心になんらかのマイナス要素の複雑な事情を抱えてそれをしていたなら、それを遊び道具と捉えてはいけないと感じます。
- Antithese
- ベストアンサー率33% (202/606)
現在”性”を商売にしている女性にそんな”かわいそう”な人なんてほとんどいないでしょう。 昔と違い、今はどんなに不幸な状況でも抜け出すチャンスは与えられています。親の借金は(相続を放棄すれば)子が負う必要はないですし、自分の借金にしても(自業自得ですが)自己破産という手があります。生活できなければ生活保護を受けることだってできる。脅されてるなら警察に届ければいい(監禁されていたら話は別ですが、それでも客に訴えるという手もあります)。 中には無知だったりして半ば騙されるようにそういう仕事に就くこともあるかもしれませんが、嫌なら止めるチャンスもいくらでもあるはずです。 現在そうした仕事についている女性は自分の仕事に誇りを持っているか、お金のために割り切っているか、または自分の不幸に酔いしれているかのどれかでしょう。 最近過去の出来事と現代の事情、過去の時代背景と現代の倫理などがごっちゃになってしまっている人をよく見かけます(多いのは過去の出来事を、その時代背景を無視して現代の倫理観で批判する人)。 確かに昔、貧乏のため遊女として売られた女性は”かわいそう”ですが、当時はそうしなければ一家まとめて餓死するか、そうならないために間引きされるか、そんな時代だったことは無視できません。 現代では前述の通り、そんな事情はありません。彼女たちは彼女たちなりの理由と倫理観で働いているのです。 それを”かわいそう”と思うのなら、彼女たちのために客になってあげるもよし、そうした産業に対してボイコットするもよし、自分の倫理観に従って行動すればいいでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 >現在そうした仕事についている女性は自分の仕事に誇りを持っているか、お金のために割り切っているか、または自分の不幸に酔いしれているかのどれかでしょう。 仕事に誇りを持っている方は問題ないと思います。 ただ、のこりの二つについてそれが蔓延している社会は問題あると思います。 過去には過去なりの不幸(飯に直接的に関わってくる等だと思います) 現代には現代なりの不幸(飯に直接的に関わってこない、しかし見えにくい心の問題) それぞれあると思います。 性産業は、その時代の女性達の苦痛の叫びが反映されているとも言えるのではないでしょうか?
それって常識なんでしょうか^^; 昔は生きる為、生活の為という女性も確かにいたと思いますが、今どれだけの女性がそうゆう状況で働いているのでしょうか。 お金の為で働く人が多いと思いますけど。
お礼
回答ありがとうございます。 常識っていうと語弊ですかね。。でも、一般的には普通のことなのではないでしょうか?
売春の社会史 という本が筑摩書房から出ています。 一読されてはどうでしょうか? とりあえず日本では 都市部では遊郭、農村部では若衆宿、娘宿が性的役割を担っていたと 柳田国男や赤松啓介の研究でわかっています。 つまり必要な存在なのではないかと私は思います。 さらに私の記憶では 戦後、遊郭の廃止に伴い恐らくは金銭的な問題のためかと思われますが遊女たちは抗議運動さえもしたと聞きます。 このことは 体を売る職業というのは現実的には社会には必要な職業だと遊女たち自信もプライドがあることを示唆している例ではないかと考えます。 従って >そんな人を欲のままに金で買い、いわゆる遊び道具とする・・・。 このことについては私は無関心です。 怨むべきは産業構造ではないですか? しかしながら、 確率的になるほど、確かに彼女たちは不幸な境遇かもしれない。 しかし、そういう職業について罪悪感にさいなまれている人を 救えばいいのであって、 私は自信を持って性産業にたずさわっている人は無条件に尊敬します。 ただ、誤解なきよう申しあげれば私も自己の倫理観があるので 性産業の人と恋愛する気にはなれません。
お礼
回答ありがとうございました。 >怨むべきは産業構造ではないですか? 根本的にはそうですね。 >私は自信を持って性産業にたずさわっている人は無条件に尊敬します。 つまり極端に例えれば性をスポーツと捉え「たとえ上っ面であれど美しい性の行いを披露する」という技、それに全うする人間を尊敬すると言うことでしょうか? 人それぞれ価値観というものがあるため、これにどうこう言うことはできません。 ただ、好き好んで女優を全うしている方と、 いわゆる性産業に携わざるをえなかったり、環境に恵まれなく精神的に健全でない人、(つまり自分でも気づいているかいないか微妙な、心の底では救いを求める人) この2パターン、これらがごっちゃになっているのが、現代の生産業の女優と呼ばれる人たちだと思います。 そこで、僕はこれらの後者を対象にこの質問をしています。 説明不足でしたらスミマセンでした。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
戦前、遊郭に売られていった貧しく悲惨な女性たちと、生きていけないほど貧乏でもないのに、自由意志で性を売る女性を混同していませんか? 前者には同情の念が尽きませんが、後者については呆れるしかないというのが正直なところです。 (そういうお前は聖人君子かと言われると、そうでもないのが実情ですが……)
お礼
>生きていけないほど貧乏でもないのに、自由意志で性を売る女性を混同していませんか? 現代では生きていけないほど貧乏でもないのに不幸だという人は大勢いると思います。僕が言いたい女性はそんな人々も含めてですね。
補足
回答ありがとうございます。
そんな常識無いでしょう 金で買わなければいいだけ
お礼
回答ありがとうございます。 常識とまではいきませんかね。。 金で買わなければ良い・・・本当に同感です。
お礼
回答ありがとうございます。 僕は実際データを調べた訳ではありません、そういう意味で書籍を読むことをするべきですね。 >もちろん、そういう女性に対しては、私も同情します。 ですが、私が調べた範囲でも、そうでない女性の方がはるかに多いのが実情でした。 そうですか。 例えれば、いわゆる女優をスポーツ的感覚と捉えている人が多いのですね。 ただ、どのラインから不幸とするかはとても微妙ですし(例えば女優をスポーツ的感覚と捉えている人の幸せ、不幸の判断の微妙)少なくとも愛を知って幸せな暮らしを満喫している、もしくはそれを強く望んでいる人が女優へと変貌していくとは考えにくいです。 データなどで考えが変わる事はあり得ますが、