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精神を病んだ人より、それを踏みにじる健常者が怖い
最近よく思うのです。 精神を病んだ人は皆それなりに理由があります。 器質的な障害、生育歴、人生の失敗。成功によって病んでしまう人もいるそうですね。 もちろんそんな事は他人様の知ったことではなく「理解してくれ!」と声高に叫んでも虚しいだけなのですが、理解どころか「キ○ガイ(削除されるかもしれないので伏字にしました)」と罵ったり更に鞭打つようなことを言う人が居ます。 理解できないことは責めません。ただ理解できないのなら、そのつもりもないのなら放っておいて欲しいと思うのです。 特にネットでそれは顕著に現れ、もうどっちが病んでいるのか分からないような状態に酷く困惑しています。 ネットで凶暴性を剥き出しにして他者を攻撃したくなる気持ち、分からなくはありません。でも実際にそうするのと思いとどまるのとでは雲泥の差があると思うのです。 ちょっと趣旨が分かりづらい質問になってしまったかと思い申し訳ありませんが、「そういう健常者の人々」を本当に健常者と捉えるべきなのかということなのです。 皆誰もが心に闇を抱えています。しかし、その抑制が効かない人を果たして「正常」と認識していいものなのか。 もしそれが正常なのだとしたら私は今より少し人間に絶望してしまいそうです。
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ネットと言うのはいわゆる異次元空間であり、本当の自分を出せる唯一の場所である所に原因があるような気がします。 私も鬱ですが、ネット上で人の意見に反論し、罵倒・卑下するものもよく見かけますが、確かに悲しい事ではあります。 でも、私の場合は「無知さが生んだ言葉だ」と捉えるようにしています。 無知って事ほど怖いものはありません。 知ったかぶりをして、自分の本性丸出しにして相手の事等一切考えずに物事を書いて知らん振りですからね。 ネットの中ではみんな正常であり、異常でもあります。それが混在しているのがこのネットと言う異世界の特徴だと思います。 だからこそ、ネチケットというルールがあるのですが、自己満足主義の方にはこれさえも通用しないのが悲しい現実ですね。 障害者の方(私もですが)の方がはるかに常識をわきまえ、礼儀正しい方が多いのは一つの救いであると捕らえても宜しいのではないでしょうか?
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初めまして、うつ病20年のおじさんです。 私も同感です。 「仕事が出来ないなら辞めてくれ」とはっきり言われました。 しかも、辞表には「一身上の都合により、退職を許可願います。…」と書かされました。 結局、人数の多い人達の方が正常で、少ない(病者)方が異常と扱わられる社会だな と思いました。 例えば、極端な話、其の人数が逆転すれば「病者が正常、普通の人が例えば仕事中毒の異常者」と成るかも知れません。 従って、何を持って「正常・異常」と分類するかの問題であると、私は割り切って「自分の考え方・気持ちの方向が正しい」と考えて行動すれば、他人が例えば非難すれば自分の理論で対応しています。 其れが、其の人にとって異常と写るかどうかまでは考えて居りません。 其処まで気にしていたら、多分自分のうつ病は、悪化するでしょう。 以上、纏りの無い話と成ってしまいましたが、私の考え方です。 ご参考に成れば、幸いです。 ご自愛の程、宜しく。
お礼
そこまで超然としていられたらいいのですが。 なんとか自分の気持ちをコントロールしてみます。
世界が狂っているのかオレが狂っているのか。私も前に悩みましたが結論的には世界が狂っています。もしくは狂っているのが世界なのです。まあ世界というのは大げさですが少なくとも現代の日本は大多数のどうしようもない人たちで構成されています。俳優の天本英世さんはある時、この調子で日本にあわせていても仕方がない、オレの残りの人生が無駄になってしまう、と思って、スペインに行ってしまったそうです。なんかその気持ち分かります。ちょっと余談な部分もありますが回答してみました。
お礼
天本さんの話、聞いたことがあります。 スペインにでも行けたら良いのですが、やっぱりこの世界で生きていかなくてはいけないのですね・・・。
- rittyanhom
- ベストアンサー率13% (13/100)
私も同感です。 なった人にしかこの苦痛はわかりません。 ましてまだまだ偏見に満ちた世の中です。 誰で傷つくことがあるはずなのです。 ただ耐えられる苦痛と、耐えられないものの境界はその方ご自身なのです。 今は心療内科、精神病院なども増えていますが、一番の無理解は家族でしょう。 たとえば認知症、一番最後に気付くのは家族です。 そう、信じたくは無いのでしょう。 正常と異常の区別などはありえないのです。 投薬で症状が緩和されている人は、正常に見えるだけ、そして誰がいつ罹るかは分からないのが、心の病です。 私をPTSDにした人は、自己愛性人格障害者、病人でしたが、自覚が無いだけ悪質でした。
お礼
わからないならわからないでかまいません。 私もきっとならないと分からなかったし他の病気の方のことはわかりませんから。 ただ、それを責め苛むという行為はもう病的としか言いようがありませんよね。 で、誰しもそういう面があるとは思うのですが実際にやる人とやらない人が居ます。 でも双方ともにネット以外の現実世界では常識を持った人として活動しているはずです。 人は等しく病んでいるとするならそういうものだとも思えますが、病んでいない人もいるわけで、そこに人間の本質的な恐ろしさを感じます。
- an1
- ベストアンサー率29% (32/108)
お気持ちよくわかります。ちなみに、私は鬱病治療中です。 私が毎月楽しみに読んでいる月刊誌があります。それはとある新聞社が発行しているものです。 数ヶ月前、その月刊誌を読んでいたところ、投稿欄に次のような投稿が掲載されていました。 「私の義父が鬱から躁鬱になった。はっきり言って気持ち悪い。私の実家側に精神病の人がいなくてよかった。でも義父を温かく見守っていこうと思う」というものです。 後半部分は非常に前向きだと思うのですが、問題は前半部分です。 「はっきり言って気持ち悪い」 「私の実家側に精神病の人がいなくてよかった」 この発言に非常に驚き、悲しくなりました。 いまだにこういうことを平気で言う人がいるのですね。 しかも残念だったのは、編集部がこの投稿をそのまま掲載したことです。訂正やカットもせずに。 この編集部の対応には怒りすら感じました。 そこで私は抗議の投書を送りました(といってもそんなに大げさなものではないのですが)。 それから数ヶ月経ち、今月号が発売されていますが、その雑誌の今月号の特集は、鬱病です。 読みましたが、非常にわかりやすく、よい特集でした。 この雑誌がますます大好きになりました。 精神疾患に関してはまだまだ偏見が多いと思います。 特集を組んで啓蒙しているマスコミもありますが、そのマスコミでさえ↑のような対応しかできないところもあります。 この国ってまだ未熟なんだなぁと思いました。 でも、上記の雑誌が鬱の特集を組んだように、未熟でも変わることができると思います。 いい方向へ変わるといいですね。
お礼
マスコミですらそんな認識なんですね。 悲しくなります。 ただ、その後の対応は素晴らしくそこに一縷の希望が見えますね。
自分よりも社会に適合できない人間を罵倒するのは、今の競争社会に問題があるからだと思いますよ。 それだけ人の心、とりわけ若い世代の心が病んでいるんだと思います。 何しろ最近の社会は「今こそ自己実現が可能な時代だ」、「やりたいことを仕事にできる、企業家になろう」といった夢のような話しばかりですからね。 でも実際はそんなのウソ。社会に出てみれば一目瞭然でしょ。 どこへ行こうとややこしい人間関係に疲れますし、我慢ばかり。 なので、今の若者には「こんなはずじゃなかった」という不満が渦巻いているのではないでしょうか。 誰もが社会で成功できる機会を平等に与えられた社会というのは、 勝つ者には優越感を、負けた者には屈辱感を与えますよね。 夢と現実とのギャップでもがいている人達は欲求不満だらけ。 そのはけ口をネットに求めてもおかしくはないでしょう。 ネットなら素性はばれないし。 悪いものを悪い、おかしい者をおかしいといって何が悪い。という正論を掲げて・・・ってことなんでしょうね。 言いたいことを言って相手を攻撃するのは気分がすっきりしますよね。 子供のころ、子猫を棒でつついたり、昆虫を溺れさせたり足をもぎ取っていると、いつの間にか快感に変わるという体験は誰にでもあると思うし。 それだけ人を苛めることに快感を感じる社会になりつつあるのかもしれません。 人には良識がありますが、自分達の正当性を主張し、戦争によって反対勢力を大虐殺するのもまた人間でしょ? 人間に絶望するというより、そういう人の邪悪な面を引き出している現実社会に危機感を持つべきなのかもしれませんよ。 自分の身が危険にさらされれば人は容易に変わりますし、モラルや常識は社会が平和でなければ存在しませんから。 強い者の主張がまかり通る世の中になっているのなら、強い者には相談しないことかなあ。 笑顔を持った人に相談に行くことでしょうね。ただし、ネットでは残念ながら相手の表情までは判らないので・・・ ネットを利用するなら、それなりに割り切らないといけないんじゃないかなあと思います。
お礼
そうですね。人間の本質はずっと変わらず、ただ環境は人を変えるという真理はありますね。 人間はきっとこれからも変わっていくことは難しいでしょうから環境を変えないといけないということでしょうか。 そして私のような人間にはネットは少々過酷なようです。 ここも安全なように見えてそうではなかったように、匿名性がある場所に安全なんてないのでしょう。 ただ、それでも得るものの方がまだ大きいと私は判断していますのでここのご厄介になることもありますが。 ここはまだ浅瀬のようなものですね。溺れることもありますが死ぬ可能性はぐっと低いです。
- HPLC
- ベストアンサー率22% (280/1224)
参考意見です。 私はギターを弾きますが、良く障害者や精神を病んでしまった人たちの施設で演奏をする事があります。 今までそういう人たちと接してきて特に感じるのは、非常に心が純粋な人たち・・という事です。 ある施設での演奏会の帰り、メンバー5人と駐車場に止めた車のところへ戻ったときバケツとブラシをもった人が立っているんです。その施設の入居者でした。歳は40歳ぐらいでしょうか・・「車洗っておいたよ」って笑顔で言うんですよ。一人で車5台洗ってくれたんです。他の皆が演奏会のレクリェーションで楽しんでいる間に・・・身も心もまるで純粋無垢な少年なんです。もう涙がでましたよ。 果たしてこの人達を障害者と呼べるのか・・その時感じましたね。 私の人生において私を傷つけるのはいつも健常者です。
お礼
そういうこともありますよね。 そうでないこともありますよね。 結局他の方もおっしゃるように白黒つけること自体無理なのでしょう。 ただ自分の中において何が真実なのか、それは体験でしか得られないですよね。
- snorrons
- ベストアンサー率32% (9/28)
気質的な疾患以外のいわゆる内因の精神疾患は、その人の今までの物の捉え方や成育環境などの集大成で、ふとしたキッカケで発症してしまうことがおおいですよね。でも、ひどい言い方かもしれませんが、それはなるべくしてなった、発症するべくしして発症したのだと思います。 病気になることは決して喜ぶべきことではありませんが、卑下することではありません。今までの自分を振り返り、人生の休憩ができる機会でもあるんです。というか、そういう考え方もたなけりゃ、やってられません。周りの理不尽なプレッシャーのせいで、なんで弱い立場がさらに増幅されなきゃならないのか。愚痴をいえばキリがないです。 健常者と障害者、それはただの言葉遊びで、そこになんの規定もないし、分ける意味すら、よくよく考えてみると、ただのご都合主義です。 よく、普通・ふつう・フツーっていいますけど、じゃあ、それってなんなんでしょうか。私は平凡で退屈なルーチンワークの中にしか存在しないと思います。平凡で退屈で毎度毎度同じだから普通なんです。 普通が正常だとするなら、そんなん面白くないです。色々いるから面白いんじゃないでしょうか。白黒付ける必要なんてないと思います。みんなグレーゾーンなんです。たぶん。 本人が困らない限り障害にはなりませんし、それを憂いてもしかたのないことです。個人の問題ですから。たとえ、人格障害のような人間関係を破壊するような人が病識がなくとも、まわりまわって、その人は困難を抱えることは明白です。 いろいろ書いてしまいましたが、私は正常じゃないほうが好きです。正しいなんて、誰が決めたかわからないものに囚われるより、フツーじゃないのを楽しみたいです。
お礼
ありがとうございます。 確かに全ては個性と捉えることもできますね。 ただ、実生活では良識人を装いネットでは人を人とも思わない罵詈雑言を吐くという人間の二面性は恐ろしいなと思いまして。 病気で善悪の是非弁別がつかないならある意味納得も出来るのですが、悪を悪だと分かっていてなおかつそれを躊躇無く実行できる「正気の悪人」というものほど人間の尊厳を真っ向から否定するものはないのではないでしょうか。 人間の良心や理性の脆弱性をネット社会はこれでもかというほどストレートな形で我々に提示します。 昔からその性質は変わっていないとは思うのですが、そういうどす黒い渦に巻き込まれてしまう機会は増えましたよね・・。
今の世の中、本当に「正常な人間」は居ないと思っています。 病名が付けられた人は逆にラッキーな人であって、病名が付かない「正常に見えるらしい人」が大半です。本人が「病気だ」と自覚していても病名がつけてもらえない場合もあるし、他人が「アイツは病気だ」と判りきっていても本人が医療機関に行かなければ絶対に病名は付きません。 自分で正常という人ほど正常から遠いような気がします。 酔っ払いが「酔ってない・飲んでない」というのと同じです。 健常者って…手足や目や耳が不自由が無い ということでいいのでは? 頭の中までは 健常なのか異常なのかは 見た目では判断できませんから…
お礼
でも結局自分を疑う人は誠実に自分と向き合った結果病んでしまいがちですよね・・・・。 自分の闇と向き合ってなお病まない術を知りたいものです。 「気付かないこと」が一番幸せなのかなと思い、しかしそれは同時にさびしいなとも思うのですが・・・。
お礼
全ての障害者がそうではないですが、痛みを知っている人は優しい人が多いですね。 ネットというやりたい放題の場だからこそ人間性が試されていると思います。