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対戦の敵国なのになぜ新米国家なのか

第二次世界大戦において、アメリカは日本の敵国であり、鬼畜米英と唱えていたはずなのに、戦後はどうして親米国家となったのでしょうか。朝鮮戦争がターニングポイントとなっていると習いましたが、実感がわきません。 少なくとも当時の日本人の気質「恥を知る」ということと矛盾しているように思うのですが。そのあたりを日本人のメンタリティーの変化を知りたいのです。

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  • kotohime7
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.5

>日本人のメンタリティーの変化を知りたいのです。 連合艦隊司令長官山本五十六氏も海軍武官時代にはアメリカに留学していましたし、国際的な視野をもった多くの日本人はアメリカがどのような国であるかということはよく知っていました。 しかし戦時中、「鬼畜米英」と日本中が唱えていたので、もし日本が戦争に負けたら、女性は強姦され、男性は殺されたり強制労働をさせられたりと、精神的にも肉体的にも日本国民はアメリカに蹂躙されるであろうと信じていた日本国民は多くいました。むしろそのように思っていた人が国民の大半だったろうと思います。 愛する人をそんなめに合わせる訳には行かないと、多くの若い兵士が自分の命を投げ出して死んでいったわけです。 しかしアメリカに占領されたところ、アメリカ兵は優しかった。恐れていたことはなかったわけです。(多くのアメリカ兵士がいるわけですから全く無かったわけではありませんが、アメリカとして日本を蹂躙することはなかったわけです) ここで多くの日本人は気が付いたのだと思います。 もしこれがソ連に占領されていたらどうだったでしょう。 事実、多くの日本人がソ連兵によって蹂躙され、シベリアに送られ強制労働をさせられたわけですから、日本人はアメリカという国とソ連という国がどう違うか目のあたりにしたわけです。 当然一気に親米国家になっていたものと思います。 私も朝鮮戦争が親米になっていったターニングポイントだという説は違うと思います。 アメリカは日本を独立国として扱い、沖縄も返還しました。が、ソ連はいったん奪ったものは二度と返すことはしません。 >少なくとも当時の日本人の気質「恥を知る」ということと矛盾しているように思うのですが。 「恥を知る」ということと、事実を知ったということは無関係になったわけです。

jazzneko
質問者

お礼

ありがとうございます。非常によく理解できます。山本五十六長官がアメリカ留学経験者とは知りませんでした。庶民のメンタリティーの変化ということとで質問させていただいたのですが、戦争に参加した山本氏等の当事者はどういう気持ちでその任を遂行したのか、そちらにも興味が湧いてきました。 また庶民の無知というと語弊がありますが、「教育」といういうものは力があるものなのですね。

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その他の回答 (13)

回答No.3

・公に近い意見を知るには、政治家、政党、歴史研究家、教育関係者に聞かれては、いかがでしょうか?

jazzneko
質問者

お礼

ありががとうございます。一般庶民の考えを知りたかったのでそれには及びません。

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noname#37852
noname#37852
回答No.2

読んだ話で、なるほどなと思ったのは、戦前は別にアメリカもイギリスも嫌いでなくて、第二次大戦中だけ「鬼畜米英」だったから、戦時中に教育を受けた子供や若者は別として、大人世代はわりとすぐ元に戻っちゃったのだ、という話です。 戦前はジャズを聴いたり、フランスに画家が留学してたり、米国や英国に留学していた良家の子女がいたりしたんですよね。 戦時中はジャズマンがジャズ演奏を禁じられたりして。 昨日雑誌で見て「へえー」と思ったのは(えーと、『文藝春秋』9月号のグラビアです)戦争柄の着物(!)というやつで、日露戦争だか何か、とにかく第二次大戦前の戦争で日本が勝ったときに作られた着物の帯のお太鼓の部分に英文が来るようになってるデザイン。 その頃は英語は「敵性言語」じゃなかったのですね。 まあ、私もよく知らないんですけれども。

jazzneko
質問者

お礼

ありがとうございます。そういえばそうですよね。野球とかも戦前からあったわけだし。第二次世界大戦中だけ「鬼畜米英」だったのですぐに戻ったとは・・・!目からウロコです。

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  • merlionXX
  • ベストアンサー率48% (1930/4007)
回答No.1

第二次世界大戦では、日本はやむを得ず米英と戦うことになりましたが、それ以前は日本は日英同盟以来親英、そして親米の国でした。 戦時中、「鬼畜米英」なるスローガンは掲げられましたがあれは戦意高揚のたてまえと一般庶民は戦時中に教育を受けた子供をのぞきみな理解していました。 「昨日の敵は今日の友」、これも日本人の気質「恥を知る」ということとけして矛盾はしていないと思いますが。 敗戦当時、負けたことが恥とは誰も思いませんでした。日本はアメリカの「物量」に負けたと考えたからです。ですから戦後の日本はひたすら「物量」を目標に経済成長に励んだわけです。

jazzneko
質問者

お礼

ありがとうございます。教科書で習うより非常に説得力があります。昨日の友は今日の敵という状況に追い込む戦争って恐ろしいものなのだと改めて思いました。

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