• 締切済み

「犬猫の里親」をやめさせるには?

最近このサイトをきっかけに知ったのですが、犬や猫等のペットの譲渡の時に「里親・里子」と言う言葉を使わないでと訴えている方たちがいます。 http://foster-family.jp/ 簡単に里親制度と言うものを説明いたしますと、親がなんらかの理由で養育できなくなった子供(里子)を、里親となる人が一時的に(18~20才程度まで)養育するという制度です。 あくまでも一時的に養育するだけであって、基本的に養子とは違うものです。 http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv04/index.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%AA 「ペットに里親・里子を使用しないで」と言う訴えの趣旨は、里子の子供達が「僕(私)はこの家にもらわれたの?」とか(実際にそのようなこともあるのでしょうが)「犬猫のように捨てられたの?」と傷つく事があるからだそうです。 私自身もこのことを知ってから、間違った用法で里親・里子と書いてあるたびに違和感を感じるようになりました。 ここのサイト(OkKWave/教えてgoo)を見ても、インターネットで「里親」と検索してみても、現状では「犬(猫)の里親探し」、「子犬(子猫)を里子に出す」という言葉は普通に使われてしまっているようです。それどころか里親と言えばペットの方が優位になってしまっている状況です。 なんとか、間違った使い方(本当の里子が傷つかないように)、「ペットの里親・里子」と言う言葉が使われないように改善する方法はないでしょうか?

みんなの回答

回答No.12

>「ペットに里親・里子を使用しないで」と言う訴えの趣旨は、里子の子供達が「僕(私)はこの家にもらわれたの?」 事実ですからしかたがないと思います。それをごまかしたり、里子という言葉の性にして責任をどこかにすりかえようとするほうが間違っていると感じます。 >「犬猫のように捨てられたの?」と傷つく事があるからだそうです。 では質問しますが、犬猫は捨てられてもいいとおっしゃるのですか?もし子供がそういったのであれば教育している人間の方に問題があると思います。 このことを容認する、つまり、犬猫は【一般常識で考えれば良く捨てられる頻度が高い】と子供の認識にあるのが常識と考えられます。それは子どもが人間よりも動物につかう用語として認識している点からそう判断できます。ではどうしてこういった認識になるのでしょう?そのように教育された。またはその教育の過程で誤りを訂正できなかったからです。育て親がその事を間違っていると教えていれば同じ意味でとらえても傷つくことはないはずです。子どもの認識に里親という意味がどういった用途で使われるのか考えれば間違った認識に発展する事はないハズです。犬猫だって出産という言葉をつかいます。人間も出産という言葉をつかいますが、犬猫に別の用語を使う必要はないはずです。犬猫に出産という言葉が使われているからやめる必要はありますか?そんなことはないはずです。問題は教育する側の姿勢です。 そもそもそんな事を述べる人は犬や猫の事を人間以下と考えていませんか?同じ命ですよ!命の大切さに上下関係はないでしょう。私はそういった意見を強行に実行しようとしている人間達の方が動物よりも本当に残酷な生き物だと感じます。そこには動物は話せない、意味が分からないから何をしても大丈夫と人間側の都合しか背後に感じないからです。もし立場が逆だったら傷つく事でしょう?本当の意味で動物の気持ちになったことはありますか?ないからこうして質問できるのだと思いますが。

aptiva
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 #事実ですからしかたがないと思います。 認識がちょっと違います。あくまでも里親制度と言うのは、一時的に里親家庭で養育をすることであって、養子とは違ってそこの家の子どもになるわけではないです。里親にはその子に対する親権もないのです。 その点だけご認識ください。 #つまり、犬猫は【一般常識で考えれば良く捨てられる頻度が高い】と子供の認識にあるのが常識と考えられます。 これは事実だと思います。人間と比べれば頻度は高いでしょう。ですので、 #犬猫は捨てられてもいいとおっしゃるのですか? この考えに結びつくのは飛躍だと思います。もちろん良いわけがありませんよ。 #そもそもそんな事を述べる人は犬や猫の事を人間以下と考えていませんか?同じ命ですよ!命の大切さに上下関係はないでしょう。 人間と動物の命なら人間の命が優先するのはしょうがないと思います。 私たちは動物の命をいただいて生活しています。もちろん、命の尊厳は大事にして無駄な殺生はしないようにしています。 ただ、自分たちの生活を脅かすもの(蚊やゴキブリ等)については命を奪ってしまうこともあります。なので、絶対的に人間の命と動物の命の重さが同じとは私は言えません。(ちょっと話がそれてしまいました。) ただ、No.11のお礼にも書きましたが、命の重さを比べてこのようなことを言っているのではなく、傷つく子どもへの配慮ができないものか?と言うのが趣旨です。 sity-bluckさんがおっしゃられるように、周りの大人達の教育も大切だと思います。

  • -kamu-
  • ベストアンサー率31% (16/51)
回答No.11

何度か、このような啓発のサイトを見に行っていたことがあります。 私は、犬や猫の「里親」を探すことの多い立場で、 現在もその表現を用いています。 時代と共に、言葉は変わるし、意味もかわる、というのはもっともだと思います。 しかし、あなた方の訴えるように、実際に傷つく方がおられるのも、また現実です。 ところが、啓発サイトの数々をみていると、 どうしても極論や過激さを感じてしまいます。 意見の相違には、「どうせあんたには分からない」という結論がいつも用意されていて、譲歩もないし、話し合いにならない。 彼らの主張は、「犬猫に使わせない」という一点で、それ以外の選択肢はなく、それ以外の方法は、拒絶されるだけでした。 我々犬猫ボランティアと言われている者達にとって、 彼らの、「人間優先」だとか「犬猫のように」という表現は、 我々が、奪われる命をつなぎ止めたいと必死になっている対象に対して、「所詮畜生」と言われているように捉えられ、我々が、不愉快です。 また、このような主張をしているのは、傷ついた本人達ではなく、その周りにいる大人達です。 彼らを引き取り、育てていく大人達が、言葉一つ表現一つに、過敏になることが、果たして、子供達に悪影響でないかと、逆に心配にもなります。 「自分たちも犬猫のように捨てられたのか」と傷つく子供達の前で、「動物であれ、人であれ、命を粗末にする事は良いことではない」と諭すことをせず、「ペットと一緒にするな。」とさわげば、むしろ、彼らの傷や疑問を、確信に変えるのではないかと、思うのです。 以前、見ていたサイトでは、 『犬を貰うように簡単に人の子を引き取れるわけではないのに、一緒にするな』という表現がありました。 私にすれば、犬を引き取るも、人の子を引き取るも、決して簡単ではないと思うし、それぞれが、それぞれの問題を持った上で、十分に考慮され、決断を出し、責任を負っていくものだとも思うのです。 要するに、犬や猫に里親・里子という表現を使う立場としては、 命の重きを区別される為だけに、表現の間違いと指摘されるなら、単に不愉快であるし、むしろ、そのような価値観で人の里親となる方々の教育には、疑問を感じます。 どなたかが申しておられましたが、 どうしても納得行かないのであれば、 世間で定着したものを変えるよりも、 新たな表現を当てはめる方が、より手っ取り早く確実かと思います。

aptiva
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 私は里親でも里子でもありませんので実際の里親・里子さん達の心の中まではわかりません。 ただ、里親さんにしろ犬猫ボランティアさんにしろ、どちらもなかなかできないことだと思ってます。 #命の重きを区別される為だけに、表現の間違いと指摘されるなら うーん、私としてはそういう気持ちではないですね。正直に申しますと人間の命と動物の命が同じ重さだとは思いませんが、それが理由ではありません。 ただ、質問のように受け止める子どももいるだろうから、配慮できるならしてあげた方が良いと思っています。

  • rosquilla
  • ベストアンサー率35% (261/740)
回答No.10

実際に里子という言葉に傷ついているお子さんがいるのでしょうか。犬や猫に里親里子という言葉を使っている事を子供が知っても、何らかの事情で生まれた家庭を離れて他の家庭で暮らす場合に使う言葉として認識すると思います。 周りの方や里親さんが問題視しているだけではないのでしょうか。 もしお子さんが「犬や猫と一緒なの?」「もらわれた子の?」と言って来たとしてそれに対して適切に受け答えのできない大人のほうが問題だと思います。 昔あるハーフの女優さんが子供の頃の話をしていました。彼女は「や~い。あいのこ」と学校で毎日のようにからかわれていました。ある日泣いて帰ってきた彼女にお母さんは「そうよ。お父さんとお母さんの愛の子だからあいのこでいいでしょ。」と言ったそうです。周りの人間はそうやって差別から守っていくべきではないでしょうか。言葉の問題ではないと思います。 犬や猫だって愛情を持って新しい家庭で暮らすのですから同じ言葉を使っても問題がないと思います。それを問題視するのなら今度は動物愛護団体からのクレームが入るのでは? 本来の意味と違うといったってそんなのは屁理屈です。逆に屁理屈で返せば動物の寿命から言って育てる期間は18~20年と同じくらいもしくはそれ以下。人間は成人すれば自立できます。犬猫はどうでしょうか。大人になったら捨てるのですか?本来生涯養育しますよね。犬や猫は養子にはできません、戸籍がないです。 黒人のメイドの絵を見れば奴隷制度を連想すると問題視しますが、白人のメイドだっています。そう連想すること自体が差別です。 里親里子の問題も同じではないでしょうか。 やたらと何でも問題にする人が多いです。

aptiva
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 #もしお子さんが「犬や猫と一緒なの?」「もらわれた子の?」と言って来たとしてそれに対して適切に受け答えのできない大人のほうが問題だと思います。 心が強い人ばかりではないと思います。思いを外にぶつけられない子どももいるでしょう。そのような子どもに配慮があっても良いかと思います。 #それを問題視するのなら今度は動物愛護団体からのクレームが入るのでは? ペットを育ててくれる人の募集をしないで、と言っているわけではないですから、クレームが来るとは思えませんが‥‥。 私もその活動をされている方は良く頑張っておられるなと思います。ご自身の時間を投げ打ってまで、なかなか出来ないことだと思います。 #犬や猫は養子にはできません、戸籍がないです。 よく考えると養子と言う言葉の方が本来の意味に近いですね。実際に親子のように思ってペットを飼う人には、「里親・里子」よりも正しい感覚の言葉だと思います。

noname#78390
noname#78390
回答No.9

かわりの言葉があってそれがしっくり来るならそちらを使うんじゃないですか。 なのでこちらで新しい呼び方を募集するとか。 実は知らないだけで新しい呼び方があるかも知れません。 犬の里親もただ単に育てられない犬を他人に押し付けるのに自分の気持ちが軽くなるように里親と言っている、無責任さを感じます。

aptiva
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 新しい呼び名が流行ればそちらが使われるようになるでしょうね。 ただ、情緒的に訴えるのに「里親・里子」と言う言葉が使いやすいのでしょうね。

noname#22222
noname#22222
回答No.8

Q、「ペットの里親・里子」と言う言葉が使われないように改善する方法はないでしょうか? A、有効な方法はないし、また、その必要もありません。 犬や猫等のペットの譲渡の時に「里親・里子」と言う言葉を使わないで! 一見、もっともな主張ですが、正論ではありません。 「里親・里子」の用法をクローズアップするのは明らかに間違いです。 「子供たちが傷つく」を大義名分に論は展開されています。 しかし、かような情緒的で感情的な論陣は、残念ながら、決して運動の輪を広げることに寄与しないでしょう。 論者の言いたい事は判ります。 が、現在進行しつつある子供の虐待問題の解決は、里親制度の欧米化が主たるテーマではありません。 あくまでも、社会的な矛盾の吹き溜まりという観点での問題提起が先行すべきです。 多くのニートが発生しつつあります。 また、正社員の賃金の数割という劣悪な条件化での派遣社員も増大の一歩を辿っています。 どんな環境下でも、人は恋をします。すれば、子が出来ます。 だが、そういう若い夫婦の周りは、欲望を掻き立てる宣伝の洪水で満たされています。 サラ金のコマーシャルは、これでもかという現実。 日々植えつけられる「欲望」との戦いに敗れる親が続出するのも当たり前です。 生活が荒れれば子育ても荒れます。 「未来は青年のもの!」-明らかに、こう断言できない社会へと突き進んでいます。 この時、個々人の「里親・里子」の用法が問題になり得るか? 否です。 問題からフォーカスがずれるという懸念さえあります。 個々人の感情の処し方は、慎重にあるべきです。 *まあ、「ペットの里親・里子」という用法に神経を尖らさない一助になれば幸いです。 *なお、論争する気はありません。 *ただの暴論として読み捨てて下さい。

aptiva
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • hisuke
  • ベストアンサー率36% (123/335)
回答No.7

間違った日本語の使い方で、傷ついてしまう方々が居るのは、本当に悲しい事だと思います。 やはり、里親里子という短い単語で意味を表せる(昔からの使い方によって)立場を明確に出来る点において、動物の新しい家庭(飼い主)を探す際に便利だった事、また里親里子の言葉の持つイメージが(保護主が我が子のように大切に養育してきた)などの動物を託す上での、保護主の思いなどが込められているようにも思います。 ここ半年前より、okwaveでもそのような回答などを見ていましたので使いませんが疑問には感じていました。 里親里子という言葉を動物で使用しないようになくしても、 「僕(私)はこの家にもらわれたの?」「犬猫のように捨てられたの?」 大人や里親側がしっかりとケアするべきですよね。 子供たちの投げかけについて、言葉をなくせば解決するんでしょうか。 大きな団体や地自体では、この活動によって使われなくなっています。それはそれで良いでしょう。 でも、犬や猫も大切な命なんだという事、簡単に託したわけではない事を教えなければ。 子供たちが大人になり、次世代に引き継がれていく時に、犬猫ごときと命を軽視した人にはなって欲しくないと思います。 犬猫を簡単に捨てる人も居るでしょう。 でも子供たちの言う「犬猫のように捨てられたの?」をそのままにしていいんですか。 大人になり、犬猫を簡単に捨てるイメージを持たせたままで。 それは、逆でも同じ事ですよね。 新しい家族として、例え大きな病気になろうとも、家族として受け入れていこう、そうであって欲しいと思っています。 より密接に生活してきたので、動物たちを擬人化し過ぎな私ですが、やはり今保健所で40万頭の動物たちが処分されている中で、甥や姪の時代には少しでも減って欲しいと願っています。 言葉も大事ですが、真意を伝える事を優先しなければいけないと思います。 また、言葉に出来ない子供たちも居るので、将来的にはなくなった方が良い単語だとは思いますが、現時点ではしっかりわかるように説明していくのが、大人や里親の努めではないですか?

aptiva
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 #また、言葉に出来ない子供たちも居るので、将来的にはなくなった方が良い単語だとは思いますが、現時点ではしっかりわかるように説明していくのが、大人や里親の努めではないですか? 誤解があると思いますが、里子は捨て犬や捨て猫のように人間の意志によってなくせるものではありません。 すべての里子が親の虐待や捨て子などによって里子になるわけではありません。両親と死別してしまって里子になる子もいます。 また、里親の元に行けない子供たちは施設で養育されます。里親の元で暮らせるのが良いか施設で生活するのが良いか、当人達ではないのでわかりませんが、どちらにしても幸せになってほしいと思います。

回答No.6

度々すみません、No.3です。 No.4の方の回答を拝見し再度回答させて頂きます。 私はyahoo辞書で調べたので人間に対しての言葉だと思ってしまいました。 大辞林ではペットにも当てはまるようです。 よく調べず回答してしまい申し訳ありません。 こうなってしまうと、No.1の方も書かれているように 時代の流れに乗っってしまった言葉なのかもしれません。 ペットが世間での地位があがり人間同様に扱われることが多くなったなら 人間の地位をもっと上げて新しい言葉を作ることも考えなくては ならないかもしれませんね。 ただ、どちらにしてもNo.3で書いたように、知らない人が知り 意識が変わっていくことは良いことだと思います。 全体の意識が高まれば改善策がもっと自然に出てくるかもしれませんね。

aptiva
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 #全体の意識が高まれば改善策がもっと自然に出てくるかもしれませんね。 まずはいろんな人に知っていただくことが大事でしょうね。

回答No.5

こんにちは。 私も、この問題を知った時には、ちょっと考えさせられました。 しかし、申し訳ないですが、今でもこの言葉を、ペットの 譲渡に関しても使わせて貰っています。 そもそも、「ペットの里親、里子」という使われ方を し始めたのがいつのことかは 知りませんが、私が知る限り、20年ほど前には聞いた記憶があります。 今でこそペットの立場は向上していますが、当時は もっと認識が低く、犬猫などを簡単に捨てる人が多かったですよね。 そういった事情から「モノではなく、人の子と同じように 大切にして」という願いを込めて使われるようになったのだろうと思っています。 ペット自身は、どんな言葉を使われようとかまわないでしょうが、 それを引き取る人間にとって「子犬を貰う」と「子犬の里親になる」 では、覚悟が違うのではないか?と思うのです。 これだけ、この言葉が浸透している現在では、#2さんの回答にもあるように、 人間の制度の方の呼び名を考え直すのも一つの方法では無いかと思います。 回答になっていなくてすみません・・・

aptiva
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 #「モノではなく、人の子と同じように大切にして」という願いを込めて使われるようになったのだろうと思っています。 なるほど、そのような考えだったのでしょうか。 #人間の制度の方の呼び名を考え直すのも一つの方法では無いかと思います。 それもひとつの方法なんでしょうね。

  • mukaiyama
  • ベストアンサー率47% (10402/21783)
回答No.4

ご主張はおおむね理解できますが、運動を起すにはやや遅きに失した感があります。 多くの辞書で新語として、犬猫を引取ることを挙げています。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CE%A4%BF%C6&kind=jn&mode=0&base=1&row=0 辞書に取上げられた語句を、今さら覆すのはむつかしいでしょう。 これはまだ辞書にはないと思うのですが、ペットの死を 「亡くなる」 と表現する人がいます。たとえば、 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2330886 いくらペットがかわいくても、人の死と同格ではないでしょう。 もちろん、里親・里子についても、日本語本来の意味を正しく理解し、後世に伝えていこうとする質問者さんのお考えには、諸手を挙げて賛同いたします。

aptiva
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 うーん、遅いのですかね。 でも、いろいろな分野で使われなくなった(配慮した言葉に置き換わった)例もあるのでなんとかなるとも思いますが‥‥。

回答No.3

何度か猫のもらい手を探した経験があります。 でも恥ずかしながら、人間の里親制度に関しては全くといっていいほど 知りませんでしたが、参考URLを拝見し無知とは罪なことだなと思いました。 「里親」という言葉を辞書で調べると、人間に対しての言葉なんだとわかります。 ただ正直な気持ちとして、私ももちろん我が家の犬猫は我が子同然ですし、 現在では動物の権利も人間に近づきつつあるので あまり区別はして欲しくないという気持ちもありますが、 動物より人間の方が思考力があるので、人間の里子の気持ちを考えると やはり真剣に考えなければいけない問題だと思いました。 私も今までは動物に対し、里親・里子という言葉をごく普通に使っていましたが これからは他の言葉を使おうと思います。 ただ参考URLにもあったように、これだけ普及してしまっては 簡単に変えられないと思いますし、方法もこれと言って思い浮かばないのですが 私のように、まず知ることが大事だと思います。 このような掲示板で少しずつでも広めることにより、意識も少しずつ 変わっていくと良いですね。 私もこれから広める努力をしたいと思います。 あと、この掲示板内でもカテゴリによって反応は違うと思います。 意識を変えるには「犬・猫」がいいかもしれませんが 改善策を求めるのでしたら「社会」や「教育」「出産・育児」などの方が より幅広い回答が得られるかもしれません。 回答になってなくてすみませんが、思わず書かせて頂きました・・・

aptiva
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私も最近ここで知るまで、普通に犬猫に対しての里親と言う言葉を使っていました。 カテゴリについてのアドバイスありがとうございました。

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