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つらいことは忘れると唱えると本当に忘れる?
子供の頃の話です。私は苛めに耐え切れず苛めをしました。 チームの指導者は私を責め立てました。我慢できなくて私も苛めを受けていると、本当の事をやっと言ったのに信じてくれず、一年間恐ろしい苛めを指導者やチームメイトから受けました。そんな毎日に耐え切れずに、 「嫌なことは忘れる」と心の中で毎日唱えると昨日の事でも思い出すのが難しくなっていました。何があったのかすらわからなくなりました。 こう言う事ってあるんでしょうか?忘れたから死なずにすんだのだと今になって思えます。忘れなければ確実に自殺していました。 それほど指導者から受けた苛めは凄まじかったです(金属バットで頭をぶん殴られました)。 私は野球をやめました。卒業してからずっと記憶が無かったのですが、最近何故か思い出しました。それで詫び状を書き精神科の先生に相談しに行ったら出す必要なしだそうです。もう指導者も苛めの真実に気づいているにも関わらず、謝って来ないからだそうです。話がそれました。 記憶は忘れると唱えたくらいで、闇の中に葬り去れるような類のものなんでしょうか?私はつらい記憶を忘れると同時に大事なことも忘れていたようです。感謝、思いやり、優しさとかですね。 真実を知った後、指導者も忘れるしか無かったんでしょうか?彼らも忘れると心の中で唱えてごまかすしかなかったのでしょうか?大人五人もいて誰も苛めに気づかなかったのですから。指導者の二人はまだ野球を教えています。
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NO3です。 私が思うのは質問者様は悪くないということです。そして忘れなくては生きていけないくらい辛い思いをしたのだということです。それだけです。それ以外のことは私は詳しい状況までは分からないので、うかつなことは言えません。 今、辛いのだろうと、とても苦しいのだろうと、想像することしかできません。 私は過去の出来事を思い出したとき、最初は呆然としました。感情が自分のものでないような気がしました。その後、葛藤や怒りや後悔や自責や様々な感情が出てきました。とても辛かったです。今でも辛いです。 質問者様は病院には継続して通っていらっしゃるのでしょうか。一人で克服するのは、とても大変だと思います。私は今でも精神科に通院しています。主治医がよく言うのは「答えは自分で見つけるものだ」ということです。 私は最初、加害者に対する怒りの感情さえ表現できませんでした。悔しいとか怒りの感情を表現できるということは、回復のサインなのだそうです。 いつになったら過去のできごとを克服できるのか分かりません。でも私は治療を続けています。それは悔しいからです。過去のできごとに縛られている自分が悔しいからです。信頼している主治医でさえ、私の問題は解決できないと言います。解決するのは私自身なのだと。それを手助けするのが治療者の役目なのだと。 私は、あきらめなければ、きっと過去のできごとを乗り越えられると思います。そして質問者様にも同じことを思います。酷な答えでしょうか?
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質問者様は本当に辛い思いをされたのですね。忘れなくては生きていけなかったのだと思います。多分、忘れるというのは一種の防衛だったのだと思います。 私は学生の頃に性被害を受けました。そのことを10年以上も忘れていました。思い出したのは最近です。私は意識的に忘れようとしたわけではありませんが、無意識に忘れようとしていたのかもしれません。もし、記憶がそのまま残っていたら、質問者様の仰るように死を選んでいたのかもしれません。 質問者様は「詫び状を書き」と仰っていますが、それは誰に対する詫び状なのでしょうか。なぜ詫び状を書かなくてはならないのでしょうか。いじめに耐え切れずいじめをした、それは不可抗力の出来事だったのではないでしょうか。いじめは確かに悪いことかもしれませんが、そうしなければ質問者様は生きていけなかったのではないでしょうか。 それとその指導者のしたことは許されないことだと思います。質問者様は悪くないと思います。 これは私の考えですが、思い出したということは、その出来事を受け入れようとしているのではないかと思います。辛い記憶を乗り越えることができると、心が判断したのかもしれません。質問者様が忘れてしまったと仰る大事なことを思い出すときがきたのかもしれません。 まず自分を大切に、少しずつ思い出したことに向き合っていけることを願っています。
お礼
回答ありがとうございます。 なぜ指導者は謝ってこないのに、野球を教え続けているのかわかりません。なぜ謝れないのかわかりません。卒業してから一年以内に真実はわかっていたはずです。今思い出したのですが、私を冷遇していたいっこしたと二個下は全員野球をやめていました。彼らも意味がわかりません。なぜ謝ってこないのでしょうか?私に復讐されるとおもったのでしょうか?わからないことだらけです。回答者様はわかりますか? 私は彼らのことが全くわかりません。自分のために謝らないのか、それとも謝れないのか、それは相手のためなのか。利己なのか利他なのか。 野球をやめたのは自分のためなのか?訳がわかりませんね。
- siapa
- ベストアンサー率9% (5/51)
内容はおもしろいと言ってはいけないものですが、興味深いことが書かれていたので書きます。自己暗示がうまくいった場合のことが経験としてある人の話と見ました。ただ、そう言い聞かせる、のじゃなくて、唱える、という点が興味をひいた点です。インド起源ですが広く念仏なり唱題なりという形で日本やアジアではこの唱える宗教が普及しています。邪念や危機に際して、唱える、という方法で、この場合は忘れることができたっていうことですね。自分の場合、今までもちろん嫌なことはたくさん経験しましたが、うまく忘れ去っていたはずなのに風邪で高熱の時とか、職場で大失敗をしたときとか、だれかと喧嘩状態に陥ったとかの場合、いきなり夢のような形でそのイヤなことが再現されるのを経験して意識の深さというか人間の深みをのぞきこんだような気がします。この前友人にこのことを話したら「オレはそういう時腹痛かオシッコ我慢できないときどのトイレに行っても先に人がはいてってできない」夢を見るっていってた。(笑)野球指導者の苛めの件は触れませんでした。公園で見ててもつまらない連中が指導してる場合も多いですね。
お礼
すいませんが、雑談してるんじゃないんですよ。 ずいぶん軽薄な方ですね。別に面白い話はしていません。
- honey-tree
- ベストアンサー率23% (37/157)
「忘れろ!」と唱えると忘れるのは自分自身に自己暗示みたいなのをしたからではないでしょうか? 私も苛められた経験があり、家庭環境も複雑で今は本当の友人と呼べる人間は1人くらいしかいませんが、旦那も居ます。 自分の過去に対して、どう処理をするかは人それぞれだと思います。 kagami333さんの様によっぽど辛く思い出したくもなければ忘れるのだってとてもしい方法だと思います。 でも、ふっとした拍子に思い出しても何も怖がる事はないし、意識する事はないと思います。 それはすべて「過去」という記憶になっているのだから・・・。 私も男性不信になるまでの経験をし、警察沙汰にもなり裁判も起こし正直自分の記憶から抹消したい出来事もありました。 それが、母の彼氏だった分母に対する違和感もその頃から付いてしまい。 でも、母一人子一人の私たちはうまくそれを修正しない限りやっていけないと思い私は自分の気持ちを押し殺してまで青春時代を過ごして来ました。 おかげで自分に無理をしてきたツケが今になって体に出てきてしまい。 やっと信頼できる人に巡り会えたのに子供を産む事も結婚当初は反対され4年の歳月が過ぎました。 でも、最近はそういう忘れたくても忘れられない経験は忘れなくても良いと自分で思うようにしました。 それもひっくるめて私と言う一人の人間だと受け入れるようになりました。 正直、結婚してこれから親にもなるかもしれない私はどんな親になるんだろうと不安な時もあります。 でも、「私らしい」親になりたいと思えるのはそういう経験をしたからこそ得られる気持ちだと思いました。 人並みじゃ出来ない経験は自分を成長させてくれる。 それは、自分自身じゃ反吐が出るぐらい嫌なものです。 でも、私はさまざまな経験を若いうちにしたからこそ今があるのだと思います。 自殺だってしょっちゅう考えました。結婚してから病気が発症した時も旦那に泣き叫んで訴えたくらい苦しい気持ちも味わいました。 「生きながら死んでる」と言ったその病気も今では良い経験だと思います。 同じ様なことで苦しんでいる人の気持ちが分かるから・・・。 でも、私は「死のう」と言う気持ちになっても実際は「死にたくはない」と心に決めています。 なぜなら、中には「死ぬのは弱い人間だ」とか「臆病者」だと言う人は少なからず居ると思います。でも、人は少なかれ始めから強い人なんていないと私は思います。 私もこのサイトで「そんなことくらいでその病気になっていたら、私だってなっちゃいますよ。」とキツイお言葉も貰いました。 でも、それって本人にしか分からない事。 それでもなった人がいるということを受け入れられずアドバイスよりも中傷された気持ちになりました。 勘違いなら楽なんですけどね。 でも、自分に無理をしない事が何よりも良いものだと思いました。 kagami333さんが忘れたい過去なら無理して傷を開く事はないと思います。 何よりも今のkagami333さんが大切です。 あんまりアドバイスにならなかったかもしれませんが、頑張って下さい。
お礼
回答ありがとうございました。 今を大切にします。思い出すと痛いので。無理せず生活します。
お礼
私は野球を奪われたんです。野球は私の命でした。 因果応報なんてないです。奴らはいまものうのうと子供に野球を 教えています。世の中どうなっているのかわからなくてやりきれなく なります。私はかつてはプロの器とさえ言われていました。 失ったものが大きすぎてどうやって乗り越えていいのかわかりません。 すべてが色あせて見えます。残念です。