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日本人のホンネとタテマエの使い分け、本来の意味が矮小化されている?
「日本人はホンネとタテマエを使い分ける」と 外国人がたまに言っているようですが、 私は、当事者である一部の日本人が 意味を勘違いしているように思えてなりません。 そこで外国居住・留学経験のある方、 その他文化学に詳しい方々にお聞きしたいと思います。 (A) 最近よく耳にするのは簡単に言うと以下のようなものです。 日本人はホンネとタテマエを使い分ける =日本人は(良くも悪くも)本当の気持ちや考えを言わない しばしば酒の席での話題が例に挙げられたりしますが、 これは本当に日本人だけでしょうか? そうは思えません。 相手の為を思って嘘やお世辞を言うこともあれば、 自分の利益の為には嘘も方便、これは万国共通な気がします。 話題変わって、 (B) 日本では、例え法律上無罪とされる事件や事故でも、 当事者は実社会で根強い差別を受けると言われます。 以下あくまで一例です。 ◎強盗犯を取り押さえた際に犯人が死亡した ◎泥棒を追いかけていたら犯人が電車にひかれ死亡した このようなケースでは当事者に罪はありませんが、 民間会社への就職が困難になる等、 実社会的には抹殺させてしまうと言っても過言ではありません。 日本人が持つ「ホンネとタテマエ」 の本来の意味は、 この 規則上=無罪、実社会=罪人扱い、という例のように 『社会的二重基準(ダブルスタンダード)』が存在している事を 指していると私は考えておりました。 ところが、(A)の様に日本人は率直に意見を言わないかのような 解釈をする人がしばしば見受けられます。 繰り返しになりますが、 言われている側の日本人が勝手に意味を『矮小化』 しているような気がしてなりません。 日本人のホンネとタテマエ・・・この言葉が持つ、 本当の(本来の)意味はどのような物なのでしょうか? ご返答お待ちしております。
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タテマエとホンネの言葉の意味は、(A)も(B)も含むような気がしますが(評論家か西洋人特有の表現でしょうか?ならば)…外国人が日本人に対して感じている違和感は(B)的な部分でしょうね。 日本人は非論理的だとか全体主義だとか表現される事がありますが、ある医者の本に「場の倫理」と「個の倫理」として説明されていて、自分の中で感覚として理解できましたので、紹介します。 (日本人の場合)交通事故で加害者が非を認め被害者を見舞いに行くと、2人の間に「場」が形成され、その場の平衡状態を危うくする補償金を要求できなくなる。…ここで金を要求すると、加害者のほうが「非を認めているのに、金まで要求するのか」と怒りを覚える。 日本人には加害者側の心理も被害者側の心理も納得できるが、西洋人には理解できない。非を認めたらそれに相応する罰金を求める/求められるのを覚悟するのが西洋人の考えだが、日本人の場合は違う感覚「場の倫理」で物事を考えている。 企業や官僚の不正にしても、そこに自分がいると悪事がそれほど悪事だとは感じられない一面が、日本人の深層心理にあるのではないでしょうか。企業でも学校でも社会の最小単位である家族や恋人同士にしても、自分が属す組織に従う無意識の構造があるのだと思います。 日本人の持つ曖昧さと極端さ(戦中の日本がいい例)は、「場の倫理」として全体主義的な視点から捉えると、不思議に筋が通ると思うのですが、いかがでしょうか。 (参考:『母性社会 日本の病理』河合隼雄)
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- tournesol_33
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Aについて、 同感です。万国共通だが、日本人は特に ひどい、という意味ですね。 Bについて、 矮小化ですかね?日本人は何か言いたいか はわからん、付き合いにくいというのが(かなり) の外国人の言いたかったことです。これをそのまま 受けると日本人が傷つくので、”建前と本音”という 言葉に言い直したと思う。なぜ外国人が日本人に このような指摘をするかを考えれば理解するはずです。 >日本人のホンネとタテマエ・・・この言葉が持つ、 >本当の(本来の)意味はどのような物なのでしょうか? >ご返答お待ちしております。 難しく考えずに、単なるわるいくせですね。
お礼
ご回答感謝いたします。 うーん、やはり上のようなシンプルな意味なんですか。 確かに専門的な人が同様に解説しているのを見たことがあるような気がします。 しかし、私は常々疑問に思ってきました。 謎が多いですね。 参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
- t78abyrf9c
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大半の日本人が「世間」を理解しておらず(世間と社会は同じものだと思い込んでいる)、他者に「世間」の明確な説明が出来ないので、他の国(特に欧米)の人から見ると奇妙に見える、という事だと思います。 #1の方が河合さん著書を例に挙げておられますが、そこで言われている「場の倫理」が、すなわち「世間の理論」に言い換えられると思います。 ですが、日本人は「世間」を理論的に考えようとしてこなかったので、他者に対してホンエとタテマエの違いにおける明確な説明が出来ないのです。 大半の日本人は、欧米人と同じ感覚で生きていると思い込んでいますが、実際は全く逆です。 この問題を考える上で、「世間」の存在を無視して考える事は出来ないと思います。 http://nokai.jp/k-column/reader/wao_rea_02_01.html http://nokai.jp/k-column/reader/wao_rea_06_01.html http://72.14.235.104/search?q=cache:X4xUiy-ZdloJ:www.l.u-tokyo.ac.jp/ginnan/200419/isanmi.htm+%E6%9C%AC%E9%9F%B3%E3%80%80%E5%BB%BA%E5%89%8D%E3%80%80%E4%B8%96%E9%96%93&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1&lr=lang_ja&inlang=ja http://blog.livedoor.jp/konton_1937/archives/50356117.html http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101309 http://imi.sfc.keio.ac.jp/lecture/textanalyze2001/guide/manual/2_5.html http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/seken.htm
お礼
返事が遅れてすみません。 どうもありがとうございます。 かなり難しい話で、正直すぐ理解できないので、 河合さん著書も入手してから、 頂いた情報も参考にして時間をかけてじっくり考えてみます。
お礼
詳細な回答ありがとうございます。 (返事が遅れてしまいました) >日本人の持つ曖昧さと極端さ(戦中の日本がいい例)は、「場の倫理」として全体主義的な視点から捉えると、不思議に筋が通ると思うのですが、いかがでしょうか。 内容が難しく正直簡単には飲み込めませんでした。 すぐには完璧に理解できないとは思いますが、 紹介いただいた参考文献も手に入れて、 じっくり時間をかけて考えなければ、と思います。 とりあえず御礼まで。ありがとうございました。