>私は、見識、責任感、理性、行動力、どれを取り上げても第一級の人物
>だと思いますが、世間の評価は必ずしもそうではありません。
日本では、そもそもケネディ大統領を評価できる程の器をもった人物が少ないため、彼を正当に評価できないのです。
西郷隆盛を正しく評価できない人が多いのと同じ。一流の人物は、一流の人間でないとわかりづらいところが少なからずあるのですが、とかく人は自分の器でしか人を計れないものです。
私は、ケネディ大統領は一流の政治家だと思います。
キューバ紛争を武力衝突なしに解決した手腕は今振り返っても大したものです。
またアポロ計画を積極的に推進するなど、アメリカの国威発揚にも努めました。
しかし惜しむべきは、『世界の中のアメリカ』という位置付けが、どうもきちんとできていなかったようです。
国益の追求には熱心でしたが、自由主義陣営の盟主国として、世界にどう向き合うかという姿勢が今ひとつだったように思います。
逆にこれがきちんとできていたのが、ニクソンやレーガンです。
内政の手腕ではケネディに劣る彼らでしたが、国際政治の舞台ではアメリカの果たすべき役割をきちんと果たしました。
ニクソンはソ連と中国の離間をついて、中国を政治・軍事的にアメリカ寄りの陣営に引き込むことに成功します。
またレーガンは、彼の強硬な外交路線によって、ソ連を軍事的対決から協調路線に転換させることに成功し、冷戦終結へと向かう立役者になりました。
ニクソンは当時も『帝王』と呼ばれ、またウォーターゲート事件の件があるので悪評も多いですが、国際社会からの評価はかなり高いです。
またレーガンは、実質的に冷戦を終結させたのは、彼の強硬な対外政策によるものと広く認識されています。
世界の一流国ともなると、国内政治をきちんとすることはもちろん、国際社会での役割を果たすことを求められます。
ケネディの時代は危機の時代からデタントの時代に入る転換点であったとはいえ、第三世界に対する共産主義の浸透を食い止められなかったという点では、疑問を感じます。
お礼
貴重なご意見有難うございました。 国際政治の見方に、自分には気がつかなかった視点を与えられたような気がします。 ただ個人的な感情としては 『ニクソン』 [レーガン』 などはどうしても好きになれません。それは彼らが 『公』 よりも 『私』 を優先しているように思えてならないからです。 「ケネヂィー」 がそうではなかったとは言い切れませんが、少なくとも大統領として、『国家』 『国民』 に選ばれた指導者としての責任を自覚していたと思います。 私が腹が立つのは、最初に述べたように、我国の政治家達の基本的なスタンスです。彼らの多くには(すべてとは言いません。) 「国民の幸せ、を追求するのが自分達に与えられた使命である。」という意識は皆無だと思います。