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仏教の“神”について
仏教において神は存在しますか? 私は以前から仏教とは覚りを啓き、仏に近づくためのもので、無神教だと捉えてきたのですが、先日講義の中で教授が、「帝釈天、韋駄天、弁財天などはヒンドゥー教から取り込まれ、仏教においても天部・神」とおっしゃっていました。 先入観からなかなか鵜呑みにできず、質問させていただきました。御存知の方がいらっしゃいましたら御教授いただけませんでしょうか。お願いします。
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まず、宗教上で信仰・崇拝・理想とされる対象を便宜上「神」と呼ぶだけであって、バラモン教、仏教やヒンズー教のデーヴァやヤクシャなどの神々とユダヤ教・キリスト教・イスラームの創造主。神道のカミは本来は異なる概念です。 問題は、キリスト教的な創造主まで「神」と一律に翻訳してしまったが為に、東洋思想や日本の信仰体系における神と混同されるようになったことです。東洋的な神は「絶対者」ではなく、“人間と異なる力を有する存在”ぐらいの意味でいいかと思います。 「仏教は無神論」というのは、キリスト教的な人格神的な絶対的創造主を想定せず、あくまでも自身がダルマ(法)に目覚めることを目標とする教えであるところから打ち立てられた認識です。 つまりキリスト教的神学、西欧的宗教学で仏教を捉えたときに言い出されたことであって、仏教自身が無神論であるとはいってません。いわばキリスト教中心史観とでもいいましょうか。 仏教はバラモン教への批判という面があり、バラモン教における「固定化された神話体系」・「人格的な想創造神」を批判します。しかし、「創造神」としてバラモン教の神々は批判しますが、「護法神」としての神々まで否定しません。 初期仏典の『スッタニパータ』にもインドラ(帝釈天)やブラフマン(梵天)や「神性を有するもの」などの護法神は登場します。それはバラモン教における崇拝対象としてでなく、仏教の護法神として再構築された神々です。 またバラモンという名称も「固定化された神話世界に基づき祭祀を行う者」「定型化された身分としての神官」という意味では批判的に扱われますが、同時に「人々を導く優れた宗教指導者」という意味でも使われています。 特に密教ではダルマ(法)が具体的に顕現する、その形態の一つとして帝釈天・梵天・四天王・阿修羅・夜叉・竜王を捉えます。ですから同じブラフマンであっても、仏教とバラモン教ではその位置づけ、性格、認識が異なるのです。 日本に仏教が伝来し、広まるに従って日本の神祇も護法神として信仰に取り込まれます。特に中世期では仏・菩薩が日本人を救済するのにふさわしい姿として神祇として顕現するという「本地垂迹」信仰が拡大します。 >>お経に神が登場するんですか! 経典に登場する神々は天人・竜王・夜叉・阿修羅などのインドの鬼神です。当然ですが仏典はインド語を漢訳したものですから、日本の神祇は登場しません。 ただし、日本人の僧侶が記した論書には神祇の名が上がることはあります。 経…仏教の教えをしましたもの。 論…経に基づき、その教えを解釈・考察したもの。
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もともとの日本仏教は、神仏融合というか神仏混合であり、当初の寺は、仏像よりその背景の山とか、そこの山から登り、降りする太陽など、山の神、日の神と仏像とが、融合または混合していましたが、さまざまな政治的工作で、神仏分離令などを経て、仏教と神道とは分離して今日に至っています。 寺が、山のふもとにあったり、神社と寺院が隣接しているのは、昔は、両方を、一方が、管理していたからです。なお、インド仏教自身、釈尊は、父親、母親が、ヒンズー教の家に、生まれた訳ですし、ヒンズーの神々は、シバ神から始まり、10番目の神は、釈尊ですからね。本場インドでも、神である釈迦と仏である釈迦が混在しています。この神と日本の神とは、概念が、異なりますが。。。。なお、学校教育においては、公務員が、宗教教育が出来ないゆえ、間違ったことを、承知で、永年、教科書に書いてきましたが、実際、歴史的史実を説明するのに、宗教なしでは、説明できないことが、多いですが、公立では、説明しては、いけないと曲解されてますので、頭の中が、整理できないだけです。つまり、公立の授業では、きつく言えば、うそを教えているわけですね。最初にうそを、本当と信じてしまと、後が、うまく理解できないので、公立学校で習ったことは、忘れて、最初から勉強されれば、理解できるはずですよ。 神の存在の神の概念が、欧米の神と日本の神とは、違いますから、日本の神なら、存在しますよ。お経の本の中身は、神だらけですから。。。
- nebura71
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仏は仏なのですが、仏以外に、「仏教を守護する神」という存在があります。 源流としては次の2つがあると考えます。 1:民間信仰の神が仏教守護の神へ転じたもの 2:元々「仏敵」であった神が、仏教の守護神へ転向したもの。 3:強引な神仏習合の結果、仏と神とが同居してしまったもの。 1は、布教を広めるに当たって、便宜上同化していったものや、元々仏典に存在するものの類と考えればよいでしょう。 (帝釈天、四天王など) 2は、原始仏教が拡大するにつれて、敵対していた信仰対象としての神を淘汰して服属させた結果であると言えます。 (阿修羅王や、鬼子母神などは、その類でしょう。) 3については、日本独自の強引な解釈ですが、やってしまったものは仕方がありません。歴史的にも既に定着していますし。
お礼
どうもキリスト教やイスラム教と異なり、インド系の宗教は吸収性に富んでいるようですね… 三大宗教に成り上がった所以もこのあたりにあるのでしょうか。
- tamahome
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キリスト教に見られる神と同義ではないと思いますが、信仰の対象としての神はいるという認識です。仏教は多神教なのではないでしょうか?
お礼
回答有難うございます。 ヒンドゥー教の流れで多神教化は否めない…というかんじでしょうか。
お礼
お経に神が登場するんですか!確証を得ました。