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福沢諭吉の朝鮮に対する見方
福沢諭吉の朝鮮観はどのようなものだったのですか??詳しい方、どうか教えてください!!
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- tonkurin
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以前の回答でとても判りやすいものがあるので紹介します。 彼が朝鮮近代化にいかに情熱を傾け、残酷に裏切られたかが No.5でよく判ります。
- masamuneyoiyoi
- ベストアンサー率4% (3/67)
大まかにいって脱亜論のことを説明すれば、わかります。関係ないかと思うかも知れませんが付き合って下さい。現代ではなく、その当時の状況と価値を知らないと理解できない事なんです。 福沢は脱亜論はその当時の世界情勢の中で、西洋のシステムを取り入れないとだめだ。つまり近代化(法治意識と制度。社会システム。国際法。近代装備など)、避けることができないといっています。実際、現代ではそうなっています。 その当時主流国の西欧でした。その当時の価値では「近代国家ではない国は、近代国家によって統治されるべき。」でした。つまり遅れた国は進んだ国によって統治される(それが遅れた国の幸せになる)と判断していました。 今のアメリカ、(日本人もですか)「民主主義こそが最良の統治!世界はそうなるべき」とう感覚を持ってますよね。感覚としてはそれと同じです。 そこでその当時の論法は「ならば彼らと同じ近代国家(西欧化)すれば、日本を支配されない」というものでした。つまり同じ土俵に上がろう!という事です。 人間同士でもそうですが、同じレベルの人しか話を聞こうとも付き合おうともしないですよね。だから西欧と同じレベルになろうとしたのです。 また中国、朝鮮はかなり西欧に食いまくられていました。朝鮮は自国の行政権を売り渡すほど滅茶苦茶な目にあっていまいた。それに日本は危機感を募らせました。 また地球規模での国間での付き合いが広まると、どうしても「ルール」が必要になってきます。つまり国際法なのですが 朝鮮もそうですが、中国もあわせて判っていながら無視している、批判しています。利己的な主張しかしないとも。中華思想は駄目とも言っています。 西欧化を目指していた日本にとって、朝鮮、中国も地域間は近いので、一緒くたにされてしまう。つまり「悪友」と表現しています。先にも挙げましたが、その当時に情勢は西欧が強力で亜細亜のやり方にあわせるのは危険と判断しました。同じ、と思われるからです。 以上が福沢の主な考えです。 さてそのような考え方をもっていた福沢にとって 朝鮮の近代化の失敗は失望するには十分だったんですよ。革命家を支援しましたし、留学生への支援もしましたが(ハングルの活字印刷もしたりしてました。)どれもこれも砕け散りました。 ああ、こりゃだめだと思っちゃったんですね。
- nourider
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詳しくはないですが福沢諭吉の尊欧侮亜は有名です、当時の日本人の先進的と言われていた人たちは一様に西洋文明を賛美していましたから、亜細亜の文明を「野蛮で遅れたもの」という意識を持った人は多かったのです。 森鴎外ですら脚気の治療に「麦飯が効く」という亜細亜の民間療法を信じなかったのですから。
お礼
森鴎外も福沢と同じ考えだったのですか?うーん、なるほど。ありがとうございました!
お礼
朝鮮人というか朝鮮政府に対する絶望だったのですね。とても参考になりました!!