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平成の次って何ですか?
もちろん決まっていないことは知っていますが、国会で候補のようなものが決まっているなら教えてください!
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- tiltilmitil
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「光文事件」というのをご存じでしょうか。大正天皇崩御の折、とある新聞社が「次の元号は『光文』に決定」と号外を出してしまったのです。ですが、実際に決定したのは『昭和』でした。 これは普通は先走った結果の誤報であったといわれていますが、「号外が出てしまったから、急遽変更されたのだ」という説もあります。そうであるのなら、ウワサになるようなものは全て違うということになるかもしれません。
- luune21
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高橋俊男『お言葉ですが…』(文春文庫)の「みずほの国の元号考」より (当時の新聞からの孫引きになります) たとえば「平成」は東大名誉教授(当時)の安岡正篤氏が提出したもので、ところが1983年に死去され、87年に同じ東大の卯天本達郎名誉教授が再提出したものとあります。昭和天皇の崩御は89年です。 他の候補としては、「正化」「修文」があったそうですが、すでに当時の竹下首相の腹は「平成」で決まっていたということ。つまり他の二つはアテ馬。 ただし、高橋氏の調べでは、「平成」は「慶應」の年号を決めたときにはすでに候補に上がっていたとのことです。敗者復活ですね。ちなみに「明治」は足利時代から9回候補になって落選し、10回目でやっと採用されたものらしいです。 何が言いたいのかといいますと、つまり、元号の候補というものは、陽明学者などの中国文化研究者によって歴史上とっくにたくさん上がっていてそれらの中から、時代にマッチしていそうなものをいくつかチョイスするだけなんです。 学者の人たちからすれば、そうそう新しい文献なんてありませんし、日常の研究のさいに、「おぉ、これなんか元号にいいんじゃないか、これ、確かまだ候補に上がってないぞ」ってな感じらしいということです。 あとは、もっともらしくセン考したようにして発表するだけなのでしょう。ただし、この「平成」のセン考過程の不透明感がマスコミでちょっと話題になりましたので、今度はガラス1枚分くらいは透けるかもしれません。 しかし、いずれにしても外国文献から元号をとるといのはいかがなものなんでしょうね……。国士のみなさんもこういうところは興味ないんでしょうか。
- riderfaiz
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昭和天皇崩御に際して、年号検討の会議は崩御が発表された後に開かれたと 記憶しております。しかし新年号はお昼前には発表されていました。 年号を検討するのは学者さん?だったように思います。政治家ではないです。 年号というのは漢文に出てくる言葉の中から選ばれるので 中国の古典に通じていないと検討すらできません。 そんな学識のある政治家は…。
- latour64
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天皇陛下がご病気などになられて、いよいよ危ないという状況 でしか、次に候補の検討にはいらないとおもいますが。
- sucre504
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年号が変わる時は、天皇陛下御崩御の時です。 そんな話おおっぴらにしているわけないと思いますし、ましてや一般庶民の耳に入るわけが無いと思うのですが・・・。
補足
やはりそうですよね。ありがとうございました!