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奴婢の扱い
チャングムが奴婢として流された、チェジュ島には罪人のための牢屋のようなものが見当たりません。 罪人というよりチェジュ島に配属変えになったような雰囲気で自由に行動しています。 物語になった時代は、こういうアットホームな島流しだったんですか?
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囚人ではなく、単なる奴婢ですから牢屋にはいるわけではありません。 当時は、人口の3割から5割の人が奴婢だったそうです。 当然、脱走も多かったようですが、結局他の人の奴婢になるしかなかったようですね。 奴婢には国王の奴婢である官婢と、個人の奴婢である私婢がいました。 チャングムは、官婢でしょうね。 労働や性的接待、歌舞、医療等の仕事が多かったようですが、女性の奴婢は、子供を産むのが最大の仕事だったようです。父親が誰であっても、子供は奴婢ですので、生めば有無ほど奴婢が増えるのです。 当時は遺産相続の書類では、土地よりも奴婢の数を先に書くほど重要であったようです。
お礼
回答ありがとうございます。 罪人と奴婢がごっちゃになっていました。 回答を読んですっきりしました!