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えた・ひにんについて
私たちは今、同和問題について話しあっています。 そこでいくつかわからないことがあったので、知っている方がいましたら、 ぜひ教えてください。 ・「えた」「ひにん」とありますが、江戸時代に、どんな基準でその人たちは 決められたか ・現在、実際に部落問題で差別を受けた例などがありましたら具体的に教えて ください。 同和問題を学ぶといっても、実感がわかないことが多いです。 私にとっては、本当にそんな差別があるのかすら信じられません。 みんなが正しいことを学べるようにぜひ教えてください。
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「穢多」「非人」に関しては、様々な学説が有ります。 現在も、「被差別部落」をめぐる研究が日々行われており、基本的にはその研究結果を待たなければなりません。 大雑把に言って、 「エタ」「非人」-「被差別部落」の歴史は、明確な範囲で言えば「平安朝」までさかのぼれます。 「myau」さんが参考URLに挙げられた、ページでも「かわた」の事が書かれていました。 当時すでに、「牛や馬などの死体処理(myauさん)」を生業としている人々が、存在しています。 この仕事は、水が必要になりますので「川」のそばに居を構えていました。 また、処理した(基本的には、志望した牛馬の埋葬など-病原菌の発生予防など-。その際、肉の解体などが行われた)後に残った肉と「皮」の加工もしていた。 「川」と「皮」のどちらかが、「かわた」の語源らしい。 当時、すでに生産活動から離れていた貴族層は、人間の埋葬も彼らに依頼したみたいです。 貴族層にとっては、「死」は忌む事で、「穢れ」であり、その処理に従事する人々は、「穢れ」た存在として忌み嫌われて、また、恐れられていました。 ですが、動物であれ、人間であれ「死」は避けようの無い現実であり、彼らの存在は必要とされていたのです。 それゆえ、近くには居て欲しくないが居なくては困るので、一定の距離を保った地域を「居住地」として定め、移動を禁止しました。 此れが、「部落」の起源。 その後、身分制度が確立した際に、幕府は彼らの存在を利用したわけです。 ですから、身分制度によって「穢多」「非人」が作られたのではなく、制度に「組み込まれた」というのが、事実に近いと思います。 さて、彼らがどのような経緯をもって皮加工の技術を習得したのか、また、その先祖はどんな存在なのかは、様々な説があり、確定しているものでは有りません。
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- popesyu
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7番で回答した者ですけども。 名指しで指摘されちゃいましたね。 んー私が思うに今現在の若い人たちの(一部に見られる)部落などに対する一種の偏見は、昔の人のように血の穢れ思想からくるものではなく、逆差別からくるものと思うのですけど、如何でしょうか。エタ・ヒニンだから云々ではなく、何であいつらは、あんなに特別待遇を受けているのだということです。歴史的にみれば、今まで逆特別待遇(質問者さんの為に一例を挙げておきますと、例えば昔は公共的な工事なども部落地域はおざなり・後回しにされていました)を受けてきた結果そうなった訳で、一つの問題を解決したところ又新たな問題点が浮き彫りになってきたというふうに思えます。差別が広がったのではなく、別のシフトに移ったと。 この問題を語る時、従来通りの被差別事情だけを重点に語るのではなく、こういった事情も抑えるべきだと私は思うのですが。今時、血の穢れ的な思想なんてバカらしいことは誰もが理解していることでしょう。そういう思想に染まってしまった古い世代の考えを改めることは難しいですが、これからの世代はそんな考えに染まることはないはずです。ですが実際に、私の身近な人間にも嫌悪感を持っている人間がいます。そういった人たちには、エタ・ヒニン思想のバカらしさいくら伝えても無駄です。彼らが問題視しているのはそこではないからです。 ということで、質問者さんへの回答として直接的なものではないですが、補足として今なお差別が根強い理由としては上記のような要因もあるのではというのが推測ですが私の意見です。
- hito1102
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こんにちは。 以前は、「士農工商という身分制度があって、武士が農民を支配していくために、農民の不満をそらすために、えたひにんというさらに低い身分を作った」「えたひにんとされた人は、不便な土地に住まわされ、死牛馬の処理など、人の嫌がる仕事を押し付けられて、苦しい生活を送ってきた」と教えられてきました。 しかし、最近、研究が進むにつれて、そうではないらしいということが分かってきました。「士農工商という身分制度自体あったかどうか怪しい、地域によって実情はまったく異なる、えたひにんとされた人は、厳しい差別を受けながらも、闘い、たくましく生きてきた」など、だから、現在では、これだ!という説明はできないのが実情のようです。 ただ、少なくとも江戸時代にはえたひにんという厳しい差別を受けた人がおり、その不合理な差別が今でも根強く残っている、というのは事実です。 現実の部落差別の例ですが、他の方が言われているように、就職、結婚のときに、今でも現れます。数年前に、大阪で興信所が多くの会社から頼まれて、就職希望者の身元調査をしていた(禁止されているにもかかわらず)事が発覚しました。結婚でも、両親や親戚の反対を受けたり、めでたく結婚できても、二人が苦しい差別を乗り越えたなどの例は多くあります。 また、同和地区の人を侮辱した落書きや、侮辱する言葉を使った発言など、たくさん起きています。 でも、実は、私たちの身近に差別の温床はたくさんあります。みなさんの家の人や周りの大人に、「部落差別って何」「もし自分の結婚する相手が同和地区の人だったらどうする」などと聞いてみてください。きっと、おとなの答えや態度の中に、差別がなくならない原因を発見することができると思います。 それから、NO7の方の >○○の地域で交通事故をおこしたらとんでもないことになるというか実際になった人が知り合いにいます というのは、差別を広げています。(たぶん、悪意を持って書かれたのではなく、率直に思ったことを書かれたのだと思いますが) 同和地区にも、怖い人もいればやさしい人もいます。もし、怖い職業の人と事故を起こし、とんでもない目にあったとしても、その怖い人が住んでいる町内を出して、○○町の人は怖い!とはならないはずです。 また、もしその人が「俺は同和地区にすんでいるんだぞ、」みたいなことをいって脅したとしても、その人がほんとに同和地区の人かどうか分かりませんし、もしそうでも、人々の「同和地区は怖い」という偏見を利用する一部の人はいるでしょう。でも、ほとんどの同和地区の人は、事故のとき、そんなことを持ち出して脅すようなことはしません。 しかし、このことで、「同和地区の人は怖い」という偏見が広がれば、悲しいことです。 同和問題は、早く解決しなければならない、大切な問題です。皆さんで有意義な話し合いを持って、一人でも多く、差別をしない生き方、考え方ができる人を増やしてください。
- popesyu
- ベストアンサー率36% (1782/4883)
実際にある差別と言えば結婚差別・就職差別というものでしょうか。また過保護が逆に行き過ぎて今では逆差別というものも存在するようです(具体的にいうと○○の地域で交通事故をおこしたらとんでもないことになるというか実際になった人が知り合いにいます)。 就職差別の方は団体の頑張りなどもあって、最近は少なくなってきているようですが、結婚差別の方はまだまだ根強いようですね。息子・娘の結婚相手の身元を親(というよりも祖父母)が興信所を雇って調査するなんてのは至極一般的でしょ? ちなみに私もやられましたけど(笑 上の世代にはどうしてもぬぐい切れない感情があるのでしょうが、今の世代では希薄になっているのが幸いです。 実感云々に関しては地域性の問題ですので、身近に例を感じないだけだと思います。
- usachan0114
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えた・ひにん・・・皆様のお答えを見て元々はそういう人達だったのかと初めて知り勉強になりました。 実は私の住んでいる地域の更に山間部に入ったほうでは、まだそういうことを言ってる地域があります。 私達の親の世代以上の人達しかそんなこと言いませんが、具体的には 「××(えたの子孫の方)の家の娘が○○に嫁に行ったと!!」 「○○はわざわざそんな家から嫁にもらわなくたってねー。よく許したねェ。」 というような事を言われたり、また部落の集まりには下座に座るのが暗黙の了解になっていたりするのです。 事あるごとに「身分知らずな」と非難されるのです・・・ あまりにもバカバカしく、とても腹立たしいです。 親がそんなこと言わなければ、子供は知らなかったのに、年寄りが余計なこと言わなければ孫達は知らないままで済むのに・・・ そういう歴史があったことを知ることは大切(繰り返さない為にも)だと思いますが、差別を残していくことは問題があると思います。 私達は親たちがそんな事を言うと「今の時代には関係ないじゃない!!」と反論します。子供を持つ友人などは、絶対に子供にはそういう話しを聞かせたくないと言います。 田舎のこういう閉鎖的な所が私は本当に嫌いです。 そのくせ、昔、ちょっと裕福だった人なんかは未だに『だんなさま』などと呼ばれてたりもするのです。 ちょっと感情的になってしまってスミマセン。 早く差別はなくなって欲しいものです。
- Zz_zZ
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書名:被差別部落一千年史(岩波文庫) 著者:高橋貞樹、沖浦和光/校注 出版:岩波書店 版年:1992.12 判型:15cm 頁数:349p 価格: \700 ISBN: 4-00-331911-7 URL :http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18769424 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003319117 を是非読んでみて下さい。 (あからさまに書くのは憚られる...)
「エタ、非人」には、当時何かしらの罪を犯した人達がなったと聞いたことがあります。 農業をやってる人達も、生活が苦しいとかで、余計な反発をさせない為のものだったとか・・・ 現在も同和地区だの、同和団地など、一般とは何か違うように区別されていたりしますが、家賃などが大変安かったりするようです。昔の償いなんでしょうかね・・・
- myau
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基準についてはわかりませんが・・・(まあたぶん無差別かな) ご参考までに。 実感が沸かないとのことですが、 エタ、非人、とされた人達は、 書いてる人もいますけども、 農民の位を上げて、(士農工商) それでは本当は力のある商人が納得いかないだろうと、 それより下の階級をつくったのがはじまりのようです。 彼らは牛や馬などの死体処理(人のものも、と聞いたことはあります) などをさせられていて、 昔は職業もえらべませんから、そのうちの子は、 自動的にエタ・非人になるわけです。 エタ・非人より下の階級もあったとか聞きました。 そういう人達を住まわせていたところがあって、 その地域出身の人が避けられていたようです。 九州や西日本などでまだ残っているらしく、 今で40すぎくらいのおじさんに聞いた話ですが、 部落の人だけが集まる公民館のようなところがあり、 そこには、部落以外の人は近づけない、 逆差別みたいなものもある ということです。 私の実家の近くにもそういう地域があったそうですが、 今は誰も気にしていないようです。 そこは昔の処刑場の隣で、彼らは死体処理をさせられていたと 聞いた事があります。
- Black_Tiger
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こんにちは。 士農工商はご存知ですか? その頃は農家(商人だったかな?)が一番位が低かったんです。 しかし、一揆や暴動が大変多く、悩んだ幕府は更に下の階級を設置しました。 いわゆる「えた・ひにん」です。 もう、これは人間として認められていません。 これにより、農家(商人だったかな?)に「君立ちより下がいるのだから我慢しなさい」という事を言っていたそうです。 決められた基準というのはよくわかりませんが。
お礼
私の質問に答えて下さった皆様、本当にありがとうございました。 私は現在高校1年生で、この学校では年に3回、ホームルームで同和問題について 話し合うことが義務付けられているようです。 今回、私のいる斑がその発表斑になりました。 準備期間が非常に短く(なんと一日でした)、情報収集があまりできない中で、 みなさんの答えは大変参考になりました。 また、全体的に情報がすくないぶん、暗くなるまで私達は真剣に話し合いました。 まず、同和教育は必要かということ。 私も友達も、同和教育なんてするから余計意識してしまってよくないんじゃないかと思っていました。 そう思っている人は、多分たくさんいるのではないかと思います。 同和問題の歴史は長いのは誰もが知っている通りです。 江戸時代から(もっと深く平安時代から)のえたやひにんに始まり (私が同和問題についてはじめて知ったのは中学校のときでしたが、 えた・ひにんという言葉は小学校の歴史で習ったので知っていました。 えたの子供はえたに、ひにんの子供はひにんになることが決まっていまし た。また、差別されてはいたけれど、重宝もされていたのでえたやひにん とされた人達はたくましく生きた、ということも確か教科書に書いて あったと思います。) それが今の今まで消えずに差別として残っているのです。 憲法で人権が保証されてからっもう60年近くになるというのに。 解放令からはなんと100年以上たった今でも、差別は残っています。 それは、「ほうっておけばいずれは無くなる」という考えのせいでしょう。 正しいことを知らない場合、間違ったことを教えられて間に受ける人が どんなに多いか。 見てみぬふりをすることで、どれだけの人が苦しんできたことか。 担任の先生に言われてはじめてわかりました。 また、同じことが書いてあるホームページもたくさんありました。 同和教育はやはり絶対に必要です。 次に、同和問題についてどれだけ知っているのかということです。 特にその起源については分らないことがとても多く、 みなさんの答えを参考にしても、まだはっきりしません。 これから学習を重ねるうちに、わかっていければよいと思います。 でもOji_sanの解答により、部落地域の起源がわかって嬉しいです。 ありがとうございました。 もっとも斑のメンバーが熱くなったのは、自分達のことです。 私が住んでいるところにも差別が残っていることを今回はじめて知りました。 斑の中のひとりが「俺は友達が部落出身とか言い出しても、『は?それがど したん』て言うね。だって関係ないやんかそんなん。むしろそんなこと言わ れても逆に意味がわからんし」と言いました。 確かに「部落出身です」と言うこと自体が不思議です。部落とは、差別を受 けている地域のことを指しますが、同時に「劣った地域」みたいに考えている ように思われます。変な話です。見つめるべきなのはひとりひとりなのに、 外側___住んでいるところや家柄____で人を判断するなんて。 その人は本当に絶対差別なんてしないと思うし、彼の言葉に嘘はないです。 しかし、世の中にはきれいごとばかり言うひとがたくさんいて、 実際に差別されている人を見た時に、まわりに流されて自分も一緒になって しまう人もたくさんいます。 それはきちんと考えないから、真剣に考えればどう考えてもおかしいのに 考えないから差別してしまうのです。 ホームルーム当日、 私達の斑はクラスのみんなに真剣に考える機会をつくろうと思って、 一生懸命自分の意見を発表しました。 その結果みんなすごく真剣に聞いてくれて、意見を聞いてもすごくちゃんと 答えてくれて、最後に集めた感想の紙にもほんとにたくさん書いてくれて、 すごくすごくうれしかったです。 その中に、 「同和問題は受け身の学習ではなく、自ら学ばないと本当の理解につながらない」 という意見がありました。本当にその通りです。 私達はこれからも、たくさんのことを学んで、同和問題についての理解と、 そしてひとを正しく見つめ、自分を正しくみつめる目を養っていきたいと思います。 御協力いただき、本当にありがとうございました。感謝しています。