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東京大学にも、鈍才・劣等性や落ちこぼれはいるの?
私(女)は、何年か前、東京大学卒業生(男子)とおつきあいしたことがあります。私の人生で東大生(卒業生含む。以下、同じ)とかかわったのは、それが最初で最後になっています。 つきあう前の私は、東大生というと、「ひとり残らず神のような天才ばかり」と思ってました。実際につきあってみると、特別な“オーラ”もなく、ごくフツーの感じでした。そこである日、彼個人に対する印象は伏せたまま、一般論として、その方向に話題をふると、彼はこんな意味のことを言いました。 「東大生にも優等生から劣等生まで、ピンからキリまで、いろいろいる。ぼくなんか、天才どころか秀才ですらなく、凡才、へたすると鈍才だ。劣等生以下の落ちこぼれだ」 「東大って、1学年何人いるか知ってる? 3000人以上もいるんだよ。天才ってのは、ひとつの世代に1人とか2人とか、せいぜい10人~20人じゃないか? 3000人もいるんじゃ、天才のバーゲンセールだ」 はじめに書いたように、私は彼以外の東大生を知らないので、彼のいったことが事実なのか、一種の謙遜・逆説・自虐なのか、わかりません。「東京大学にも、鈍才・劣等性や落ちこぼれがいる」というのは事実なのでしょうか。 もしそうなら、マスコミ(とくに出版・テレビ)で、「東大生は全員天才(少なくとも秀才)」のごとく扱われているのはなぜなのでしょうか。
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一般論として、東大生と言えば秀才ということになるでしょうが、やはり、そのなかでも優秀な人とそうでない人がいます。 東大生の中でも、何年かに一人しか東大合格者をださない高校の出身者も入れば、超一流進学校の出身者で、東大に入ることは普通のことであり、学内(高校)で人並みの成績があれば入れる大学であると言う認識を持っている人もいます。 前者の人たちは、高校をずっとトップに近い成績で過ごし、身近に自分よりも優秀な人はいなかったかもしれません。しかし、後者の人たちは、高校の頃から、自分では到底太刀打ちできないほど優秀な、まさに天才的な人と接してきています。そうすると、「自分は東大生だけれども劣等生(謙遜もあるでしょうが)」という意識になるのも理解できます。 また、他人にできても、自分にできないことが多くあるということに気づいて、劣等生だと思うようになったのかもしれません。 ひょっとすると、大学の数学があまりにも難しくて、そう思うようになったのかもしれません。「かりに高校では秀才でも、東大での授業についていけず、落ちこぼれてしまう者が多数いる」とも関係します。東大合格者の頭脳を持ってしても、理解不可能な数学の授業が現実に行われたりします。そういう人が数学科に進もうとすると、落ちこぼれが現実のものになります。 いずれにせよ、彼は、上には上がいて、誰しも万能ではないと言うことを理解し、若干の自虐あるいは謙遜を込めてそのように言ったのかもしれません。 なお、一橋などのいわゆる一流大学の学生と、「天才ではない東大生」を比較した場合には、両者の能力はさほど違わないと思います。しかし、普通の大学との比較では、やはり、「天才ではない東大生」の方が平均としては優秀だと思います。 「東大生は全員天才(少なくとも秀才)」の「全員」というのを一人残らずという意味とするならば「?」ですが、「大部分」という意味であれば妥当だと思います。 私は東大OBではないですが、No.7のご意見はよく理解できます。東大生の意識としては、まさにその通りだと思います。
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- buchi-dog
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世の中には、東大の文一や理一と同等以上の難易度の大学がいくつかあります。 * 京大の各学部 * 旧帝大等の有力大学の「医学部」 No16の方は京大卒でおられるようですが、京大と東大の受験難易度が概ね同じである以上、「No16さんが東大を受ければ受かっただろう」という事実は、何も不思議ではありません。 「東大と同レベルの大学が他に存在する」 ことは、 「東大生と同等の知力を持つ学生が他大学にもいる」 ことを示すものであっても 「東大生の中にかなりの比率で凡才も含まれている」 ことは示していません。 「高卒・中卒でも、東大出身者よりよほど頭の良い人は幾らでもいます」 例えば、日本で一番難しい試験と言われる司法試験。これの合格者のかなりの部分を東大出身者が占めています。一方、高卒・中卒で司法試験を突破するという例は極めて稀でしょう。「司法試験」を他の難関国家試験に置き換えても同じことになります。税理士試験のように、東大出身者がまず受験しない試験は別ですが。 東大生100人の知的レベル平均値と、高卒・中卒者(名大生、早大生、亜細亜大生などに置き換えても可)100人の知的レベル平均値を比較して、前者の方が有意に高いことは、そのような実験をするまでもなく自明なことです。 一方、「東大生 対 京大生」であれば五分五分でしょう。さらに、「東大生 対 阪大医学部生」であれば、阪大医学部がやや優勢と予想します。 # 例に挙げた大学や高卒・中卒者を誹謗する意図はありません。
お礼
またまたご回答ありがとうございます。すごく単純化させていただけば 16さんは「東大に凡才は(多少は)いる」 17さんは「東大に凡才は(原則として)いない」 とおっしゃっているように、私には読めます。 質問した私が言うのもなんですが、お2人の使うことば「凡才」は、意味・定義が異っているのではないでしょうか。あるいは、 17さんはペーパーテスト(大学入試・司法試験etc)における能力を重視 16さんはかならずしもペーパーテスト能力にかぎらない/こだわらない というスタンスにも見えます。 私のことですからとんでもない読み間違いをしているかもしれませんが、そのときはご容赦ください。 ふと思い出しましたが、ノーベル賞受賞者数は、京大が東大にかなりの差をつけているんでしたっけ?(だからどうだという意図はありません)
- tachiuo
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No.15さん、入試は水物ですから。大学は東大だけではないのです。そして、天才・秀才の全員が東大を目指しているわけではありません。少なくとも、国立大学に限っても、旧帝大や神大・一橋大・東工大・東京医科歯科大などの合格者の多くは、東大に十分合格できる学力を有していると思いますし、家庭の事情で地元の大学に進学した人もいます。元々東大など眼中の外であった私のような人物もいます。 そもそも、東大入試と言えども、出題範囲は高校の履修範囲内です。しかも、難関大学ほど、基礎的部分が合否を決めるのです。因みに、予備校・塾の側は、東大を出ていない者が「東大コース」の指導をしています。これが可能なのです。 私は現実には東大入試を受けたことがなかったので、何の参考にもならないかもしれませんが、模試で戯れに志望校に東大も書いたところ、京大より合格可能性が高かったですね。当時の入試制度の所以かもしれませんが。また、京大入学後、自分の入試の点数を教務に問い合わせたところ、合格最低点より50点以上上でしたから、十分東大にも合格できたと思います。 いずれにせよ、東大を受ける気になれば合格できる人は、実際の東大合格者の、少なく見積もっても10倍はいると思います。よって、東大生の中にかなりの比率で凡才も含まれているわけです。単に、入試のスキルが上だけの者もいますしね。 世の中には、高卒・中卒でも、東大出身者よりよほど頭の良い人は幾らでもいます。
お礼
またまたご回答ありがとうございます。 なんだか、ちょっと質問からずれてきたような気もしますが、それはそれとして…… >天才・秀才の全員が東大を目指しているわけではありません。 >高卒・中卒でも、東大出身者よりよほど頭の良い人は幾らでもいます。 みなさまのご回答をずっと読んできた今現在の私の感想としては、「たぶんそうだろう」と思います。 ちなみに、将棋の米長邦雄元名人は「兄は頭が悪いから東大へ行った。ぼくは頭がいいから棋士になった」と言ったそうですが、まんざらの嘘やホラでもなさそうです。
- buchi-dog
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私は、一応子供の頃から「神童」とか言われて育ってきました。大学を出て就職する頃までは「オレほど頭の良い奴はそうはいるまい」と思っていましたし、今でも半分くらいはそう思っています。なお、地方の公立高校出身です。 大学受験の時には東大合格を目指して真剣に勉強しても歯が立たず、結局は私大に行きました。早稲田・慶応・上智と受かりましたから、受験戦争でそこそこの成果は出したわけですが。東大合格というハードルは越せませんでした。 私の経験からして、「凡才でも、それなりに熱心に勉強すれば入れます」と言った意見には賛同しかねます。東大に受かるのは、そんなに簡単なことではありません。これは、東大を真剣に目指した人であれば身をもって知っているはずです。 ご質問ですが、 「東京大学にも、鈍才・劣等生や落ちこぼれがいるのは事実か」 事実でしょう。ただし、他の一流大学、例えば早稲田に行けばトップクラスになれる(なれた)人たちと思います。そして、ほかの事に熱中して授業に出席せずに留年・退学するような人は、頭の良し悪しとは必ずしも関係ありません。 「マスコミ(とくに出版・テレビ)で、「東大生は全員天才(少なくとも秀才)」のごとく扱われているのはなぜなのでしょうか」 東大合格者・在学生・卒業生が、世間の基準で言えば全員「秀才」であるのは事実でしょう。東大に裏口入学することはできませんから、「文句なしの秀才」でなければ受かりません。
お礼
貴重な体験談をありがとうございます。 私は最近の受験界事情には暗いのですが、東大と早稲田・慶応・上智etcとは、入試科目のちがいなどあって、同じものさしでは比較しにくい、ともきいています。 「にもかかわらずマスコミでは東大ばかりが……」というのがこの質問の主旨の1つでした。 それはともかく、「凡才が熱心に勉強したからといって東大にかんたんには入れない」というご指摘には共感します。 まして、秀才ではなく天才レベルの話になると、「天才も努力している」のはおそらくその通りでしょうが、「努力すれば天才になれる」わけではないでしょう。
- pate_brisee
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#3、#9です。度々失礼。 勉強に関して悩みのない・劣等感を全く持ち得ない人なんて、いないんじゃないかと思います。 多かれ少なかれ、大抵は、元彼のような気持ちに一度はなるでしょう。 授業は基本的に難しい・要求度の高いものが多い。 ずっと努力し続けることに疲れることもありますよ。極端に頭がいいとか、並外れて器用な子はごく一部です。 疲れたり、ついてゆくことがつらかったりすることもあります。でも努力しているだけなのに、 それを知らない外部の人から、大学の名前だけでひとくくりにされて 苦労がないだろうと繰り返し判断されるのはキツイです。たまにならいいのですが。 劣等生だの凡人だのと強調したくもなりますよ。 彼もそういう気持ちだったのかもしれません。
お礼
たびたびご回答ありがとうございます。 >大学の名前だけでひとくくりにされて〈中略〉キツイです。劣等生だの凡人だのと強調したくもなりますよ。 これはまったく気がつきませんでした。新しい視点ですね。私がいう「凡人」と元カレがいう「凡人」が同じレベルとは思えませんが、それぞれに苦労やプレッシャーはあるのでしょう。
- mayhare
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あれ?これって私のことですか? 一般論に関しては他の方が話されていると思うので、落ちこぼれからのリアルな意見をお話しましょう。 まず、落ちこぼれの一番分かりやすい例は留年してる人です。 自分もそれに該当します。 確かに東大の講義は試験もそれなりに難しいですが、真面目にやってればまず単位は取れます。 それができなくて留年する人というのは、要するに真面目にやらなかった人ですね。 そうなる理由は人それぞれでしょうが、東大に合格したことで一つの目標を達成した気になって気が抜けてしまったり、今まで我慢してた趣味に精を出しすぎたり、というのが多い気がします。 あるいは、とりあえず勉強できるから東大に入ってみたものの、本当に自分がしたいことが何か分からなくて悩んでしまう、というような人も多いでしょう。 それから、実際自分より優秀な人がたくさんいるのを見てショックを受けることはあるかもしれません。 東大に入った学生の多くは、自分が所詮井の中の蛙であったことを思い知らされます。 本当に頭の良い人というのは底が知れないものですから、そういう方を見て自分がみじめに思えることもあるでしょう。 それでも、「勤勉さ」さえ失わなければ全然卑下することはないのですがね。 自分の場合は、そういう優秀な人間と関われることはむしろ誇らしいことだと思っています。 いかに自分の手の届かない人であっても、「あいつは天才だから」と言って片づけてしまうのは好きじゃないですね。 天才と呼ばれる人は得てして、人の何倍も努力しているものなのですから。 ただ、その付き合っていた彼の言葉についてはそのまま文字通りには受け取れないかなと思います。 実際、彼は劣等生でしたか? 少なくとも留年生ではなかったと思うのですが。 私見ですけど、一般にプライドの高い人間ほど、口では自らを卑下したり、自虐したりする傾向があるように思います。 自分がそうなのですけど、人に言われる前に自分で言っておくことで、予防線を張っておくのですね。 そうすることで傷つくことを避けるというか。 まぁ東大生に限らず、マスコミは何でもステレオタイプを作りたがるものです。 東大生の実体については、ピンキリというよりは十人十色と言った方がぴったりな気がします。 ほとんどベクトルの向きがバラバラですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、留年のことは今まで盲点?になってましたね。 リアルなお話、ためになりました。
- a-saitoh
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だいたい世間の人は入試難易度しか見ません. 約141万人の18才人口の中の,大学入試に関するトップ3000人とみていいので,まぁ天才級と言うことでしょう.が,実際割り算をしてみると,4百数10人に1人現れるくらいの成績優秀者ですから,天才と言うには物足りません. 逆に,マスコミは東大生を,勉強だけの人,世間知らずのガリ勉坊や扱いをしたりしますが,それはあたってませんね. 小学校から中学校に上がったときに,「算数は得意だったのに数学はサッパリだめ.苦手」なんてことは見聞きしませんでしたか? 同様に,大学での勉強は高校までとはかなり異なります.そのため,高校までの勉強で良い点を取ってきた人でも,大学での勉強にはついて行けない/苦手意識/落ちこぼれるといったことが実際あります. 高校野球のエースが,プロ野球に入って鳴かず飛ばずで挫折するような物かなぁ. 東大以外でもタマにいますが,頭のいい人は本当にとてつもなく頭が回転します.ホント.
お礼
ご回答ありがとうございます。 いわれてみれば、マスコミがえがく東大生は、天才・秀才か、世間知らずのガリ勉坊やか、両極端ですね。たぶん、どちらもはずれで、事実はその中間にあるんだろうと思います。 >高校野球のエースが,プロ野球に入って鳴かず飛ばずで挫折する…… このたとえはすごくよくわかりました。
補足
お礼の追加です。 たしかに、4~5百人に1人程度では「天才」とまではいいにくいですね。でも、No.7さんたちがおっしゃるように、その中のさらに1%(4~5万人に1人)なら、「秀才」ではことばが不足するような感じです。
- tachiuo
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東大には1学年3,000人もいるんですよ。それに、東大に合格することなど、「ものすごく」難しいわけではありません。凡才でも、それなりに熱心に勉強すれば入れます。「東大に入る」こと自体は、ものすごいことではないのです。その気になれば、誰でも入れます。世の中には、「その気になる」人が少ないだけです。 因みに、私は京大出身ですが(関西人なので、東大にはあまり関心がなかったし、私の専攻では京大の方が目指すべき大学だと思ったので。貧乏人の子で、小中高公立、塾に行ったことなし)、凡才です。いまだに貧乏人です。やっと、売れない著書一つ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >私の専攻では京大の方が目指すべき大学だと思った りっぱなご判断だと尊敬します。このサイトでは、ときどき、「何を学びたいのか?」抜きで、「私は東大に入れますか?」という質問が現れます。なんだかなあ、と思います。
- do_ob--o_punch
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私は半東大附属のような高校に通っていますが その中には、本当に天才だという人がいます。 一人だけですけどね。その人ははっきり言って違う人種だと思ってしまいます。でもそういう人を除いても東大に行けそうだなという人と、 この人は無理だなという人に分かれます。 つまり天才の線引きの位置が、本当の天才を見た後と並の東大生しか見たことのない時では異なってしまうのだと思います。 だから一般大衆を念頭に置いているマスコミは線引きの位置を一般の視点すなわち東大生という位置にするので、東大生はみんな天才だということになるのだと思います。 つまり、東大生の中にも東大生にとっての東大生がいるということです
お礼
ご回答ありがとうございます。 No.9さんとも重なると思うのですが、「どこに境界線を引くか」ということなんですね。 もっとも、一般大衆の多くは、「並みの東大生」すらじっくり見たことがない(と私は思う)ので、イメージだけ=レッテルだけで線を引いているのではないでしょうか。 ところで、「名人は、名人を知る」とか、「天才は、天才を知る」とかいうことばをきいたことがあります。「本当の天才を見た後……」といっても、凡人は、相手が天才であることにすら気がつかない(あるいは理解できない)こともあるでしょう。もしそうなら、例の1%と99%の区別ができないということもあるんでしょうね。 東大の劣等性といっても、他人の才能(凡人には理解できない)を“知る/理解できる”レベルにはある!?
- pate_brisee
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#3です。芸大はジャンルが違うので別の話だと思いますが。 京大・上智を東大とひとくくりにするのであれば、 あなたはある一定のレベルでレッテルを貼っていることになり その階層がマスコミと違うのでしょう。(彼とも全く違う。) マスコミに限らず、一番と他者との間に明確な線を引くのは、大学だけじゃない。たとえば競技でもそうですよね。 ある人にとっては、オリンピックに出るだけで天才というかもしれない、 でも入賞しか意味がないと思う人もいるし、世の中は一位に注目するものです。 元彼の気持ちは、#7さんの言うように、 1パーセントの天才とそれ以外の普通の人間がいるということなんだと思う。でもほかにも思い当たることがあって、 高校の頃までは、どの教科もそこそこ適当にこなせてきたのに、 大学入学後は、急に壁にぶちあたるケースがあります。 俺にはどうしてもこの分野はむいていない、授業に出るのがつらいしついてゆくだけで必死と思う授業に関して、 それほど頭がよいと思えない クラスメートがやすやすとこなすのを見ると、挫折感を覚えることがありますよ。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 今、読み直してみると、3のお礼はちょっと不適切でした。 ただ、うろ覚えですが、イギリスではオックスフォードとケンブリッジはほぼ同格のイメージときいたような気がします。 日本では、イメージにおいて、東大の“1人勝ち”なんですね。
- suzup
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東大OB♂です。質問者の元カレではない(たぶん)ですが、劣等生・鈍才です。 それはともかく、元カレさんの言ったこと(言いたかったであろうこと)はよく分かります。 在学中、東大生の友人知人はたくさんできました。その中には「ああ、こいつは、オレとも、ほかのやつらとも、アタマのできがちがう。才能には勝てない。才能とは残酷なものだ」と感じるほどのやつもいました。その比率はざっと100人に1人ぐらいでした。 つまり3000人中30人ぐらいは天才(その定義はともかく)がいるのでしょう。残る99%は、私=鈍才や他大学生とさほど変わる点もなく、「よくて秀才、へたすりゃ凡才」でしたね。 何がいいたいかと言うと、「3000人いれば1番から3000番までいる」ということではなく、「1%は神に選ばれた者であり、99%は選ばれなかった者である。その間には、ランキングなど無意味な、超えることのできない“断絶”がある」ということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 神に選ばれた者とそうでない者、超えることのできない“断絶”……ですか。 あまりにもレベルがちがって、私には無縁の世界ですが、おっしゃること(そして、元カレが言いたかったであろうこと)は、分かったような気がします。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >高校をずっとトップに近い成績で過ごし、身近に自分よりも優秀な人はいなかった そういうかたたちが、初めて自分以上の“才能”に出会ったら、どんな気持ちなのでしょうね。ショック? 屈辱感? ぼうぜん? 元カレもそれを経験したのかなあ。