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エホバの証人は現在でも児童虐待をしていますか。
また、会衆(協会)として虐待を推奨していますか。 誹謗中傷では無く、事実を教えてください。
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- Lows
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私も以前そうでしたが、全くそういう事はありませんでした。 懲らしめはありましたが、それもゴムホースで尻を叩かれるのみでした。 私の周りは優しい人が多く今でも印象はいいです。 むしろ虐待というのは一部で異例なケースと思われます。 まあ、そういうおかしい人も出てきてますが。(最近の事件でもありましたが)
虐待を推奨しているのではなく、規律が厳しいのとしつけの一貫から、一般より厳しく感じます。あたしの親は両親ともエホバの証人でした。中学に入った時に「エホバに行きたくない」といったとたん、豹変しました。父親は長老(リーダー的な位置)だったため「自分の顔をつぶした」といって殴り続けられました。母親も気が狂ったようにガスのゴムホースの切ったのを持ってきて、たたき続けました。すごいみみず腫れと顔もたたかれたので腫れて1週間いけなかったのを覚えています。 「集会に行きたくない」と抵抗するたびに、これは繰り返されました。 結局、宗教に特定されたことだけでなく、親の理想がある家庭ではしつけが厳しくなり、それに反した言動や行動があると、異常なまでしつけといってたたくというのと同じことだと思います。基本的にエホバの証人になる人は、真面目で完ぺき主義な人が多く、このパターンの親に限ってはよくあることだと思います。同じ年齢のエホバの証人の子は、一般的な子供と変わらない生活を送り、ただ宗教してるってだけで生活している子もいました。その親は「子供にも意思があるから」といってあまり、しつけも厳しくなく、離れた子がいても「子供の人生だから強制はできない」という考えでした。 おかげで、中学2年の時から胃潰瘍寸前のため、胃薬のむ生活になり、そのころからパニック障害も出始め、社会人になってからは摂食障害になり、精神的に追い詰められていたので、気が付くと自分で自分の手をカッターで切りきざんでいて、血で真っ赤になっていたのを覚えています。(自傷行為という心身症の一貫)何か人間関係が上手くいかないことがあると、常にそういった心身症の症状が出て、30歳でカウンセリング受けて心療内科に通い、その結果、ようやく自身の中で心の処理ができ、現在やっとこさそういった症状に悩まされることのない生活をできるようになりました。宗教しているいない以前に、親の考え次第だと思います。 あたしの場合は社会人になってから、その宗教にかかわることやめ、勘当同然で出て行き、自立することで解決しました。しかし最近になって、思うのは、その宗教に留まった子供は、40歳近くなってもアルバイト生活、自立もできておらず、結婚もせずといった子供を数人聞いてますが、社会的に問題ありだと思います。うちの弟も宗教こそいってませんが、結果的には20代の大半を就職もせず、宗教の活動だけしていたことにより、一般の社会人からはずれているのでなじめず、未だにフリータ状態。もっと悲惨な話で言えば、60歳越えた人だと、今までの人生宗教につくしたため、アルバイト生活。60歳になって年金ももらえないため、未だに働かなくてはならず、年齢のため安い給料でしか働けないので、生活のため仕事増やし、あげく宗教活動も参加できず。なんのために、人生捧げてきたのかあたしには疑問です。 あたしがしていた頃よりは、規律にこだわりすぎることもないようなので、虐待というほどのことではないですが、しつけは一般より厳しいと思います。
- nttkirai
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こんばんは。回答失礼します。 たかだか家の近所の女性一人を見て、エホバ全体が虐待を推奨していると思うのは早急に過ぎると思うのですが、どうでしょうか。 無宗教でも宗教やってる人でも、子供をひどく叩く人間は居るでしょう。なんでエホバと関連させたがるんですか。 僕だって子供のころ、母親の体罰に耐えかねて「やめてーたすけてーもうぶたないでーごめんなさい!」と近所中聞こえる声で叫んだことは一度や二度じゃありません。それでも虐待、だとは思ってません。 あなたは誹謗中傷ではなく、とか論争を招きたいわけではない、などと言っていますが、どう見ても宗教批判にしか見えません。 大勢の人間が信奉している信念に対して懐疑の念を述べるのであれば、それなりの証拠でも見つけてから口出しして下さい。 あまりに独断と偏見に過ぎると思います。 以上です。
- komattasan2
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私は小学生の頃から母親といっしょに活動していました。今は疎遠になってしまっていますが・・・ただ今でもその頃からたくさんの教えを教わりました。私もおろかな人間の一人ですのですぐに流せされがちになってしまいますが、やはりその頃の正義がどこかに働いて今に至っています。確かに聖書の時代と現代では明らかに事情が違いすぎます。しかし親が子供を思う心、人が生きるためにあるべき姿などいつの時代でも普遍的なものもあります。自分が親になってつくづく感じております。本来の質問の児童虐待はあるか?についてですが、教義に虐待しなさいなど当然出てきません。他の宗教でも同様だと思います。時代が違うので比較はできませんが、修行で巡礼したり滝に打たれたり鍛錬?でお寺で叩かれていたり火の炭の上を裸足で歩いたりするのは虐待ではないでしょう。私も中学時代に先生から両手張り手や竹刀で叩かれたりもありました。ただそこだけを見られたら虐待と受け取られるかもしれません。今の子供たちは叩かれる=虐待と思っていますが、それは上記と同じ理由ですべてが虐待ではありません。当然行き過ぎると虐待です。親鳥が巣立ちになるとある日突然餌を与えるのを止めます。当然そのままでは餓死してしまいます。影でのフォローもあります。 今虐待での話がホットになっていますが、他にもいじめや殺人事件、凶悪犯罪、なくならない戦争、環境問題などさまざまな問題がとりだたされています。エホバの証人の生き方は虐待だけでなくそうしたすべてのことに答えを出しています。虐待だけで話題になるのは残念です。
- kaochina
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私は子供の頃からエホバの証人の母親とそうでない父親の家族に育てられました。 虐待はあったのか?答えはNOです。悪いことをしたときに懲らしめと呼ばれるものはありました。 でもそれは必ずしも体罰であったり、叩くという行為に限定されたわけではありませんよ。 まずは言葉で注意されました。何度も同じ事を繰り返したりしたときに、お尻をたたかれることはありました。おこずかいナシのときもあれば、おやつナシの時も、もちろんありました。 母が感情に任せて私を叩くとうことは一度もありませんでした。 お尻を叩かれる前に何故叩くのか、母はじっくり丁寧に説明してくれました。ママはあなたを愛しているからいい子になって欲しいと思うから懲らしめを与えるのよと。 ですから子供心にも悪いことをしたけれども、私自身ではなく悪いことを母が憎んでいるのだとはっきり理解できました。 叩くといっても数回パチンと叩かれるくらい。自分で虐待されていると思ったことはありません。もちろん叩かれた瞬間は痛いです。 でもあざになったり傷になったりしたことはありませんし、そこまでのレベルになるようで懲らしめではありませんよね? お尻ペンペンが終わったあと、母は必ず私を抱きしめてくれました。 ですから自分は母から愛されていると感じることが出来ました。 懲らしめとは矯正を指す言葉ですから、叩く=体罰と結論つけるのはどうでしょうか? 本来の懲らしめとは必ずしも叩かなければ分からないということではないと思います。 一般の方からすればアレもダメ、コレもダメと子供が可哀想と思うのかもしれませんが、私は子供のときから自分自身でこれを行うならエホバを悲しませることになると思ってしなかったことはたくさんあります。 だから納得のいかない子供は親が信者であっても辞めるのではないですか? 現在ではもし叩くなら一回でいいでしょうと言われています。 ただ解釈はそれぞれの親御さんによって異なりますので、そのあたりが難しいのではないでしょうか。 話は少しそれますが、私は海外でも生活したことがあります。 一般に日本人は真面目ですから、学んだことを厳格に実践したいと思う方が多いのかもしれません。 集会も静かに話しを聞く(もちろん学びに行くのですから静かに聴くのは当然だと思います。勉強するために大学へ行く人が授業に集中するのと同じです)のは基本ですが、国が違えば飴を舐めたり、コソコソ話をする人もかなりいますよ。 それがいいとか悪いとかの問題ではなく、あくまで事実ということで述べました。 どこの家庭の親も完璧ではありませんから、全てのことに道理にかなった見方・行動ができるとは限りません。一部でそういったことがあるとすれば悲しいですね。 長くなりましたが、結論からしてエホバも協会も今も昔も体罰を推奨してはいません。 ハッキリ分かっている神の原則以外の判断は、それぞれの個人の良心に任されています。 その中でその人なりのいろいろな解釈が出てくるのかもしれません。 仮に周りから体罰じゃないかと思われることがあったとしても、子供が憎くて叩いてるのではなく、愛しているからという理由です。
- bakeBAKEbake
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虐待のことは知りませんでしたが、 私なりに気になることがあります。 夏休み等、子供が布教(と言っていいのかな?)に回ってきます。 大人だとドアを開けてもらえないからだと思うのですが まだ小さな子が棒読みで丸暗記したような話をして 一軒一軒回り、様子をうかがうように背後に離れて立っている大人。 子供が一生懸命話しているので、断ることに後ろめたさも感じるし そういった事につけこむ為に子供を利用しているようで不快です。 暴力を目にするのも嫌ですが、こういった行為も見たくないと思います。
中学生の頃(今から25年くらい前です)に通っていた塾の入っていた雑居ビルの隣の部屋で、僕らの塾の時間と同じ時間帯に「エホバの証人」の会合(会合って言うんでしょうか?)をやっていました。 そして、塾の休み時間に恐ろしい光景を見ました。 みんなで鬼ごっこをしていたんですが、非常階段に何気に行ったら、そこでエホバの信者の母親が自分の子供のお尻を丸出しにして、ムチで思いっきり何回もひっぱたいていたのです。ムチも相当太いムチで、子供は泣き叫んでいましたよ。 しかも、母親の方は、僕らと目が合っても全く意に介さない様子で何度も何度も叩いていました。25年経った今でもあの時の光景は目に焼きついております。 その後、エホバの証人では必ず子供を会合に連れて行くということと、子供に厳しい体罰を与えるのだ、という話を誰かから聞きまして、その時もことを妙に納得した覚えがあります。 ところで話は変わりますが、私が小学1年生の頃、実は私の母も半年ほどだけエホバの証人に入っていたことがあり、私も連れられて行ったことをぼんやり覚えています。 ただ、私の母は私に対して厳しい体罰を与えたという覚えはありません。 あまりにも昔のことなので私が覚えていないだけかもしれませんが。 しかも、母は半年程度でやめているので、あまり教義に染まっていなかったのかもしれませんが。。 ご質問者様の指摘は、前半の私の中学生の頃の体験談及びその後エホバのことを他人から聞き及んだというくだりからも分かるように、周知の事実として体罰はあったと思います。 ※書きながらまたあのムチの母親の顔がはっきり思い出されてきました。^^;
- e2kyon
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母親が証人である研究生です。 現在証人の方と研究していますが、その方の話によれば昔はものさしでお尻をたたくなどの行為があったことは事実のようです。現在ではないですが。 エホバの証人の教えでは子供に『懲らしめや戒め』を与えることは必要である、と教えられています。このことは推奨されていると言っていいと思います。 単に、この『懲らしめや戒め』の度合いが昔と今とでは違っているために回答者の方々の意見が分かれるのではないでしょうか? いくらエホバの証人が『世界的に一致して』行動しているとしても「戒めと懲らしめと体罰」のように定義が曖昧なことでは、地域によって差ができてしまうのではないでしょうか? 体罰による『懲らしめや戒め』があったことは事実ですが、それが虐待と呼べるものであったかは地域・個人で差がある、というように思います。 現在は虐待と呼ぶような行為はありません。すくなくとも私の見える範囲では。
- venado
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ありますよ。 義理の兄が熱心な信者で、子供にいつも手を上げています。奥さんも信者なのですが、その虐待(と言っても良いかしら?)があまりにもひどいので、離婚する事になりました。 義兄はなんとしてでも子供をひきとろうとしていますが、奥さんはそれを拒否、今裁判中です。
- obaoba2000
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ともかくご近所の方の子供の悲鳴を聞き逃さないで、至急!最寄の児童センターに匿名で構わないので、電話して下さい!その信者の方も一旦自分の「躾」について第三者からアドバイスを受けるべきです。その子供にとって手遅れにならない内に!!