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ベートーベンの曲が終わりそうで終わらない
ベートーベンの曲はなんで終わりそうで終わらないんですか?
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ベートーベンは「自然に作曲した」のではなく、主題になるモチーフを練りに練ってシンプルにする一方で、その主題をを完全燃焼するまで徹底的に展開し、曲全体の構成を完璧の域にまでにつくり上げるという作曲の仕方をした人です。中身があまりに立派につくられているために、終わりも簡単には終われない、ドミソの主和音を何十回も鳴らして、完全完璧に終わらせる必要があった、そして聴いている人に充分な満足感が得られるようにつくられている、ということだと私は思います。しかしながら、これは聴く人の好みに大いに影響するところです。モーツァルトのような自然に流れる音楽が好きな人にはベートーベンはしつこくて苦手、ということが良くありますね。
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- love_5er
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bougainvillea(ブーゲンビリア)さん、こんにちは。わたしもそう思います。 すでにいろいろな方が詳細な分析をされているので,その補足にすぎませんが,なぜなのか、少し考えてみました。 ベートーヴェンの音楽の多くが終わりそうでなかなか終わらないというのは、表面的な感覚だけではなく,音楽の本質的な部分に関わっているからだと思います。だからこそ,ベートーヴェンより後の作曲家は,ベートーヴェンのように,なかなか終わらない音楽になったのですから。 【大きな表現に効果的】 『エロイカ』とよばれる第三交響曲は,それまでの交響曲を超える大規模な音楽です。第二楽章には「葬送行進曲」が入り,音楽の表現できる規模が大きくなりました。この最終楽章の形式は変奏曲です。最初は速い部分がありますが、かなりすすんでから非常に遅い部分が来て、また速い部分で締めくくられます。もし速い部分だけだとリズミカルで前進力のある音楽になります。しかし遅い部分が入っているので,最後の速い部分がダイナミックになり,『エロイカ』交響曲で表現されたエネルギをよく表現できると、わたしは思います。 【メロディーから音塊に】 『運命』と呼ばれる第五交響曲では、どうでしょう。第三楽章から切れ目なく第四楽章が始まります。途中に第三楽章のメロディーが復帰し、また第四楽章の喜びが表現されます。しかしこれでは終わらず、コーダでは、4分の4拍子から倍のテンポの2分の2拍子に加速して行きます。しかも和声をみると、「ドミソ」と「ソシレ」の繰り返しです。このことからbougainvilleaさんが感じられたように「終わりそうで終わらない」といえますし、「勝利」の調性であるハ長調を、聴衆の耳に印象強く残しているともいえるのではないでしょうか。このフィナーレのコーダでは、メロディーというより「音のかたまり」が続く感じがしませんか。これがベートーヴェン以前ともっとも異なる表現方法だと思います。 ベートーヴェンが交響曲といわれる抽象的な音楽によって,いろいろな考えを表現できるように「拡張」したため,後世の作曲家は交響曲を書くのがとってもつらい作業になってしまいました。ブラームスの第一交響曲は,ベートーヴェンの「第十交響曲」というあだ名があります。このフィナーレ(第四楽章)の最後(コーダ)もテンポが速くなり,遅い金管のコラールをはさんで,また速いテンポで締めくくります。ベートーヴェンの書法を忠実になぞっていると思います。 「終わりそうで終わらない音楽」にはとても深い意味があると思います。いろいろなことを考えさせていただけた質問をありがとうございました。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 ベートーベンには「音塊を使ったエネルギッシュな曲でバリバリと自己表現したい!」という気持ちがあったのですね。 曲をなかなか終わらせないのは、いわゆる「古典からロマンへの移行」のせいか・・・
- adagietto
- ベストアンサー率29% (19/64)
こういう質問,好きです。 なぜなんでしょうね。 ここは大のベートーヴェン好きとして遊び心をもって回答させていただきます。 以前クラシック入門者の友人に第3交響曲を聴かせたところ,彼女もまた質問者様と同じようなことを言っておりました。 第5交響曲に至っては「まだ続くの?」と言うありさま(苦笑) 私はベートーヴェンの曲,とりわけ交響曲の終わりそうで終わらないところこそ醍醐味のひとつではないかと思っております。 そして,それらのフレーズから感じ取りうるメッセージはこうです。 「どうだ!これが俺の曲だ!」 「これでもか!これでもか!」 3番や5番はその金字塔ではないかと思います。 8番もなかなかです。
お礼
> 「これでもか!これでもか!」 まさに!そういう感じがします。
- mariateresia
- ベストアンサー率32% (129/392)
皆様回答なさっているので今更説明することもないの ですが、ベートーベンという人はひとつのメロディー を作るにも大変な努力を使った。で浮かんだメロディ ーは徹底的に使うのです。例えば2フレーズのメロデ ィーがあるとすると展開部で最初は二つのフレーズで 示してからそれをひとつにして、半分にして、絞りき ったところで又違うメロディーを使って同じことをす る。 そこで例えば熱情を例に取ると一楽章なんか最後にコ ーダを持って来てジャジャジャンと派手に和音を弾 くと、その後又第一テーマを出して又ジャジャジャン を例の如く細かくしていって最後に又テーマの片割れ で終わると言う面白い癖があります。 終楽章も又然りで、そうして人を興奮のるつぼへと 誘うのです。 これは一例に過ぎませんが、ベートーベンのベートー ベンたるところでしょうか。 大きなフレーズを細かくしていくと、自然こちらも 拍が細かくなるので興奮してくるのですよね。
お礼
これは聞いてて思いました。 メロディーがどんどん細かく進化して、最後に終わりそうで終わらないのがベートーベンぽい感じです。
- katzenauge
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ベートーベンはソナタ形式を徹底的に追求した人です。 一般にソナタ形式には、「提示部、展開部、再現部」で構成されますが、この再現部で展開部と同じようなパートが形を変えて現れるために終わりそうで終わらないという風に聞こえるのかもしれません。 さらに、特にベートーベンは展開部にこだわっていて、再現部の中にもさらに展開部-再現部のような構成をつくったりしています。 他の方も書かれているように、彼のそういった曲構成がしつこさを感じされるのかも。
お礼
ソナタ形式が原因なんですね。 回答ありがとうございます
- ng001
- ベストアンサー率45% (105/232)
随分かわった質問ですね。 一般的にではなく、特定の曲を言っているのでしょうか? 交響曲でいうならば、第1番とか第2番は割とあっさりとした感じですね。 第3番は終わりに近づくほど盛り上がってきて、終わりそうにないという感じはありません。第4番もそんな感じはありませんね。 第6番なんかは終盤はさわやかで、もっともっと続いて欲しいと感じます。第7番はちょっとやかましいくらいですが、すばらしいノリです。第8番は愛らしくて、第9番に至ってはあまりに壮大で、終わりを予感するような曲ではありません。 という中で、第5番を飛ばしてしまいましたが、あえて言えばこの第4楽章なんかはそんな感じがするかも知れないと思うしだいです。暗い感じの第3楽章から一気に盛り上がって第4楽章に突入して、ほっと一息つくとまた同じような旋律が出てきます。おそらく9曲の中で、終わりそうで終わらないというのはこの部分のことではないかと想像します。 でも、なぜ?と問われても答えようがありません。一旦盛り上がった興奮を再度盛り上げるように造られていると考えたらいかがでしょうか? それにしてもベートーベンには良い曲がたくさんありますね。
お礼
回答ありがとうございます
お礼
完璧な終わり方を追求したということですね。 回答ありがとうございます