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確率変動の機種が出始めたときの反応は?

今では確率変動は当たり前だと思いますが、 昔から確率変動はあったのですか? 初めて確率変動が搭載された機種は? 物凄い反響だったのでしょうか? ギャンブルはあまり経験が無いので、 知識が乏しいですが回答してください!よろしくお願いします!

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  • kanzou
  • ベストアンサー率50% (205/408)
回答No.3

公に確率変動を売り物にしだしたのはCR花満開からでしょうね。当時パチンコ屋で働いていたので確変時の爆発力にはうんざりした覚えがあります。足元に箱を積むのがおっくうでしたw かなり反響はありましたが、爆発力だけなら「ソルジャー」「ピンホール」「ダイナマイト」などの権利物と呼ばれる機種もかなりのものだったので、それほど他の機種を凌駕するほどの勢いは感じませんでした。 どちらかというとCR機でパッキーカードを購入するのが面倒くさい、とかお客に言われてましたね。 ただし、昔から確率変動はありました。公に公表されていないだけで、機械内部の判定だけが変動してるタイプです。 簡単に言うと大当たりの判定は玉がチャッカーに入った瞬間に200~300マスの1つに当たりがあるルーレットを回しているようなものですが、あるタイミングで大当たりすると判定用ルーレットが~100マスくらいのものに変わるようなシステムです。実際はもっと細かい判定ですが、もうよく覚えていません。連荘モードなどと呼ばれてました。「ブラボーキングダム」などがその連荘モードを保つために単発打ちなどの攻略が広まりましたね。ただし、普通に打てば大抵4~5連荘程度ですから、爆発力では10連荘以上も珍しくなく50連荘以上なども出ていた「CR花満開」とは比べ物になりません。 上記のような隠れ確率変動台が人気があったこと、パッキーカード会社が警察の天下り先だったこともあり、CR機導入を各ホールに求めましたが設置費用が膨大で嫌がったのを抑える餌として、CR機には公に確率変動が認められたと言われてましたね。実際普通に新台入れ替えするよりもかなりの設備投資が必要だったので店をたたんだところやCR機を導入しないところもありました。 個人的な思い出として、CR花満開が全盛のころに常連のお客から「今月はこんなにつかっちゃったよ」と見せられた通帳の残高が1月で500万ほど減っていたのにびっくりしたことがあります。

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  • popesyu
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回答No.2

CR機の出始めはメーカーの方も店の方もおっかなびっくりという感じでしたので盛り上がり?というよりは戸惑いの方が先だったのかなと思います。 まぁそれまで非公式的な形でしか導入されていなかった連荘機能が公式的にルール化されて認められたので(その代わりにカードでしか遊戯できないという条件で。この辺はつまりは現金商売で脱税がしやすかったパチンコ店の売り上げを分かりやすくさせるため警察主導で行われた改革です。それまでパチンコ店と客の間で1対1の現金のやり取りだったのか、間にカードの会社が入ることで売り上げの数字が出やすくなったのです。んでついでにそのカード会社は警察の天下り先というわけでして...)。 CR機が盛り上がるのは出た直後ではなく、ある程度メーカーも店も客もこなれてきた時期で、やはり大工の源さんぐらいからではないでしょうか。3兆円産業とかもてはやされたのもその時期ですし、駐車場内の車に子供を放置して事故が増えたのもこの時期からだと思います。

  • shippo
  • ベストアンサー率38% (1216/3175)
回答No.1

私が覚えているのは約10年前になると思うのですが、「花吹雪」(だったかな?)が確変の最初の機種だったように思います。 当時は、確変の数字も3と7だけで、リーチアクションも2種類だけのシンプルなものだったように記憶しています。 現在のように、一度止まってから再度動くなんていうアクションもなかったですしね。 また、確変が搭載されたのは確か、プリペイドカード(packy?)が利用できる機種が導入された時と同じだったと思います。 このころはまだ現金で玉を購入するのがあたりまえの感じでしたし、単位も100円単位が多かったです。また、玉の購入も2台に1箇所の玉貸機しかなく、100円入れて手でざーっと受けるようなものが多かったと思います。 確変機の反響については、まだプリペイドカードでパチンコをする機会が少なかったことなどの抵抗感もあり、それほどではなかったと思います。 どちらかというと、確変機よりも「ダイナマイト」と呼ばれる一発機などのほうが人気が高かったような気がしますよ。

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