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さいころなどの確率について

確率は子供から老人まで誰もが知っていて、昔から数学的に定義されているようですが、その存在意味は何なのですか? 例えば、1~6の目のある理想的なさいころを振ったときの出る目の確率は1/6です。 このとき、 1.この世に理想的な条件はない。 2.さいころを振った後から見れば確率なんて関係ない。 2はどういうことかというと、今こうして人間がいるのは偶然に偶然が重なった産物だといわれ、なんとか分の1とかと表されてますが、時間が逆戻りしないのであれば、過去から今までの変化というものは1通りしかないのに、確率なんて要らないと思います。 こんな私を納得させるような意見お待ちしています。 ちなみに、私がひねくれているからといったご回答は、私自身承知ですので勘弁してください。

みんなの回答

回答No.8

こんにちは。 確率論と結果論。 未来と過去。 そして、今現在。 物事の見方の問題でしょう。 我々が、生きているのは、まさに今。 生きているときが今。 過去に生きないし、未来にも生きない。 今にしか生きないし、今にしか生きられない。 今。 この行を読んでいるなら上の「今。」はすでに過去。 過去のコトをどう考えても、何も変わらない。 変えられるとしたら、まだ起きていないこと、 これから起きること、つまり、未来。 未来を知りたい。 どうやって知ろう? 過去は1つ。 未来も、そのまた未来から見れば、過去。 つまり、今に対する未来も1つ。 だから確率は必要ない。と? 未来なんて知る必要がない。と? では、どうやってその1つをみつけよう。 ssk0723 さんの考え方は、 何を考えても、結果は1つなのだから、 見つけようがない。知ろうともしない。 結果を待つのみ。 ssk0723 さんと同じ考えを持たないひとは、 確率に頼る。統計にたよる。 明日、雨が降るかもしれない。 降らないかもしれない。 天気予報を見る。 天気予報は気にしない? 明日の降水確率は80%。 でも、傘さえ持たない?それとも、常に傘を持つ? なぜ?晴れていても、雨が降るかもしれないから? 『かもしれない』 確率以外の何者でもない。 確率の存在意味? 人間が楽したいから。 参考になれば幸いです。

ssk0723
質問者

お礼

とても参考になりました。精神論が大きいと思いました。ありがとうございます。 ただ、天気予報について、私は降水確率より天気図やアメダスを元に行動します。

  • ginko0730
  • ベストアンサー率30% (6/20)
回答No.7

アクチュアリー(保険数理士)という職業があるのですが、交通事故の発生率や病気になったときの死亡率など、確率の知識を応用して、保険を作っています。自分も最近まで知らなかったのですが、確率論はギャンブルだけでなく、このように保険の分野でも利用されています。

ssk0723
質問者

お礼

勉強になりました。ありがとうございました。

  • paddler
  • ベストアンサー率53% (176/330)
回答No.6

> 1.この世に理想的な条件はない。 当然でしょう。ありませんよ。これは「確率」を教科書で教える時に、考慮しなければならない要素を増やすと、それだけで初心者は分からなくなってしまう/イヤになってしまうので、核心の部分だけ扱って後は「熟練してから考えましょう」として隠しているだけですよね。我々が仕事で「確率」を扱う場合には、もちろん「理想」なんかでは役に立ちません。当たり前ですね。 > 2.さいころを振った後から見れば確率なんて関係ない。 その通りかも知れませんね。「今後起こるとことに合理的な対処をする」とか、「過去に起こったことの原因・理由を解析する/知りたい」ということがなければ、「確率」を計算してもあまり意味はないでしょうね。

ssk0723
質問者

お礼

仕事で「確率」を扱う?スロットなどですか? あれも当たる確率なんかが書いてますが、実際その通りにはならないですね。数こなすとそれに近くはなるとはいえ、こっちは1回1回が勝負ですから。 とにかく、ご回答ありがとうございました。

  • sunasearch
  • ベストアンサー率35% (632/1788)
回答No.5

確率は、不確実な事象を扱い、将来的な意思決定を支援するためのものです。 1.理想的ではなくても、理想状態から推定される確率が、実際の確率と大きくかけ離れていなければ、意思決定に際して、大きな問題とはなりません。 2.すでに起こったことは、もはや不確実ではなく、確実な出来事になったので、確率として扱う必要はありません。  過去の一時点における状態から現在の確率を計算した場合も、同様なことが繰り返される将来を予測するために用いることが目的ですので、現時点の事実だけを見る確率には意味がありません。

ssk0723
質問者

お礼

ありがとうございました。納得っできます。

  • teuu
  • ベストアンサー率26% (116/443)
回答No.4

この世のすべては確率で決まっています。 したがって確率は時間の流れと切っても切り離せないものとなっています。 もし世界の時間が止まれば、そこに確率は存在しないでしょう。 しかし時間の流れがある以上、そこに確率は在ります。 ラプラスの悪魔というものがあります。 世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができるような、悪魔です。 この悪魔はこの先世界がどのようになるかを完全に知ることができます。 しかしこれは不確定性原理により、 全ての原子の「位置」と「運動量」は同時に知りえないことが証明されました。 したがって、未来を先読むことはラプラスの悪魔でも不可能になったのです。 量子力学において、原子の挙動は確率的な動き方をすることがわかり、 これにより未来はわからず・原子自体が確率的な動きをする、ことによって、 確率というものが必要となってくることの証明となります。 ちなみに未来が無限の可能性を持つように、 過去も無限の可能性があります。

ssk0723
質問者

お礼

量子力学の不確定性原理は、プランク長という長さ以下のミクロの世界の物理運動を記述できないみたいです。ということは原子の記述も厳密にはあいまいなのでは?

回答No.3

現在から過去を見れば 起きた事象 としては 1通り なので、「確率」なことは確かに、不必要ですね。 けど、現在から未来を見てみたらどうでしょう? 確かに 1. の通り、「理想的な条件」などないかもしれません。 それでも人は「自分の思い通りに」とか、「少しでも楽をしたい」とか、「分からない未来は不安」とか思ったりします。 だから昔から「占い」とか「神のお告げを聞くための儀式」などがあったりします。 こういうものから「確率」という考え方が生まれたのではないでしょうか? 存在意義…とまで言われると、違うかもしれませんが、 「未知な未来を知る(または知ろうとする)ためのもの」 でいかがでしょうか。

ssk0723
質問者

お礼

なるほど、精神論が深くかかわっているのは同感です。ありがとうございました。

  • denbee
  • ベストアンサー率28% (192/671)
回答No.2

>2.さいころを振った後から見れば確率なんて関係ない。 確率論は、元々賭博で勝つために始まったそうです。 それなりの金額を賭けるときには、より確かな方へ欠けたいのが人情でしょう。 >時間が逆戻りしないのであれば、過去から今までの変化というものは1通りしかないのに、 >確率なんて要らないと思います。 結果を見ると確かにそうですが、確率は元々未来を予想するためのものです。 喩えるなら、推理小説を結末から読み進めていって 「犯人はこの人なんだから、それ以外の人間を疑うのは意味がない」 と言っているようなものだと思います。

ssk0723
質問者

お礼

ありがとうございます。 推理小説のたとえがとてもわかりやすかったです。

noname#25358
noname#25358
回答No.1

 実際おっしゃることはその通りで、アインシュタイン言うところの「神はサイコロを振らない」という言葉はある意味正しいのです。  手の筋肉量から始まって、そのときの気分、机の角度、サイコロ自身の重さと重心から、その日の気象条件まで、ありとあらゆる条件を参照することができれば、サイコロの次の目は確実に予測できます。  ですがその計算をするためには、参照しなければならない情報の種類があまりにも膨大で、普通の人間ではとても算出などできません。  これは、カオス理論において、『将来的な答えが1つしかなくても、予測することは不可能である』と定義されていることにとてもよく似ています。  実際のところ、サイコロから「確率」という言葉を除去できるかどうかの問題は、カオス理論によって説明することができるのです。  よって、サイコロの目は「実質的にランダム」なのであり、「物理的にランダム」なわけではありません。  そもそも、この世には本当の意味での乱数は存在せず、全ての実在乱数は「擬似乱数」にすぎないんです。

ssk0723
質問者

お礼

明確な回答ありがとうございました。