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HANDEL

ヘンデルのメサイアの中に次のような歌詞があります。 (No.B10) The people that walked in darkness have seen a great light. And they that dwell in the land of the shadow of death, upon them hath the light shined. (No.B11) For unto us a Child is born, unto us a Son is given. そこで質問ですが、No.11の冒頭の"For"は、前段の"upon them hath the light shined."を受けて、「何となれば(since,as)」という意味なのでしょうか? 和訳で、"For"を敢えて訳さずに「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた、ひとりのみどりごがわたしたちに与えられた」となっています。

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回答No.2

一応,そういっていいかと思います。 と一言だけの回答というのも味気ないので,少し補足しておきます。 このメサイアの歌詞の出典は,旧約聖書のイザヤ書第9章です。 古くから使われているKing James Versionという版で,こんなふうになっています。 第2節:The people that walked in darkness have seen a great light: they that dwell in the land of the shadow of death, upon them hath the light shined. 第6節:For unto us a child is born, unto us a son is given: and the government shall be upon his shoulder: and his name shall be called Wonderful, Counsellor, The mighty God, The everlasting Father, The Prince of Peace. 第9章全体は,こちら↓で読むことができます。 http://www.biblegateway.com/passage/?book_id=29&chapter=9&version=9 上の方に出ているウィンドウを使えば,別バージョンの本文も見られます。 それぞれの部分に対応する,日本語版の聖書(新共同訳)では,次のようになっています。(なお,KJVの第1節に相当する部分がないので,節番号が一つずれています) 第1節:闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。 第5節:ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。 権威が彼の肩にある。 その名は、 「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。 お示しの和訳はここからとったようですね。 このような,「理由を示す文頭のFor」は,聖書を読んでいるとしばしばお目にかかります。 以下にいくつか例をあげましょう(KJVと新共同訳を使いました)。 Repent: for the kingdom of heaven is at hand.(マタイ4-17) 悔い改めよ。天の国は近づいた For mine eyes have seen thy salvation,(ルカ2-30) わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen.(マタイ6-13) 最後のは「主の祈り」の最後の一節ですね。 新共同訳では「国と力と栄えとは永遠にあなたのものです」となっていますが,一般には「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」という文語バージョンで知られています。 こんなふうに,日本語訳ではしばしばforに相当する部分が省かれています。 ただ,文語訳よりも最近の訳の方がforを省く傾向にあるかというと,必ずしもそうではなく,たとえば先ほどのルカ2-30は,文語訳では「わが目は,はや主の救を見たり」となっています。 長くなってしまいました。補足というより蛇足だったかも知れません。 聖書の語句をどう訳すかというのはけっこう大問題で,本当はヘブライ語や古代ギリシャ語やラテン語にまで遡って検討すべきなのでしょうが,全くの素人で分かりませんので,このくらいにしておきます。

noname#17853
質問者

お礼

懇切丁寧な回答をいただき感謝しております。貴重な「蛇足」を有難うございました。キリスト教には門外漢ですが、口語訳よりも文語体の訳の方に惹かれます。

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回答No.1

こんばんは。 10番の歌詞は、イザヤ書9:2で、11番の歌詞は、イザヤ書9:6です。 つまり、ここは文章が繋がっておらず、間に別の韻文が挟まっています。 11番の最初の接続詞は、5節までの全体を受けています。意味的には、そこをお読みになればわかると思います。 聖書の中には66巻の書がありますが、メサイアの歌詞はその様様な箇所から断片的に、とられています。 全体として一つのメッセージになってはいますが、歌詞として、一つのものと次のものを、全部繋げて考えるのは無理です。 それから、ときどきここのカテゴリでもみかけることですが、英語の聖書(やそこからとった歌詞)と、 日本語の聖書を、つきあわせて、ここは言葉や時制が合わない?と、照らし合わせないほうがいいです。 (照らし合わせてもいいけれど、繋がらないことも多いということ) 英語の聖書から日本語の聖書が訳されたわけではないし、聖書には時代毎にいろんな版があります。 イザヤ書の書かれた元の言葉はヘブライ語で、現在では 日本語の聖書も、英語の聖書も、共に、ヘブライ語から訳されています。 (旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシャ語) もとのヘブライ語にしても、原典に近いだろうといわれるものも、沢山の説があります。とりかたが色々に 解釈できる箇所が多くあり、研究は今も進んでいます。

noname#17853
質問者

お礼

有難うございました。あまり細部に拘らないで全体の流れを掴んでゆきたいと思います。

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