- ベストアンサー
夢が終わる日 どうやって立ち直りましたか?
20代前半、男性です。 「人間関係・恋の悩み」のカテゴリーにズレるかも知れませんが 包括した内容でもあり、このカテゴリーが盛んだということもあって このカテゴリーで質問させてもらいたいと思います。 本題です。 先日、追い求めていた夢が終わりました。 訳あってその夢は二度と叶うことはありません。 私は今日までその夢をかなえるために努力し、頑張ってきました。 その夢があったおかげで、人生を積極的に生きることができていたと思います。 しかし、その夢が終わった瞬間、世界は一変して色あせ 情熱は消え去り、目の焦点は虚ろに定まりません。 結局は、新しい夢を見つけ、再び前進するしかないことは分かっていますが 本当に叶えたかった夢だったために、ちょとした気晴らしなどで忘れられたり そう簡単に割り切れるものでもありません。 みなさんにも「真剣に努力して叶わなかった夢」あると思います。 人間関係に関する夢、恋愛に関する夢、人生の夢など その夢が終わった時は想像を絶する絶望感を感じられたと思います。 そんな時、あなたはどのようにして乗り越えましたか? また、新しい一歩を踏み出すにあたって助けになる考えなどありましたら 聞かせていただきたいと思います。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
「夢が終わりました」 これはわたしも22くらいのときでしょうか、思いました。 「どうやって立ち直りましたか?」 すぐには立ち直ってなかったとおもいます。 過去を振り返って、あの時点が今から見てどういう意味があった。とか書いても(考えようによって人生のどれにも意味がある、と誰でも言えてしまうので)、人に起こる出来事は人によって異なり、あなたの人生には起こらないことを言っても、気休めにしかならないかもしれません。 ですので、ちょっと別のことを書いてみます。 その時点から10年以上経過する中で、みつけたことがあります。 人生は(「神は」でも「運命は」でもなんでもいいです)、常に2つ以上の選択肢を私たちに提示し、その中から選択・決断し進んでいくことを人生に見せつづけている、ということでした。 10代の頃に夢をいだける人は、わりとその方向性ややりたいこと、実現したいことなどがはっきりとイメージできます。 その道1本以外は、他のものはどうでもいことであったり、あまり価値のないことに見えてしまいます。 しかしどうも人生をつかさどる宇宙の神がいるとしたら、神は人生において常に2つ以上のテーマや選択肢を提示しつづけているようです。人生の職業においても恋愛においてもそのようです。 1つの天性のみを与えている場合もありますが、どうもそれはごく一部の人のようです。 たとえば指揮者の小沢征爾さんの人生や、昔のモーツァルトなどは、10代の頃から一環して音楽というテーマが崩れず、また人生で起こる出来事もそれに関連するものばかりが起こっているように見えます。 こういうタイプの人は、どの業界にもいると思います(もちろん苦難はあります)。 ところが、それ以外の無数の人たち、つまり一般人には、テーマは1つではなく、人生の中には複数のテーマがあることを教えようとしています。そしてなにか行動を起こすときや決断するときに、まったく異なる2つの選択肢から選ぶことを求めるようです。 道で言えば、左の道へ行くか右へ行くかで、その後の人生がまったく変わってしまうような「選択の試練」をあたえているかの時が多いです。 世の中の成功者や望むものを手に入れた方の多くは、後者のケースがほとんどです。 マスコミなどで華やかに取り上げられるの人の多くは、前者のようなテーマが明確な人が多いため、あたかも彼らは天職が与えられた人のように輝いて見えます。しかし、世のほとんどの方は後者です。 テーマが1つではない。選択肢が常に2つ以上ある。 その中でも、夢を追い成功をつかむ、ということは、別の見方をすると自我を通さず周囲の人々との接点を学び、人の痛みを理解しないと、物事は形を成さないことに気がつかされます。 それが神が人生が、私たちに教えようとしていることではないでしょうか。
その他の回答 (4)
- acuna
- ベストアンサー率14% (319/2259)
必死に一所懸命努力したことそのものが、あなたの財産になっています。 夢が消えた瞬間は、何もする気が起きないほどになることはあります。 人生の夢が壊れかけて、まともな社会生活を送れなくなったこともあります。特に若い頃は・・・。 でも、一流を目指した経験は、次のチャレンジで間違いなく生きています。それまでより短時間で駆け上がるコツが解っているからです。 ある程度の年齢になって、一生いてもいいと本気で思った人と別れたときは1週間全く眠れませんでした。 10年経ちますが、相手のある場合は正直、消え去ることはありません。次に踏み出そうと思ったのはつい最近のことです。 でも、この人生終わるまで、辛いことをかみ締めて、泣きながらでも、いい歩き方をしたいと思っています。いつかこの世とはバイバイですが、それまでの勝負です。 泣くことや、耐え難いことがあったとしても、その100分の1の「良かったな」って一瞬があればいいのです。
お礼
回答者様のご意見にはとても共感を覚えます。 そうですよね。 私は間違いなく、一流を目指すために十分とは言えませんが努力しました。 今はその失敗をいつまでも嘆いている時ではなく、早く次に繋げることが大切であると分かりました。 そして、私の夢も回答者様と同様に、いつまでも私の目の前にあり消えることはありません。 その度に私は唇を噛むことになるでしょう。 でもそれも自分を成長させるにはいい事かもしれませんね。 人生、確かに辛いことが多い。 そんな中でどれだけ立派に生きていくことができるか それこそ生きる輝きですよね。 素晴らしい回答ありがとうございました。なんとか立ち直れそうです。
- cueda
- ベストアンサー率32% (117/358)
こんばんは。 自ら命を絶とうとしました。 その瞬間「死ぬのが怖く」なって辞めてしまいました。 その日の夜、父が泣きました。 初めて父親の涙を見て、「死ぬことすらできなかった情けない状態から立ち直ること」が努力目標になりました。 無理やり食べる、無理やり遊ぶ、無理やり寝る、無理やり体を動かす、無理やり旅行に行く・・・ しだいに無理やりに・・・というのがなくなってきました。 無理やりにした勉強で、その楽しさに気づき、 無理やり行った旅行先でたくさんのよい出逢いがありました。 そのうちそれらが自信になりました。 いつの間にか新しい目標ができ、それに邁進できる力が備わってきました。 今も夢や目標がありますが、当時の私では考えもつかない目標だったりします。 今の自分はあのときの挫折がなければなかったと思います。 死ねなくてよかったと本当に思います。 神様はその人が越えられるだけの壁しか与えないといいます。私はそれを信じています。 どん底があれば日の目をみることもありと思います。
お礼
どこの誰かも分からない私などに そんな重大な経験を話してくださるなんて感謝の言葉もありません。 そんな親切な方がいらっしゃると分かっただけで少し元気が出てきます。 ですが、程度のもんだいでもないですが 自ら命を絶つほどの絶望を味わったことは私にはありません。 そんな経験をなさっている回答者様ですら今も力強く生きていらっしゃる。 私の悩みのなんと小さいことか。 回答者様の言うように、今はなんでも無理やりに行動してみようと思います。 新しい自分を探すよう努力します。 そして、回答者様のように「あの挫折があったから‥‥」 と思えるようになりたいと思います。 とても貴重なお話、ありがとうございました。
- mil
- ベストアンサー率18% (326/1786)
私の場合は 引きずるタイプなので なかなかふっきることができませんね。 でも、泣いていても 笑っていても 同じ時間が過ぎるので 一時的に思いっきり泣いて あとは無理をしてでも笑って過ごします。 あと 今まで出来なかった(しなかった)事に チャレンジします。 そんな大それたことでもなくて パチンコをしたり、 一人で買い物へ行ったり、映画をみたり・・・ 何かの経験を積むことによって その夢の事を忘れるようにします。 どこかのキャッシング会社のCMで 「古い記憶は 新しい記憶に どんどん押される」ニュアンスのものがありましたが、 あれと 全く同じ感じです。
お礼
身近な内容の回答ありがとうございます。 参考になります。 確かにこのままフラフラしていても同じ時間が過ぎますね。 私もそんなふうに時間を無駄にしたくはありません。 今のうちに思いっきりあがいて、早く立ち直ろうと思います。 そして、なんでもいいから新しいことをする。 これも良さそうです。NO.1さんもおっしゃっていましたが 新しい感動を得ることは、私に必要で有効なように思えます。 そうすれば、悪い記憶を脳の隅っこに追いやることができますよね。 大変、参考になる回答ありがとうございました。
そういうときは誰でもありますよね・・・ 本当に辛いですよね。 私はお見合いをして、お付き合いをして駄目になってしまったことが2回あったのですが、それこそ、「結婚」を夢見て幸せだったのですが、パーになったときの衝撃は大きかったですね。 勿論泣きましたし、未練たらしく相手のことを思っていたりしましたね・・・ で、私はどうやって立ち直ったというかと言いますと・・・ 1回目のときは海外旅行へ行きました。 わ~こんなに素晴らしい世界があるんだ!!と相手のことなどすっかり忘れてしまいました。 それからスッパリ未練もなくなりました。 2回目のときはダイヤモンドのネックレスを買いました。 丁度、宝石店からセールのお知らせをいただき、色々 何百万もするような宝石を見せていただいて、それこそ、わ~と目もくらむような思いをして、倒れそうでした(笑) ダイヤモンドのネックレスは以前から欲しかったので、この機会に「忘れる」という意味も込めて、買ってしまいました。それから、スッキリしました。 ・・・と、私の場合はお金はかかりましたが、まとめて見ると他のもっと素晴らし世界に触れてみるというのはいかがでしょうか・・・以前から自分がやってみたかったこと、欲しかったことを思い切ってやってみたり手に入れてみるのです。 確かに、夢が叶わないことは悲しいことですが、世の中ってそれだけじゃないんですよね・・・ちょっと視線を変えると別な素晴らしい世界もあるんですよ。 何か、そう、「感激」してみるとエネルギーが沸いてくるような気がします。 勿論、その夢は大きなものな分、それ以上の大きな「感動」が必要になるかとは思います(笑) 何かの参考になれば、幸いです。
お礼
心温まる回答、ありがとうございます。 買い物で気が休まる気持ちは私も分かります。 夢が終わったその日は、その足で本屋に行き 自己啓発系の本やらなにやらを計3冊ほど買いました。 普段の私は良く考えて買う方なので、自分でも驚きましたが なんとなく、世界に対する絶望感が消えた気がします。 とはいえ、それも根本的な解決になっていませんね。 本当に新しい一歩を踏み出すためには回答者様の言うように 新しい世界を見つけ出し「感激」するのがいいかもしれません。 その感激が世界の色を取り戻してくれそうです。 やはり、一人で考えるよりも他の人から言われたほうが 「世の中。まだまだ捨てたもんじゃない」と思えるようになりますね。 少し、自分の可能性を信じてみようと思う気になりました。 参考になる回答ありがとうございました。
お礼
参考になるお話ありがとうございました。 お礼が遅れてしまってすいません。 今ではすっかり立ち直りました。 回答者様の言うように神様が与えてくれた試練だったのかも しれませんね。 少し成長できたのかな、と思います。 ありがとうございました。