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ロバノフスキ

ACミランのシェフチェンコ選手のインタビュー等に出てくる ヴァレリー・ロバノフスキ大佐とはどういった人物なのでしょうか?

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  • Jameskusa
  • ベストアンサー率31% (229/718)
回答No.2

旧ソ連サッカーを語る上で真っ先に出てくる人物だと思います。またソ連サッカーを常にヨーロッパの強豪の地位を維持した人物と言ってもいいでしょう。シェフチェンコはソ連崩壊後の母国ウクライナでの最後の弟子みたいな感じですが、ロバノフスキーに育てられた選手は、ディナモ・キエフを中心に多いです。古くは現ウクライナ代表監督のブロヒンが有名ですが、その他にもプロタソフ(80年代を代表する世界的なストライカー)、ベラノフ(86年バロンドール受賞)、サレンコ(94年W杯得点王、彼はロシア代表ですがウクライナ系ロシア人です)、ミハイリチェンコ(80年代後半のソ連代表の中心的ゲームメーカー)、カンチェルスキス(プレミアで長く活躍した元ロシア代表の中盤のダイナモ、彼もウクライナ系)などウクライナ出身の旧ソ連代表、ウクライナ代表、ロシア代表の著名な選手は彼の指導を受けています。ウクライナ出身で代表に選ばれたのはディナモ・キエフ所属の選手がほとんどですし、彼は長年指揮を執っていました。晩年にはウクライナ代表とディナモ・キエフの監督を兼任するほどウクライナサッカー界に影響を与えています。 ただし規律が厳しい独裁的な面と自分の理論に基づき、モダンサッカーを採用しないなど扱いにくい人物だったようです。代表監督も常に長く続けたわけではなく、解任されては重要な試合の前に復帰するというパターンが何度かあったように記憶しています。 2002年に死去しましたが、ウクライナでは国葬が行われたと記憶しています。

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質問者

お礼

偉大な人物だとは聞いていましたが国葬が行われる とはすごいですね。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • you19994
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回答No.1

紛れもなく旧ソ連、ウクライナサッカー最大の功労者と言える人物では ないでしょうか? 大佐はニックネームです。別に軍隊にいたわけではありません。 今でこそウクライナ代表のシェフチェンコの師匠ですが 古いサッカーファンにはオレグ・ブロヒンという 史上最高のスピードスターの師匠と言う方が通用するかもしれません。 ロバノフスキはディナモ・キエフ監督と代表監督を長年兼任し、 厳しい規律と練習で選手を育て上げて ブロヒンやシェフチェンコを輩出しました。 特にウクライナリーグでは9連覇を達成するなど 大監督としてウクライナの英雄でした。 2002年5月(4月だったかもしれませんが) に監督のまま亡くなっています。 その年のチャンピオンズリーグ決勝では ロバノフスキの功績を称えて試合前に全選手による黙祷が捧げられる など、ヨーロッパでは最高レベルの監督と評されていました。

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質問者

お礼

大佐のニックネームがつくほど厳格な人物だったのでしょうね。 回答ありがとうございました。

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