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近い駅なのに駅名が違う(あるいは逆)
前々から気になっていたのですが、すぐ隣なのに駅名が違う(あるいはその逆)のは何故なのでしょうか。関係者や鉄道ファンの方でご存知の方に教えていただきたいのです。 ★例えば東京の場合ですと、 A-1、代々木八幡・代々木公園 A-2、原宿・明治神宮前 A-3、御徒町・上野御徒町・上野広小路・仲御徒町 A-4、御茶ノ水・新御茶ノ水 A-5、小川町・淡路町 A-6、後楽園・春日 A-7、新宿・新宿西口 ★逆に、駅名が違うのに連絡駅扱い(?)しているケース。東京ですと・・・ B-1、赤坂見附・永田町 B-2、業平橋・押上 B-3、国会議事堂前・溜池山王 B-4、日比谷・有楽町 B-5、三越前・新日本橋 B-6、大門・浜松町 B-7、馬喰町・馬喰横山・東日本橋 B-8、新御茶ノ水・小川町・淡路町 ★番外ですが、駅名が同じなのに、乗換えるには遠いケース。東京ですと・・・ C-1、蔵前(都営浅草線と都営大江戸線) C-2、浅草(東京メトロとつくばエクスプレス) C-3、東京(母屋と京葉線、新幹線と横須賀・総武快速線) いずれも社名が冠されている場合(京王・京成・京急・西武など)を除きます。 上記以外にも色々あると思います。 以上、よろしくお願いいたします。
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#9の頓挫の件ですが、北勢鉄道ではなく、国鉄瀬戸線ですね。 国鉄瀬戸線は、元来は岡多線(岡崎-豊田-多治見間/現在の愛知環状鉄道)と同様に、名古屋地区の環状線を形成する計画でした。当初の計画では、瀬戸線は岡多線の瀬戸から分岐して中央線高蔵寺に達し、高蔵寺-勝川間は中央線と並行、勝川から分岐して名古屋市北部に経由して稲沢まで結ぶもので、別に小田井-枇杷島間の連絡線も計画されていました。沿線にトヨタ自動車などの工場があり、その貨物輸送を主たる目的としていました。 現在の、愛知環状鉄道は、昭和39年に岡崎-瀬戸間が着工、貨物専用線として45年に岡崎-北野枡塚間が開業、岡崎-新豊田間が51年に開業しました。瀬戸線は、51年に着工したのですが、岡多線の新豊田-瀬戸間と瀬戸線の瀬戸-高蔵寺間は昭和61年の段階で殆ど完成していたのですが、国鉄がこれを開業することは国鉄改革法によって出来ませんでした。
- awahiko
- ベストアンサー率39% (291/734)
みなさん色々なご意見があるようですね。 私は単なる「鉄」でしかないので、分かるところも分からないところもあるんですが、共通して思うのは、 C-2の「浅草」のようなのうは如何なものかと思うんです。あまりにも離れすぎでしょう?!冗談はよしこさんですよ。 C-1の「蔵前」は「外に一度出てからでないと乗り換えられない」なんて・・・。大江戸線を「厩橋」(読みづらいなら“うまや橋”でもなんでもいいから違う駅名)にすりゃ良かったんだ!と思ってたりしますね。浅草線とは大門で、三田線とは春日で連絡してるんだから、ムキにならなくてもいーじゃん、と思います。大江戸線は、むしろ同じ地下鉄線で唯一連絡していない千代田線との関係(牛込あたりで無秩序に駅を量産したんだから、近かろうがなんだろうが、“乃木坂”を作るべきだったんだと思います)を考えるべきだったと思います。 A-3の御徒町・上野御徒町・上野広小路・仲御徒町 に至っては「極まれり」ですよね。どこをどーして、そーしたら、そーなるのよ?です。 私も質問者さんと同様、原宿と代々木八幡の経緯は不明です。 以上4つの意見でした。 回答になっておらずすみません。
お礼
ありがとうございます。 「鉄」ってなんですか? 浅草は浅草でないのですか。 蔵前は今度実験してみようかな。 御徒町・・・。よくわかんないんです、あそこ。
- doulab000_1970
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さらに番外ですが,現在銀座駅は銀座線,日比谷線,丸の内線の乗換駅ですが,日比谷線開通前は銀座線と丸の内線は直結していなかったために銀座線が銀座,丸の内線が西銀座だったという例もあります。
お礼
えっ?そうなんですか? 知らなかったなぁ。 ありがとうございます。 駅は世につれ、世は駅につれ、ですね。
ご存知かと思いますが、東海交通事業はJR東海が出資した会社です。 現在の状況では城北線の電化さえ厳しいのですから、勝川の状況に変化はないと思います。といいますのは、97年(少し前のデータで済みません)の状況では、枇杷島-勝川全線の輸送密度は433人です。経営はかなり厳しい状況です。城北線の運賃の状況からでは1500人は必要とされています。輸送密度の定期比率は52%ですが、城北線の状況は絶対密度が低いので意味がありません。最混雑区間は、味美-比良間で15%です。
お礼
何度も恐縮です。 誠にありがとうございます。
- windwald
- ベストアンサー率29% (610/2083)
No7です。最後の一文を誤解されてしまわれたようです。 「駅が近かったり乗り換えたり出来ると言うだけで同駅名でなければならないのでしょう。」は反語です。 駅が近いとか乗り換えできると言うだけで同駅名にしなければならない理由など何一つありはしない、という意味です。旅客案内上、同駅名のほうがよいとは言えますが。 ちなみに京葉線の場合、別の駅にしてしまうと運賃計算等が面倒になるので東京駅構内でつないでしまいましたね。
お礼
わざわざのご解説、恐縮です。ありがとうございます。 なるほど。わかりました。 京葉線はやっぱり「運賃体系が面倒」だったのですね・・・。
再度の追加です。 大阪市営地下鉄の駅ですが、梅田・東梅田ですが、これは、御堂筋線と谷町線をホームを腹付けで工事する予定だったものですが、地盤が悪いために腹付け工事が出来ずに現在の形となりました。梅田の地名は地盤が悪いので沢山の土砂を埋めたことからきているようです。
お礼
何度もすみません。 情報、ありがとうございます。
私のカキコに追加です。 1.勝川ですが、これはJRと城北線(東海交通事業)の誤りです。 この駅は、元来国鉄時代に城北線が貨物主体の国鉄瀬戸線として計画されていたのですが、計画が頓挫してしまい、勝川-枇杷島間が完工に近い状態で工事が凍結していました。JR東海はこの路線の旅客化を計画し工事計画の変更の認可を得て旅客開業しました。 しかし、城北線の勝川駅は仮駅で離れています。中央線の連続立体高架事業の完成に合わせて中央線構内に乗り入れる予定ですが、まだ具体化していません。それで、このような形になっています。 2.桑名・西桑名ですが、西桑名駅は以前は近鉄北勢線の駅でした。 近鉄北勢線は、当初北勢鉄道が大正3年に西桑名-楚原間を開業、翌年に桑名町-西桑名間を開業しました。その後9年に電化を行い、北勢電気鉄道と改称しました。その後、戦時中に三重交通と統合され昭和20年の空襲で桑名町-西桑名間が休止しました。昭和23年に桑名町は桑名京橋と改称して復活しましたが、渋滞が激しい国道1号線との平面交差があり、36年に廃止されました。同じ36年に三重交通の鉄道部門は分離して近鉄が運営する形となり、39年に鉄道部門は新設の三重電気鉄道に分離し、40年に近鉄が吸収合併しました。 駅についてですが、西桑名は、近鉄・JRの南西側に位置しています。これは北勢鉄道が開業時代には関西線の桑名は桑名の中心ではなく、北勢鉄道が中心部へ乗り入れる予定で桑名(当時の市街地)の西側に関西線との連絡駅として西桑名駅を設置した為です。
お礼
何度もご足労いただき、ありがとうございます。 1:いわゆる「大環状線」構想は、今はもうないのでしょうか? 2:北勢鉄道の「それ」は、もう頓挫したままなのでしょうか?
- ceeda34
- ベストアンサー率36% (517/1418)
さて、この手の場合は開業路線によるところが大きいでしょう。 A-3とA-6、B-6については都営大江戸線が関係しています。 A-3とA-6は大江戸線開業前はまったく別の駅です。ところが間に大江戸線が開通して、別々だった駅がつながってしまいました。そのため同じ駅になったのです。 変わったところではA-4とB-8です。 B-8の淡路町と新御茶ノ水は元々違う駅でした。 逆に新御茶ノ水は丸の内線御茶ノ水と同じ駅扱いだったのです。ところが都営新宿線開業で小川町が誕生すると、丸の内線淡路町とつながってしまいました。そのため、千代田線新御茶ノ水と丸の内線御茶ノ水は乗換駅扱いを廃止します。ただ、新御茶ノ水、丸の内線御茶ノ水供にJRの御茶ノ水とは乗換駅となっています。 違う駅なのにメトロで同じ駅名はまずいから、後から出来た千代田線は新がついたと思われます。 A-7、B-1、B-3、B-5はいずれも後から出来た駅が古い駅につなげるように建設した経緯があります。新駅ですが離れすぎているため単独の名前をつけたものの、既存駅とつなげてなるべく便利にしようと思ったのでしょう。実際には不便ですが・・・。 そうそう、都営とメトロには乗換駅を利用して連絡切符をあらかじめ買った場合、割引がありますよね。 実は都営大江戸線の新宿駅は都営新宿線と乗り換え駅扱いですが、丸の内線の新宿駅は別扱いなのです。 ですから割引がないんですね。だけど、新宿西口駅は丸の内線新宿駅と同じ駅なんです(笑)。ですから割引が利きます。でも都営新宿線新宿駅とは別駅扱いです。しかし、大江戸線の新宿西口、新宿はどちらもJRとは乗換駅扱いです。面白いですねぇ。 B-7は馬喰町と東日本橋が別々の駅でしたが、都営新宿線開業で馬喰横山が出来たため乗換駅となりました。 C-1は建設の都合上ああなったのでしょう。しかし、同じ都営同士の駅なので、意地でも乗換駅にしなくてはいけないという都営の意向でしょうね。 C-2は珍しいパターンです。 これは駅名云々ではなく、完全に国際観光地浅草の名前を利用しただけでしょう。乗換えというより、ここは浅草だよというのをアピールしたのだと思います。 C-3は建設の都合上であそこに出来ました。元々、成田新幹線用地として確保していたところに、JRは京葉線の駅を作ったのですが、JRなのに都心で単独の駅ではまずいので、既存のどこかの駅につなげる必要があったのでしょう。東京駅は日本を代表する駅なので、無理にでもつなげて京葉線は東京駅を通るんだぞ!というのをアピールしているとしか思えません(笑) B-2は東武鉄道の都合と思われます。 今でこそ曳舟から半蔵門線と直通していますが、これが出来る前は複々線の終点である北千住駅は準急から日比谷線に乗り換える客でパンク状態でした。 そこで、東武は業平橋の近くに押上駅があることに注目。業平橋まで10両編成で準急を運転。ここから都営浅草線に乗り換えて都心に向かってくださいを猛アピール。しかも浅草駅のホーム有効長が6両(8両は一本だけホームがある)しかないので、準急がラッシュでも最大6両しか出来なかった東武鉄道は、業平橋どまりにすることによって準急の10両化も出来て一石二鳥。 受け入れ側の都営も直通相手の京成電鉄は、郊外からの客が船橋でJRに流れるため、比較的空いていたためまさに点の恵みといったところでしょうか。 残ったA-1、A-2は千代田線開業に関係あると思いますが、ちょっと分かりません。 以上長々となってしまいましたが、私がかけるのはこんなところです。
お礼
ありがとうございます。 詳細な情報・ご意見ありがとうございます。
補足
たくさん時間をさいていただいて、感謝に耐えません。 一々ごもっとも、納得です。 ただ、明治神宮前と代々木公園がどーもよくわからんのです。
- windwald
- ベストアンサー率29% (610/2083)
理由その1:新線開業や地下街の拡大で駅がつながった。 理由その2:事業者が違うため、独自の駅名を名乗っている 理由その3:同駅名にしたいが、別の場所にすでに名前が使われているため 理由その4:駅の存在している場所の地名が異なっている …… というか、駅が近かったり乗り換えたり出来ると言うだけで同駅名でなければならないのでしょう。
お礼
ありがとうございます。 1:大手町なんかがこれでしょうか。でも京葉線はどうみても「南東京」か「北有楽町」だと思うんですよね。成田新幹線用の施設を使用したとか聞きますが、あれで「東京駅です」はないでしょうね。 2:「春日」と「後楽園」なんかでしょうかね。でも、これって皮肉ですよね。南北線ができて「後楽園」と名乗ったら、大江戸線ができて「春日」の方が近くなっちゃった。 3:これは駿河台下のあのごちゃごちゃ地帯あたりのイメージでしょうかね。 4:これはちょっとイメージが湧きません。 >というか・・・ 近い・乗換え・・・、だとすると浅草(TX)や蔵前なんか(特にTX)は、ちょっと納得がいかないんですよねえ。
- Seer
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あの、皆さん? 質問者の方は「どうしてそうなってるのか」と聞いているのであって、 「他にこういうケースを教えてください」と言っているのではないと思いますが…。 という私も、「会社ごとに好きな名前を主張しているだけじゃないかなー」くらいしか思いつきません。 東京メトロ同士なら、地元の要望を入れた名前にした上で、可能ならば乗換通路を作り、 その結果、地下ジャングルが形成されたケースが多いんでないか、と思いますが、 個々のケースにより、なんでそうなったかの細かい経緯は違うと思います。 Wikipedia辺りで、個々の駅名を入れて検索してみると面白いかもしれません。 詳しい同居人が帰ってきたら聞いてみますが、それまでにどなたか 詳しい方の適切な回答が入ることを祈ってます。
お礼
さっそく軌道修正していただきありがとうございます。 そうですよね。私ごときですが、同感です。 (例えば)東京メトロにお勤めの方にお聞きしたいですね!
お礼
本当に、何度もご丁寧にありがとうございます。 恐縮です。勉強になります。