- ベストアンサー
織田信長と小泉純一郎首相の類似点・相違点
このテーマでレポートを書きます。「現代の信長」とたとえられることの多い小泉氏ですが、どのような点からそうたとえられているのでしょうか。また、もちろん相違点もあると思います。この二人の比較をしたいと思うので、たくさんの情報を得られればと思っています。お詳しい方、ぜひ教えてください。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
うーんそうですね、たしかに似てなくはないのですが、いくつか全然違う所があります、 1 信長は実務家であったが、小泉氏は実務的にはあまりせず、人任せにし上手く行かなければその人のせいにする、このずれというのは何故あるかというと、信長という人の場合、何かをすべしと分かったとき、それに対する具体的な方法というものに対しても、考え周りの人々を駒として上手く動かす事ができた、その点小泉氏は、たしかに何かをすべしというと頃までは見えている、しかし、それを具体的にどう成り立たせるかというところについては、何も考えてなく、国民の興味が薄れれば何もしない、例えば道路公団の問題は結局道路を全部造ることになってしまったが、それに対してはもう何もしていない、信長だったらこうはならないし(上手く行か行かないかと判断した上で、行動するので行動の成功率が高い)、また、問題自身について考えているので、問題を途中で放棄することがない、この点小泉氏は、改革という演出によって国民に受ける以上のことはあまり考えていないのか、多くの場合国民の興味がなくなれば、問題を途中で放棄する事が多い。 2 周りを固める人がいない事、信長は周りに優秀な人物が多く、また秀吉や家康などの、後を引き継げるだけの大人物がいた、だが、自民党は末期状態であり、悪いがもうまともな人材はあまりいない、結果として小泉という人物はあれこれ動いたが、それによる結果は少なく、またその行為を継続できる可能生は低い。 後は個人的な感覚から言うと、信長という人物は奇人ではあったが、それは物の本質根本の問題を見据えたが、同時にそれ以外のことに対する、認識の甘さがこの人が奇人であるといわれた原因であると思っていますが、それはあまりに物の本質が見えすぎたゆえのゆがみ、まあ、才能がある人は変わり者が多いといいますが、そういうタイプだと思います、 それに対し小泉という人物は、たしかに変わり者ではあるし、才能もあるかもしれません、ただし信長と決定的に違うのが才能の方向性、つまり信長という人物は、物の本質が見えるがゆえ、それを変えたいという衝動で動いたのに対し、小泉という人物は、たしかに多少は物の本質が見えるようですが、物の本質が見えることを自分のために使おうとしてるいうこと、なぜかといえば、この人の構造改革は殆んど失敗に近いですが、自分に敵対する人物の排除に対してはほぼ完全に成功しています、つまりこの成功した方こそこの人の真の狙いだったのではないかと思います。
その他の回答 (4)
- pluto002
- ベストアンサー率22% (73/331)
No.4の回答について・・・ それなら、ホリエモンもハマコウも阿部さんも織田信長ですな。小泉ファンクラブによる芸能ネタとして考えるには十分だとは思いますけどね。
- holaluego
- ベストアンサー率18% (2/11)
No.3の回答について・・・ 武田信玄や上杉謙信に対する織田信長の態度を見れば アメリカ追従、番犬小泉のイメージも納得できると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かにそういう部分もありますね!! 視野は広く持たないと!!ありがとうございます。
- pluto002
- ベストアンサー率22% (73/331)
織田信長と小泉純一郎首相を一緒にできるのなら、ホリエモンも織田信長に例えられますね。 個人的には全然イメージがダブる事はないですが。アメリカ追従、番犬小泉などとも揶揄される小泉さんが織田信長だとすると、織田信長ってなんなの?って感じでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かにダブるところは少ないのかも・・・
- ipa222
- ベストアンサー率20% (903/4455)
とりあえず信長について本を一冊読んでみてはいかがでしょう。 信長の歴史的事実と、小泉純一郎の現在の行動を照らし合わせずに、結果だけをたくさん収集しても、あまり意味がないように思います。 時間がなければ子供向けの伝記でもいいと思います。 類似点、相違点には、その背景となるエピソードがあるはずです。 そこまでは、ここのスペースには書ききれないと思います。 一番の類似点は、信長の行動を支えたものに、近江商人がいたというあたりは大きいと思います。 斉藤道三→織田信長→豊臣秀吉→商都大坂 それまでの商業は寺や神社が独占していました。 商売の世界に自由を確立した背景には、それを望む革新的商人がいたわけです。彼らが、斉藤道三をバックアップし大名に祭り上げ、婿の織田、その家臣の豊臣をバックアップし、本願寺を追い出した後の大坂に、自由な商都をつくりあげたのです。そのエネルギーは今でも十分残っていますね。 信長以前の商業の世界は、網野善彦の本に詳しく出ています。楽市楽座がいかに画期的なことであったのかを知るには一度読んでおくといいでしょう。 小泉純一郎は、慶應の人脈と、ヤマトの故小倉会長という経済思想の支柱があります。中曽根の民活とどう違うのかという点も押えておくと、小泉純一郎らしさが浮かび上がると思います。 ビジネス雑誌を出している出版社あたりから、本が出ているように思います。
お礼
回答ありがとうございます。 勉強不足なもので、楽市楽座については、名前とシステムを少々しか知りませんでしたが、このような背景・バックアップがあったのですね。そしてこの点と小泉氏の支柱に類似点があるとは。恥ずかしながら今まで全く知りませんでしたが、とても興味を持ちました。詳しく調べてみたいと思います。 そして、本も探してみようと思います。本についても詳しく教えていただき本当に有難いです。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね。信長は本当に先見の明がありますし、普通の人より先の先を見据えて、結果を見越して行動していたように思いますが、おっしゃる通り、小泉氏は、国民からしてみると行き当たりばったりのような行動をしているように見えてしまう部分も多々ありますね。 そして確かに部下や後継者もやはり信長に比べると小泉氏の方は地味ですね。 「現代の信長」と称され改革を行う小泉氏ですが、名前負けしてしまっている部分、残念です。 どうもありがとうございました。