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鬱病です。今後について悩んでいます。
私は、35歳(男)、妻と子供2人(5歳と2歳の女の子)、無職です。 2003年2月、精神的に体調が悪くなり心療内科で受診をしました。一応軽い鬱病と診断されました。その後2ヶ月間休職して復職しましたが、やはり精神的に職場にはいられなくすぐに退職しました。3ヵ月後再就職しましたが、1ヶ月で退職しました。 その後妻の実家の自営業の仕事に就職することとなりました。 そこでは妻の両親と兄夫婦が働いています。兄夫婦とは全く性格が合わず、殺してしまいしたいと思うくらい嫌な存在です。 何とか我慢をしながら、腹の底からの憎しみを抑えていましたが耐え切れず昨年8月に辞めました。妻も妻の両親もこのことは大変理解してもらいました。その後、私だけ一切妻の実家には接触しない用にしています。 体力的にも精神的にもかなり落ちていて、とても今の状況では再就職は難しいです。 可能性を求めて、株取引しましたが利益は出なく、今は一時撤退をしている状況です。資金は母親の共済保険(植物状態なので死亡扱い)が出たのでそれを使っているのでとりあえず借金は有りません。 これからの生活をどうして行けばよいのかわからない状況です。なるべく妻には負担を掛けたくありません。こんな状態で矛盾していることを言っていますが、自殺をしようと思っても残してしまう子供達のことを考えると実行もできず、それならば家族皆で死んでしまえばとも考えています。 もっと書きたい内容がたくさんあるのですが文字数の制限で書ききれません。 最後にお読みいただきまして誠にありがとうございます。何かご意見を頂ければ幸いです。
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tare0127さん、またまたこんにちは。 #14です。その後お加減いかがでしょうか? 昨日は、私自身が子供の癖に偉そうな回答をしてしまってすいません…。 今までのtare0127さんのお礼を読ませて頂きました。 正直言って私も似たような部分があって、つい「分かるなあ」と思いました。 良いお父さんでいようって思わなくて良いのでは? 充分、拝見している限りでは家族想いの優しくて素敵な方なのだなと伝わって来ます。 確かに私も、常に自己嫌悪と罪悪感に苛まれていました。うちの父と母も私が幼少の頃から仲が悪く、母は既に病気を発症していたので、不可解なできごとが たくさんありました。 私は勉強だけが取り得のいわゆる「良い子」で生きてきました。その分プライドや偏見が高く、人間関係もどちらかと言えば苦手でしたね。 今思えば、そのプライドや偏見といった自分の価値観が自分を苦しめていたような気がします。 読んでいて思ったのですが、tare0127さんは自分なりに色々と努力されてここまで来たと思うんです。 それを全て否定してしまうのは、違うと思います。今までがあったからこそ、「今」のtare0127さんがいるんです。 人は常に変化して、成長するものだと思っています。 まあ私は今だからこんなことが言えるのですが…。これは本の受け売りですが、うつになりやすい人は「過去の経験による価値観だけで物事を捉えたがる」そうです。 頭でっかちって感じですかね。行動というよりも頭だけで考えるタイプのような気もします。(かくいう私もそうです) 物事を狭い視野で捉え、考えることは時に危険なことでもあります。私は病気になったことで、価値観や物事の考え方に多少の幅ができたような気がします。 人や自分に対して寛容になれたり、冷静にブレーキを掛けれる自分ができたりもしました。 でもtare0127さんは、今本当にお辛いと思います。 罪悪感、何かをしなければならない焦燥感などで心がいっぱいではないですか? それがうつなのです。病気が手伝ってさせていることです。だからまずはきちんとお薬を服用すること。それが基本だと思います。医師の承諾なしに誤って飲まなかったり、多く飲んだりすると必ずツケが来ます。 私も、荒れてた時期は自殺をしようと一気に20錠飲んだりしましたが…(人のこと言えませんね) 辛い時期にかなり、私も教えてgooでお世話になりました。だからtare0127さんも、辛いときはここで吐き出してみても良いと思います。 何だか長くなってしまいましたが、私も負けずにやっていこうと思いました。たまにはお子さんや奥様と一緒に、公園へお出かけなどはどうですか?(皆で雪合戦をしたり…ってしませんね・笑) 大切な人との触れ合いで、私は自分の心が潤うことがよくありました。
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- saki_i
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私もPTSDによる鬱症状を持っています はじめ鬱になった時は自分が出来ていたこと 周囲の人が出来ていたことが どんどん 出来なくなり 得意であった事さえ出来なくなり 自分が生きてる意味があるのか 築いてきたものはどうなるのか 自信が喪失していきました 暗闇の中にいる自分じしんとだけ 向き合う日々が続きました 気持ちだけがあせり 何度もチャレンジするんですが 疲れきった心は簡単に復活しませんでした 回復してきた今だからこそ あの時は疲れきっていたし 気分だけがあせっていた事が分かります 今はしょうがない事 それを覚えました 無理が出来る時と出来ない時もあります そして ストレスに弱くなってる自分もいます でもそれは 一度捻挫した場所が完治するまではその場所に 負担がかかり 同じ力が加えれれないのと同じ事です 他人にはどこが病気なのか怪我してるのかなんて分からないですが家族には多少なりともわかってもらってるんですから 今は甘えてもいいと思いますよ 家族ですからお互い様です だれでも どの病気になっても静養が必要です静養をすることで どんどん スタミナが付くと思います 死にたいぐらいしんどかった事もありました 行く先も見えない だれもイツ治るか教えてくれない そんなもどかしさからです 日々苦しいだけ でも 3年たった今大分元気になりました 鬱になったおかげで 他の人に見えないものが見えるようになりました 自分自身も知る事になりました 必ず出口が見えてくるとおもいます その出口が髪の毛の先ほどの光からはじまって 時には大きくひかり そしてまた小さくなるかもしれません でも その光が見える日があることをお伝えします 今はそんな事信じれなくても 今できることだけすればいと思います 寝たいときにねて 食べたいときに食べる 出かけたい時にでかけて こういう風にしたらいいよという アドバイスは耳を傾けるだけで 気が向いたらすればいいです 何も無理にする必要はありません それをして出来なかった時の方がつらい気分の方がしんどいですから 家族が必ずソバにいますし 家族だから協力してもらえます お子さんとあそんでてもいいのでは? 私は知り合いの子どものそのあどけなさに私も力をもらいました 子供は本当に純粋で… 一緒に塗り絵とかして遊んでました 死にたいぐらいしんどいあなたを 近くに居る人はみんな知っていると思います でもどんな貴方でも生きて 光の先にたどりつく事を信じているんではないでしょうか あせらずに鬱と友達になって どうやったらうまくすごせるか要領もつかめてきますよ 試行錯誤の日々だと思いますが毎日前に進んでますよ だから ゆったりとすごしてくださいね
お礼
ご回答ありがとうございます。 PTSDについて詳しく知りませんでしたが、大変辛い経験をされたのだと思います。そのことに比べて私の場合は、とてもわがままな子供みたいな状況で恥ずかしい話かもしれません。 昔の話をさせていただきますが、高校2年の時はクラスの中でも成績は1番でした(高校は全国区の私学でした。本州では私学のレベルは高いようですが、私の住んでいる北海道では公立の滑り止め程度の学校という認識でした)。中学までは全く勉強もせずと本当に高校に進学できるかどうかというレベルで第1の挫折をしていました。中学時代にの担任から「知能テストだけはすごくよい成績なので、勉強すれば優秀な高校にいけるのに」といわれたこともありました。実力(暗記力でしたが...)を出すには少し遅かったのかもしれません。 しかし、全然ダメだったときに比べるとクラスのトップになれたことはものすごく自分に自信をつけることが出来たのだと思います。 高校3年になってからは、今までいわゆる一般学科のクラスでしたが、2年の成績から進学科と呼ばれる学年の中でも1クラスしかないクラスに転出もしました。 今までクラストップだったのが、中の上くらいの位置に落ちました。当たり前の話ですが、付け焼刃の力で実力者にかなう訳有りません。ここで第2の挫折を味わいました。そして気を抜いてしまい打ち勝とうとはしませんでした。打たれ弱い原因をここで作ったのかもしれません。その後、大学にも進学しましたが、金銭的に辛く半年で中退し挫折をしました。 バイトを数ヶ月して自動車販売の会社に整備士として入社し、その2年後には新車の営業の業務を行い、3年後には販売所の中でも年間を通してトップの販売台数の売り上げもしていました。ここでも更に自信をつけることが出来ました。が、その翌年には所長の方針に疑問と不信感を抱き成績はガタ落ちし、その年に退職しました。また挫折したのです。 そして、再就職し同じようなことを繰り返しました。 これまでの私の人生は挫折と自信の繰り返しです。今は少し長い挫折の時期かもしれません。何かのきっかけがあれば出口はきっとあるのだと信じてみます。
- sinjou
- ベストアンサー率13% (492/3662)
私なら別居か離婚させてもらうかなあ・・・人疲れしない一人暮らしを考えます。 親の自殺は子の心の成長に良くないから。妻を道連れって男性的な考えなのかな?と思いました。複数人同居が苦痛でないなら、妻に食わせてもらって、自分は家事に専念したって良いと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに逆の立場で考えていると、普通ではとても一緒に生活は大変だと思います。妻の今後のことや、子供の成長には決して良い状況だと思いません。 話は逸れますが、8年前に私の父親(当時57歳)は自殺をしました。原因は母親(当時49才)のアルツハイマーの発病でした。父は母を道連れに車庫で練炭を炊いて一酸化炭素中毒で自殺を図りましたが、母は逃げ出し一命を取り留めました。1月の真冬の外で早朝に母が家の玄関前にいたことで事件が発覚したそうです。 当時私は、別居していて会社に警察から連絡が来て事情を知りました。毎週、実家に帰っていたので状況は察知していましたが、両親とは不仲の状態で見て見ぬフリをしていました。とても情けない話です。 話は戻りますが、妻を道連れとはやはり男性的な考え方なのかもしれませんね。事情は違いますが私も父親と同じ道を選択したいとは思いたくありません。 私の妻にとっては迷惑な話でしょうが、とてもすばらしい理解者でもあり協力者だと思います。妻も自分が働いて頑張るるから家事を手伝ってと言っています。本当は妻に苦労を掛けたくは有りませんが、sinjouさんの言うとおり家事に専念するのも1つの選択なのかもしれませんね。
- horaemon
- ベストアンサー率24% (457/1898)
5歳と2歳の女の子、かわいい盛りですね。 あなたがかわいそうでなりません。 本来なら働き盛りですが、病気はどうしようもありません。つらいでしょうね。 3年たてば治るというものでもありませんが、もうちょっと辛抱して静養してはどうでしょうか。あせりは禁物です。働かなければというストレスがあなたを追いつめているようです。 まずは体力をつけるように散歩などどうでしょうか。 そしていろいろな仕事を探してみてください。 手に職をつけるのもいいと思います。 なによりもあせらずゆっくりと自分を取り戻しましょう。3年かかっても5年かかっても死ぬよりましです。病気を治すことが先です。 働き始める時は、2、3時間のパートから始めるといいかもしれません。無理をせずに。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実際初診は2003年ですが、徴候はそれよりもかなり前(多分いまから10年位前)からあったと思います。もっと早く気が付いて診療すればよかったのかもしれません。かなり時間を掛けて悪くしてしまったようです。 体力的なことですが、心療内科の先生にも勧められ体力測定を2ヶ月前に行いました。結果は..... 心肺持久力は年齢相応でしたが柔軟性・敏捷性・筋力・平衡性はほぼ70歳代、瞬発力と筋持久力か約47歳と出ました。もともと頭脳で勝負!(半分冗談ですが)なので体力なんてどうでもいい!(これも半分冗談ですよ)というような感じなので、体力には全然自信が有りませんでした。たしかに、疲れても無理が結構できるな(スタミナだけは普通なので...)と思っていましたが、ここまで落ちてるとは夢にも思いませんでした。 手に職をとも考えて、妻の実家(いわゆる職人業)にも就職してみましたが、環境がうまくいきませんでした。 得意なことといえば、車の運転(気分はF1ドライバー、今は子供がいるので安全第一!)とパソコンや電気関係、日曜大工(あまり上手ではないけど)、整理整頓(?)ってところでしょうか。 何か得意なことを生かして無理をせずにできることがあればと考えています。
- sirowan777
- ベストアンサー率14% (270/1906)
うつ病が治っていないと感じます。 あせりは禁物ですよ。 時間をかけてゆっくり治しましょう。 いまのままでは、また同じ事の繰り返しです。 職種は医師と相談して決めたほうがいいですよ。 他の人間と関わらない仕事もあります。 私は以前に夜間の無人店舗に配送の仕事をしたことがあります。 じっくり探してみてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かにうつ病は治っていないと自覚しています。 初期の段階でもっと時間を掛ければよかったのでしょうが、経済的なことや、初期の時(2003年)は次女が生まれることもあり、何かと焦ってしまったのも事実です。 自分は変にプライドが高く、周りの目を気にしてしまいます。出来ることであれば普通に働きたいとも思っています。が、結局それが無理をしてしまう原因なのかもしれません。 焦らずゆっくりとゆとりを持ってみたいと思います。
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お礼
こんにちは、konpeitou_17。 ここ数日、とても気分の方は良くなっています。一昨日(13日)はメンタルクリニックに通院してきました。この3週間の間にあった出来事(プチ家出をしたこと、妻と真剣に話し合った事、今までとは少し考え方が変わってきた事など)いろいろ伝えました。いつもは、実際私の話している時間は5分もあるかどうかですが、今回は20分くらい私の気持ちを正直に伝えました。 先生も、今回私の気持ちの変化に対し「他の人(先生を含め)に対してはとても厚い硝子の壁があるような感じ話していたが、やっと壁が少し取り払われ、普通の考え方に戻れる方向に向いてきたのだろう。」と言われました。 まだまだこれからも気分の浮き沈みはあると思います。何ヶ月掛かるのかわかりませんが、何となく出口に近づきはじめたのかもしれません。 11日から自分のためにと思いブログを作成しはじめました。(http://blogs.yahoo.co.jp/moiwa_tokeidai) 日常の出来事、子供の事、過去の自分の事、両親の事、趣味の事など別に誰に読んでほしいとは思っていません。過去の事を思い返したり日常の些細な出来事などつまらない内容ですが、書いていると何だか頭も回り、周囲の事も良く見えるようになりました。 今朝(午前2時から7時)、妻とまた本音で自分の事や思いを聞いてもらい話し合いました。さすがに眠たくなり2時間弱寝ましたが、充実した時間をお互い過ごせたと思います。今度は深夜早朝でなく、昼間や夜にこのような時間が増やしたいです。 この質問を出してから1週間経ちました。私の質問に多くの方からご回答・ご意見を頂き、それに対して自分を振り返り、又、今の自分の状態を見つめ直し考えながらお礼の内容を考えて書き込みしているうちに、少しづつ心の中では変化を起こすことが出来ていたようです。 これからも辛い日はまだ続くと思いますが、妻や愛娘達のために、笑顔で優しく心から愛して接することを心がけ、ゆっくりと普通の自分に成れるように生活していきます。 このような場で出逢え、お互い本名も顔もわからず文字だけの会話ですが、私にとってとても有意義な充実した時間を過ごさせていただくことが出来ました。 回答頂きました皆様には深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。