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御詠歌とは
私の家では、ご法事の際に、ごえいか(御詠歌)と言うものをします。 お葬式やご法事の有った日の夕方、御詠歌をされているオバさん達に家に来て頂いて、チリーン、チリーンと、金剛鈴を鳴らして、 「なぁーーーーむーーーかーーぁーーんーーーーぜーーぇーおーーーんーーーーんーーー」 と言う感じの、非常に長い歌(?)をしんみりと仏前に揚げます。 今年の9月の初彼岸に、親類が集まり、今年の春の葬式のお話になりましたが、 「同じ宗派だけどやらない、初めてこの前の葬式で聞いた。どうしてやるのかな?」 「お寺で供養したのだから、やらなくても良いんじゃない?」 「めずらしな、お前の家代々の名物だ(隣街の親類)」 と言う方が居られました。 そこで教えていただきたいのですが、 1、そもそも御詠歌とは? 2、私の家でも今年葬儀を挙げましたが、○周忌とか○回忌とかが続くのですが、その度に御詠歌をあげるのでしょうか? 3、お盆、お彼岸もしたほうがよいのでしょうか? 私の先祖や、今年の春、難病で苦しんで死んだ家族の供養になるなら、何回やってもよいと思っていますが、惰性や習慣で漠然とするだけでは意味がないと思い質問しました。 曹洞宗です。よろしくお願いします。
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真言宗の僧籍のものです。 まず「御詠歌」とは基本として五・七・五・七・七の短歌形式です。また御詠歌とよく混同される「和讃」は七・五調の長歌で、両者共に一定の節をつけて唱え上げられ、仏の功徳や教え、寺院の霊験などを詠んだ仏教賛歌です。 奈良・平安期頃から「釈教歌」という、仏教的内容の短歌・長歌・今様が見られ、特に中世から近世にかけて西国三十三観音霊場への巡礼が盛んになるにつれ、各札所寺院の霊験を称えた歌が詠み上げることが盛んに行われるようになり、それが全国各地に広まり御詠歌へと発展しました。 このように自然発生的に生まれて御詠歌ですが、明治以降には真言・天台・浄土・曹洞などの各宗派で独自の流儀・作法を形成させ(曹洞宗の梅花流・高野山真言宗の金剛流・浄土宗の吉水流)、またその宗派独自の御詠歌・和讃も新たに作られ、現在の形へと発展しました。 さて霊場寺院に参拝した際のみだけでなく、死者への追善供養として御詠歌を唱えるのは、死者に成り代わり各霊場に参拝する、いうなればバーチャル巡礼でもありますが、その作法には地域独自の風習があるにせよ功徳のあることですから、年忌法会や盆・彼岸、さらには日々の仏事でもお唱えされるのは良いことだと思います。宗派によって御詠歌・和讃の唱える節や作法が異なりますから、この縁を大切にして菩提寺にご相談されてはいかがでしょうか。
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#5の訂正です。御詠歌+和賛=詠賛歌だそうです。つまり、詠歌と賛歌は、文法的には違うということです。 しかし、真言宗の金剛流のまねをしているため、御詠歌という通称で、和賛も含めて、総称してしまうことが、多いように思います。 あくまで、曹洞宗の梅花流は、戦後のもので、戦前は、真言宗金剛流の本で、曹洞宗でも、習っていましたので。。。。 以上、訂正します。 なお、蛇足ですが、ご祈祷なども、天台、真言の流儀を真似て、曹洞宗は、今日、行っています。もともと、道元禅師は、比叡山で修行されたので。。。
お礼
何回もご回答いただきました。 >御詠歌+和賛=詠賛歌だそうです おっしゃるように梅花流である事は確かですね。 私も全くのゼロからの質問だったので、質問の要領を得ませんでした。 私の地方は本当の田舎ですから、詠賛歌の事を解釈しやすいように一般人に「詠賛歌=御詠歌」と言っているようです。 私の家も始めは、密教だったはずです。家の古文書や棟札を見れば、禅宗が布教される前から今の土地に家が有ったので、歴史的な遍歴が代々あったと思います。ややこしい部分があって申し訳ございません。 今回の質問で日本と言う国は素晴らしいと思いました。神道、大陸仏教、密教・・・それぞれの長所を生かした様々な宗派が生まれ、かつ共存していると言う国と言うのは世界的に見ても極めて珍しいんと思いました。 解らないときはまた教えてください。有難うございました^^
補足
此処を借りてご回答いただいた皆様へ・・・全部それぞれ心のこもった良回答です。御詠歌の質問がこのサイトでは検索できませんでしたし、この質問に対し良回答があったと言う事で残しておきたいので、敢えて配点します。それぞれに長所があってポイントの有無、差に関係なく全て良回答だと思います。有難うございました。
実家で歌ってました(笑) 五七五七七の節で、お寺の名前が順番に出てくる物です。 でも家は浄土真宗のはずなんですけどね。 実家では通夜の晩に歌います、葬儀までの間毎晩です、でも法事では歌いませんでした。 でも年々歌える人が減って来て、父の葬儀が最期でしょう(母が歌ったんですが、母の葬儀には歌える人はいない)私も誰かが一緒なら歌えるけど、一人じゃ無理です。 若い人やお嫁に来た人はみんな知らないようでしたから。 歌自体は好きだったんですけどねぇ(じじむさい趣味かしら 笑)
お礼
こんばんは。 私の地方では「和賛」も「御詠歌」もどっちも一般人には解りやすく『御詠歌』と言っているようです。何時、どれを歌ったのか記憶をもう少し整理しないと解らないのですが。 講の方が来て、通夜から葬儀まで夕方毎日歌っていました。その後は初七日とかです。 葬儀の日の晩は、御詠歌さん達も声が枯れてきたり膝が痛んだりで、大変そうでした。私は内容自体が解らないので、付いていくのがやっとで・・・しかも音痴です。 >歌自体は好きだったんですけどねぇ(じじむさい趣味かしら 笑) 上手な御詠歌は聴きごこちが良いと思います。 名物と言うが親類で居るのですが、「あー故郷に帰ってきたな」と実感が湧くそうです。御詠歌の講からお出でになる御詠歌さんも故人よりも高齢でした。良い習慣は残したいですね。ご回答有難うございました。
曹洞宗の梅花流、御詠歌は、天台、真言宗から、受け継いだ部分と、三宝和賛のように、四国の瑞応寺(霊場ではないが、四国新居浜にあり)で出来た御詠歌など、その後作られた曲も多く梅花流の前は、真言、天台とほとんど同じ流儀でした。現在は、新曲が、出てきて、独立しつつあります。梅花流に、1本化してからは、曹洞宗で、教えるようになりました。 弘法大師が、曹洞宗でも、おまつりしてあるように、ご詠歌も、習俗として残ったものが、すたれてなくなるのを、惜しんで、新曲を増やしている現状ですね。
お礼
#8でお礼します^^
- teinen
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私,曹洞宗の檀家です。 曹洞宗の御詠歌は梅花流ですが,法事の日に上げられる御詠歌は,梅花流御詠歌ではありません。質問者の方がお聞きになった御詠歌は,「チリーン,チリーン,カン」というリズムだったのではないでしょうか。 法事の日に御詠歌を上げるのは,宗派に関係するものではなく,その地域の習俗です。 関西の地域によっては,お坊さんによる法要とは別に,初七日・二七日・三七日・・・・七七日まで,毎週夕方に近所の方々が集まって御詠歌を上げます。 西国三十三箇所観音霊場の御詠歌を順に上げます。 西国三十三箇所観音霊場は平安時代に開かれたので,天台系か真言系のお寺ばかりです。 1番札所の青岸渡寺の御詠歌「ふだらくや~」から始まって,20番札所又は24番札所の御詠歌を上げたところで一旦休憩し,33番札所の華厳寺の御詠歌(このお寺は御詠歌が3つあります)まで上げます。 なぜ西国三十三箇所観音霊場の御詠歌を上げるのかは,No.1の方の回答にあるとおりです。 私の母方の祖父が亡くなった時,毎週,御詠歌を上げました。母方は日蓮宗なのにね。
お礼
こんばんは。寒くなってまいりました。 曹洞宗の檀家のご先輩の方ですね。私は中学から首都圏に居りまして、最近地元に戻って相続いたしました。しかも私が生まれてから今年まで、家で葬式がなかったもので・・・質問の説明もいたりませんで申し訳ございませんでした。 法事の時は緊張していまして、よく覚えていませんが・・・何種類かがあったと思います。私の家でも、葬儀から七が付く日、四十九日等の夕方執り行いました。実は私、音痴なもので下を向きっぱなしでした。西国札所のように、沢山の仏様の名前が挙がったのだけは覚えています。 宗派の正式な執り行い方とは別な俗習なんですね。私の地域の近所のみなさんには宗派を超えて、皆さんいらして頂いて大変ありがたかったです。これから先祖の弔いなどがありますが、解らないときは何かと質問いたしますので、その際はよろしくお願いします。 ご回答有難うございました。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~hourei/tera/baika/ 曹洞宗は、御詠歌は、2流派あったのですが、今は、梅花流、1本になりました。 他の宗派は、また、流儀が、異なります。
お礼
続けてご回答有難うございました。 御詠歌の詳しいサイトまで教えて頂いて、有難うございます。サイトが沢山あって、見つけかねていました。確かに御詠歌さん達のカバンには、梅をデザインしたバッジが着いていました。お手数をおかけします。
何回、お唱えしても、良いと思います。曹洞宗の寺でも、教えてくださる、坊さんとそうでない坊さんと、みえますが、それは、オーケストラの団員でも、すべての楽器が、マスターできているかというと、得意、不得意もありますし、声明、太鼓、鉢、木魚、馨、など、仏教にかかわる音楽は、たくさんありますので、すべてマスターするには、随分大変です。 曲目で、意味がありますので、法事や祝い事など、その行事にあった梅花流御詠歌をお唱えすれば、よろしいかと、思います。 お彼岸など、お施餓鬼のお経の始まる前、終わった後に、お唱えするプログラムが多いように思います。 また、法事の読経のあと、御詠歌をお唱えする、坊さんもみえます。 一応、曹洞宗の坊さんは、本山で、習うのですが。。。。
お礼
こんばんは。 お葬式の時は御詠歌を只唱えるだけででしたが、喪中葉書を書きつつ、御詠歌について考えていました。 御詠歌にも様々あるようですが梅花流と言うのですね。昔は私の家でも御詠歌と和尚さんのお経がセットになっていたらしいのですが、檀家が増えた都合で、読経と別になりました。 生きている間に、亡くなった方の為に何も出来なかったと思う後悔も無いと言えば嘘になり、何かの形でしてあげれればと思っています。 機会を捉えて、あまり声は良くありませんが御詠歌もできるようになればと思っています。 ご回答有難うございました。
中途半端な回答ですが。 御詠歌は西国33箇所のお寺を歌で回るものだったと思います。本当は亡くなるまでに自分で33箇所の寺を回って朱印を押してもらい、亡くなった方の棺桶に入れてあげます。仏様と一緒に旅立つと言う意味みたいです。 だから御詠歌をあげるのは一晩で33箇所回ったことになるので、やわらかく言えば「成仏してね。お寺もまわったし仏様も一緒ですよ」という意味でしょうか。 宗派は関係なかったと思います。33箇所の寺もいろんな宗派があったはずです。 うちの親戚でも同じ宗派で御詠歌をあげた家とあげなかった家もありますし、地域によっても違いますし、私は喪主さんの考え次第だと思います。 私自身は殆ど無宗教なのですが、姑は熱心ですので、もしもの時は姑には御詠歌をあげてもらえるようにしたいと思っています。
お礼
こんばんは。寒くなってまいりました。 そう言えば四国三十三箇所のお遍路さんを思い出します。 >本当は亡くなるまでに自分で33箇所の寺を回って朱印を押してもらい 此れはとても良いお話をお聞きしました。遍路をすると言うことは、そう言う意味があったのですね。それを歌にするから、様々な仏様が出てくるのですね。 私も実は、家族の葬式を挙げるまでは、無宗教でした。ですが、自分ももしかの時は、みんなに供養してもらえるようになりたいと思っています。生きているうちに功徳を積むと言うのは、色々な意味で大事なんですね。大変解りやすいご回答有難うございました。
お礼
こんばんは。ご回答有難うございます。 密教、真言宗と言えば声明を思い出します。お寺の行事を見に行くと、派にも拠ると思いますが、声明と共に散華を執り行うのを見ることがありますが、大変華やかで昔の日本の素晴らしい文化的財産だと思っています。 私達一般人が一くくりに御詠歌と思っているもの中に「和賛」と「御詠歌」があるということですね。と言うことは・・・前の方がおっしゃられていた事で不明な処が解けてきました。今思うと、歌う前に「○○の御詠歌」と題名を唱える短歌様の物と、長歌様の部分と違う部分が確かにありました。 >奈良・平安期頃から「釈教歌」 この辺りなどは、高校の日本史の先生あたりが勉強してもらえば、学生がもっとスマートに日本史がわかるなるんではないかと思いました。 仏教にも様々な賛歌があり、キリスト教に賛美歌がある・・・宗教と言うものが儀式だけでなく、いろいろな文化や歴史、教育などの骨格になっていると考えると、もっと現代人も真剣に自分なりの宗教観をもつようになっても良いと思いました。 自分の家や地区の伝統や、普段の供養、節目節目の仏事と考えるだけでなく、内容もよく読んで見ます。 御詠歌と言うキーワードでこれだけ掘り下げて物事を考えることが出来ると思いませんでした。 ご回答ありがとうございました。