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東北・上越新幹線新幹線開業時の485系の転属回送について
先日、昔の某鉄道誌を読んでいたところ、東北新幹線先行開業から上越新幹線開業までの前後の期間に、東北の485系を中心に各地に転属してゆく記事がありました。 かなり大規模な転配が行われたそうです。 ところで東北から東海道線を経由して九州に転属してゆく回送列車のパターンは何本か運転されたようですが、そのほとんどの回送列車が先頭車に当時の特急「ひばり」号のマークを掲出して回送されたようです。 もちろんその写真も出ていました。 回送ですから「回送」や無地が普通だと思うのですが、わざわざ「ひばり」号のマークを掲出させた訳は何なのでしょうか? 繰り返しますが、この回送は1回限りではなく、何本か運転されています。 ですので単に巻取りをしなかったとか表示機の故障とは考えられません。 大げさなのですが当時の国鉄の車両担当部署内での何かの暗号(?)みたいなものとか??? いろいろ考えても、「ひばり」号のマークを表示する意味がわからず、すっきりしません。 ちなみに他の回送パターン(例えば青森から日本海ルートで金沢への転配など)では「回送」や無地表示がほとんどだったようです。 古い話ですが何かご存知でしたら教えてください。
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ご覧になった鉄道誌の名前を教えていただければ、違う回答ができるかもしれませんが、私がパッと思いつく、この回送を扱った鉄道誌「鉄道ファン」No263の記事で「ひばり」のヘッドマークを掲げたと明記してあるのは、仙台発1982年6月12日の回送番号「1-21」だけでした。あと200番台は、手動巻取りですから、先頭の表示を変えるのは面倒で(今でも)先頭だけ愛称幕のままというのは多いですね。前述の回送番号「1-21」がわざわざ特記してあるのは、これが300番台なので、回送時の愛称表示が珍しいために特記したのかもしれません。 この当時の国鉄は規律も緩んでましたし、レールファンの職員も大勢いましたから、仲間内を喜ばせるために、仲間がカメラを構えている位置では東北特急のヘッドマークに変えるような事はあったかもしれません。 なお、転属した先頭車はそれほど多くなく、中間車を回送するために九州まで単に往復したクハが多かったので愛称幕を抜かなかったのでしょうね。転属車だと愛称幕を旧所属区で抜いてしまうので、愛称を表示したくてもできない事が多いです。
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- 12nbj71
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懐かしい話ですね。「ひばり」だけではなく「やまびこ」などもあったと記憶しています。 当時は国鉄もおおらかでしたから、上野などでマークぐらい頼めば代えてくれた時代です。「白鳥」出してくれとか「雷鳥」がいいとか好き勝手頼んでました(苦笑)。当時は広域運用もまだ残っていたので、いろいろな幕が入っていましたね。583系に「銀河」の幕があるという話もあった時代です。 上野への回送でもまったく関係ない列車の幕を出したりもしてくれたりもよくあったことです。 ですから、おそらく運転士の気分的なもので出したのかなと。 当時、いい旅チャレンジ20000kmとか国鉄がファンサービスを行っていた時期で、この回送列車は一般紙などにも乗るほどのものでしたから、当然ながら意識はしていたはずです。 その中で、遊び心でやっていたのかも。 まぁあとは途中の向日町区とかで区別するためという可能性はありますが・・・
お礼
一般紙にも出たんですか。 めったにない大規模な作業だったようですが、もうこういうことはないのでしょうね。 1番の方への御礼とも共通しますが、幕を変えてくれる話などは今と違うな、と言うか時代を感じます。 ですので運転士のサービスや気分的なものであってほしいとすら思います。 現地に着いて「ひばり」号のマークが出ていれば確かに東北からの転属回送の車両だとすぐわかりますね。 やっぱりそういう現場での事情があっての掲出であってほしいかも… 回答ありがとうございました。
お礼
当時の国鉄の規律の緩み…レールファンの職員… 今となっては微笑ましい感すらありますが、回答いただいたようなことが背景にあるとすれば、のんびりしていていいと言うか、ファンにとっても良き時代と言えたのでしょうね。 今はどうも事務的すぎますね。 「ひばり」号のマーク掲出については深く考えることもなかったようです。 回答ありがとうございました。