- ベストアンサー
おしゃれな人と、そうでない人との違い
おしゃれな人と、そうでない人との違い はどこにあると思いますか? 抽象的な質問ですみません。 例えば、雑誌が好きで読んでて研究してる人でもおしゃれじゃない人や、 ショッピング好きだけどそんなにおしゃれじゃない人っていますよね? おしゃれって、育ってきた環境や出会った人の の影響をモロに受けると思います。 おしゃれな人は、なぜおしゃれなのだと思いますか? 私は美意識というのはあまり変えられない(おしゃれじゃない人がおしゃれになるのはなかなか難しい)と思うのですが、みなさんはどうでしょうか? 見る人によって全然違うので、そんなにおしゃれじゃないとう表現が適切ではないと思うのですが。回答よろしくお願いします。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
お洒落な人→ 『自分に似合う服がわかる=鏡などを使い自分自身を客観的に見れる』『服の流行に全面的に流されない。取り入れても自分流にアレンジを加えられる人』『日ごろから清潔感がある』 ではないかなっと思います(^^* 雑誌などで研究する人でも (1)『このモデルが着てる服可愛い→よしこれ絶対買う!』で決めるのと(2)『この服可愛い~欲しい→このモデルは似合ってるけど私にこの色やデザインは似合うか?あわせるとしたら持ってる服で何がある?』と考えて決めるのではだいぶ違いますよね(^^* (1)だと雑誌媒体の策略にまんまとはまってしまったケース。自分の中で『モデル=自分』が出来上がっている為客観視できず『服に着せられてる状態』になるケースが多いです。ショッピングなどで『これ人気なんですよ~最後の1点なんですよ~』など店員の口車にのってしまうのもこのタイプです=着る人によってはお洒落なんだろうけど貴方には・・・(^^;となります。 (2)だと一度客観的にチェック入れるので上手く服を着る方法を考えます。もちろん店員にあれこれ言われても最終的に『自分でしっかり考えて決める』タイプなので服に着せられている状態にはなりません。=上手く服を着こなします。 つまりお洒落じゃない人は 『自分を客観視出来ず第三者の力に頼ってしまう人』なのだと思います。それで満足してしまい何かを新しく取り入れようとしないのとか。 何かしら参考になれば幸い。
その他の回答 (9)
- yuki85
- ベストアンサー率20% (1/5)
私もよく同じこと考えます。私がそんな人です。なのでいっぱいいっぱい考えました。 で、でた結論は「要はその人の中身」です。自分をしっかりもっている(自分の色?というのか雰囲気やオーラを持っている人)はむやみに流行に流されず、自分の好きなもの、自分を引き立ててくれるものをわかっているので自然とおしゃれになっているのだと思います。持ってる個々がベーシックでもおしゃれな人っているでしょう? たぶん、雑誌をみたり街を歩いたりしてても「あれかわいい」ですますのではなく「あれかわいい、自分に合うかな?」まで考えたりしているのだと思います。あくまで想像ですが。 >おしゃれって、育ってきた環境や出会った人の の影響をモロに受けると思います。 なのでこのご意見は正しいと思います。人とのかかわりの中で自分を発見できると思いますから。
お礼
回答ありがとうございます☆ >雑誌をみたり街を歩いたりしてても「あれかわいい」ですますのではなく「あれかわいい、自分に合うかな?」まで考えたりしているのだと思います そうですね!そうかもしれないです。参考になりました★
こんにちは。私がおしゃれだなと思う人は ・自分の身体のサイズに合った服を着ている人。 ・だから後姿もかっこいい! ・流行のものをひとつは取り入れている。 私は自分に合うサイズを見つける前に妥協して買っちゃうのでダメですね(汗)
お礼
回答ありがとうございました!! 後ろ姿もかっこいい人素敵ですよね★ 参考になりました(^^)
> 抽象的な質問ですみません。 抽象的な疑問には、案外辞書が役立ちます。 おしゃれ【御洒落】 1)髪形・化粧・服装など身なりに気を配る・こと(さま)。 また、そのような人をもいう。 2)物がしゃれたようすであるさま。 ※大辞林より まず、おしゃれな人というのは 1)髪形・化粧・服装など身なりに気を配る人 これは異論ないと思います。 問題は 雑誌が好きで読んでて研究してたり ショッピング好きだったりするのに 2)しゃれたようすであるさま に見えないのは何故か?ですよね。 再び辞書に戻ります。 しゃれ【洒落】 1)その場に合った、気のきいた、人を笑わせる文句。多く語呂合わせや地口(じぐち)をいう。 2)たわむれ事。冗談事。 3)気のきいた服装や化粧で身なりをととのえていること。おしゃれ。 4)当世風で気のきいていること。 ここでは「当世風・その場にあった」「気がきいていること」「笑い・たわむれ・冗談」が ポイントではないでしょうか? 要するに ●どんなときでも臨機応変に遊び心を忍ばせることができる そんなメンタリティが必要だと思うのです。 何だか難しい書き方をしてしまいましたが 簡単に言えば「心が自由」であることが必要でしょう。 どんなに研究していてもおしゃれにみえないのは 心が自由じゃないんだよ。 おしゃれっていうと服装の話が中心になりますが 結局、軽妙で自由に見える人ほど どんな格好をしていても御洒落だと言われるように思います。 そして、自由な心さえ獲得できれば おしゃれじゃない人もおしゃれになれると思います。
お礼
回答ありがとうございます★ 辞書で調べたことはありませんでした~ 大変参考になりました! ありがとうございました!!
- love-law
- ベストアンサー率43% (47/108)
すごい稚拙な意見ですが。どうも流行しているからそれを着るというのがここでは”オシャレでない”という意見が多いですが、ボクはまったく逆です。オシャレな人なら何を着てもオシャレです。雑誌にのっているもの着ることはアピールポイントにもなります。そもそもオシャレとは世間の意見で大半の人々がそれに対してオシャレといったことです。その大半の人々の美的センスを占めるものはなんですか?雑誌に載せられたものです。そのため雑誌に載ったものを着ることはオシャレではないでしょうか?? あと、ボク個人が勝手に思うことなのですが、オシャレな人に共通していることがあるます。それはサイジングと小物です。
お礼
回答ありがとうございます! 本当にオシャレな人って何を着てもおしゃれですよね。 小物使いがうまい人って憧れます。。 御意見大変参考になりました!!
お洒落な人は、服を着ることが好きな人だと思います。 もちろん、センスのよさというのも大事ですが 趣味の相違というのはありますので、一概にセンスの良い 悪いを判断できかねます。 衣食住。それぞれに楽しみ方があります。 お洒落な人は、衣服だけでなく食べ物や料理、住まいにも 工夫し自分らしさや楽しみ方を持っていると思います。 もう少し寒くなったら、去年買ったあのコートを着たいなぁ とか、今年買ったジャケットは何をあわせようかと 考えることが楽しい人はお洒落なんでしょうね。 何を着ようか迷わなくなったらお洒落ではないです。 逆に何を着るか考えるのが億劫になってきたらお洒落 ではなくなってきた証拠です。 服を着ることを楽しめるかどうか。それが おしゃれな人と、そうでない人との違いです。 >雑誌が好きで読んでて研究してる人でもおしゃれじゃない人 この人はおそらく服の着方をまじめに研究しちゃっていて、自分で 服を着る楽しさをまだよくわからない人でしょう。 ファッション誌のコーディネートは、スタイリストのセンスや有名メゾンの コレクションの影響で出来上がっている部分も大きいです。 だいたいカラーコーディネイトのパターンは決まっています。アイテムや、 素材やデザインが変わる部分が大きい。 デザインや素材の流行に目がいくと、自分の好みや自分に似合う服 を見失いがちです。 >ショッピング好きだけどそんなにおしゃれじゃない人 これは、世間のオバサンみんな該当します。買い物好きというのは お金を使うのが楽しいだけです。手に入れる興奮が好き。 安いものも高いものも何でも。 >おしゃれって、育ってきた環境や出会った人の >の影響をモロに受けると思います。 その通りです。ライフスタイルがお洒落でないと服ばかり凝っても 楽しめないです。素敵な家に住んで、おいしいものを食べて 好きなスポーツを楽しんで旅行や仕事をエンジョイできるために 身づくろいとしてのお洒落もあるのですね。 お洒落で颯爽とした人の影響は受けます。生きていることが楽しそうだから。 >おしゃれな人は、なぜおしゃれなのだと思いますか? 性格が享楽的なのです。エピュリアンというと聞こえはしいですが つまらないことに凝ってみたりこだわったりして、そういう部分が 生活の楽しみのウエイトを占めている。無駄にお金と時間を使って いるわけで、そういうものが実は生活文化とかライフスタイルとか いうものはそれらを抜きには語れないのです。 経済的にも、精神的にも余裕があるからお洒落でいられるのです。 >私は美意識というのはあまり変えられない 美意識は、精神の発達や時代の流れのなかで大きく変わっていき ます。ことに、服飾の美意識はおもしろいほど変化します。 1970年代には、Uネックの横じまのベストに花柄のシャツ ベルボトムのジーンズにルンペン帽子が大衆の美意識であった し、それはビートルズという象徴が体現してみせたことで普及した 極めてユニークな美意識だったわけです。 1980年代には、ヨージヤマモトや川久保玲の黒づくめのボロ布 みたいな服が世界的に美の代表になったわけで、その後は アウトドアスタイルだのヨーロッパデザイナーブランドだの さまざまな「経験」を経て、わたしたちの世代の服に対する美意識 は大きく変化しました。 昔は、ジャンクなものチープなものがカッコいいと思っていたのが 今は年齢相応に高価なブランド時計を見につけている自分が います。 もちろん、一生進化しない「お洒落に無関心な人」はいます。 また、お洒落であることを恥じたり怖れたりする人もいます。 >おしゃれじゃない人がおしゃれになるのはなかなか難しい それは、心の中に服を着ることを楽しむのは女々しいことだとか 服について云々するのは恥ずかしいことだという「つっかい棒」 を持った人が結構いるからでしょう。 服を着ることが楽しい・・そう感じたら誰でもお洒落になれます。 ただし、自分の持っている服はみすぼらしいものだ とか 自分はファッションセンスがないから笑われそうで自信がない そう思い込んでいたりするとやばい。 そういう話ではないでしょうか。 お洒落は文化の一種ですから、人の真似をして自分なりの 形を身に付けていく。いろいろな芸事やスポーツと同じです。 運動音痴というのはありますから、ファッション音痴もあるには ありますが、それはそれで悪趣味なりにスタイルになっていたら 本人が楽しんでいたらそれでいいのではないでしょうか。 正しいお洒落・・・なんてのはそもそもないわけですから。 お洒落を民主主義や多数決で語っているうちは日本の文化 レベルも低かったのだと思います。
お礼
回答ありがとうございます!! 大変参考になりました★ 目からうろこの意見もあり、答えて頂いて本当にうれしかったです。 ありがとうございました!!
- sity-bluck
- ベストアンサー率25% (40/158)
あるデザイナーの言葉です。 ・本当におしゃれな人とは? “それは美しくありたいと思う心がことさらに強い人です。それではみんながみんな人の心を惹くような美しくなれる効果を知っているのでしょうか?いいぇ、美しくありたいといっていくらお金をかけても、チグハグなものを身につけていたのでは苦心して飾ったことばかりが目立って却っておかい、上手に扱ってこそ、本当に効果をあけれ゛ることができるというものです。 ~中略~ どんなにお金がかけられなくても、上手に美しい効果を見せられる人はやはり天才かもしれません。しかし、天才が努力しないよりも、むしろ天才でない人が、どうしたら本当に美しくなれるかを研究する方が却って天才を凌ぐことも多いのです。後略~” 上記の文面はある有名なデザイナーの人の言葉です。この言葉は現役で働いていた方の言葉としてとても納得のいく言葉だと今でもおもっています。 その言葉を参照するなら決しておしゃれをする事をあきらめな意志と努力が関係していると思います。同じファッション誌をみても教科書ではないのですから“見方”が大切なのかもしれないですね。そのなかでたくさん多くのことを学んで実践でき、またその努力をずっと続けてゆける人がおしゃれになれるのだと思います。また他の箇所では“色のバランスの配分がとても難しい”とかかれていました。そういったバランスは素人には初めわからない分野だと思います。 しかし、人間が何かを学ぶ際はその分野について深い知識があり、なおかつセンスのよいと感じられる人から学ぶことが一番の近道かと思います。その点で“ファッシン誌”をお手本にする事があってもそれをただみているだけではなく分析したり、他の専門用語や知識を意欲的にとりいれられる人が本当のおしゃれになれるのかもしれないとこの言葉を読んで感じました。
お礼
回答ありがとうございます!! すごく説得力のある言葉ですね。 sity-bluckさんの分析も素晴らしいと思いました。 >“ファッシン誌”をお手本にする事があってもそれをただみているだけではなく分析したり、他の専門用語や知識を意欲的にとりいれられる人が本当のおしゃれになれるのかもしれない この御意見に納得しました!
- gunto
- ベストアンサー率19% (347/1784)
本人はおしゃれしてるつもりでも、全くなってない人は、流行ばかりに囚われて、自分の欠点が見えてないからだと思う。 おしゃれな人って感じるのは、顔つきと、漂うムードです。 勿論、自分に似合ったものを着こなし慣れてる人。
お礼
回答ありがとうございました!! 欠点を自分で分かっていて長所に変えている人って素敵ですよね。 自分に似合ったものを着こなしていきたいなーと思いました。 御意見大変参考になりました!
- kee_yan
- ベストアンサー率42% (38/89)
おっしゃるとおり、「ファッションについて研究してるのにおしゃれじゃない人」というのをしばしば見かけます。 何を隠そう、高校時代の私もその類の人でした。 私の場合、一番仲の良かった友人がいわゆる「ファッションリーダー」で、その友人からいつも散々批評されてきました。で、その友人をいつか認めさせてやろうと思って、いろいろ雑誌とかも読んでいろいろやったんですが、いつもいつもその友人から「なんでそういう合わせ方になる?」とか「お前、それもう古いよ」とか言われまくってました。 ある意味それで鍛えられたんですが、高校の終わりごろに「俺にはファッションのセンスはないらしい」と開き直って、雑誌とかあまり読まなくなりました。 で、高校を卒業して専門学生やってたんですが、そのころバイトをしてて、結構懐が潤ってた時期があったんです。 その時に、いわゆる「いい服」を買うようになったんですが、その高校時代のファッションリーダー君からだんだんと、「最近おしゃれになってきたな」と言ってもらえるようになってきました。 で、その時に感じたんですが、 「あまり雑誌の情報に振りまわされ過ぎない」 「お金をかける」 この2点をこころがけるようになって初めて自分なりの着こなしが分かってくるものなのかな?というふうに思いました。 「お金をかける」というのはなにも闇雲に「高い服を買う」ってことじゃなく、買い物に行ったとき「あ、この服いいな。・・・でも値段が高いから妥協してこっちの服にしとこう」ってのをやめたってことです。つまり「安物買い」をしなくなったということです。 高校時代は限られた小遣いの中で、無理にアイテム数を増やすことばかり考えててたので、「使えない服」が非常に多かったんです。 で、それなりにお金をかけれるようになったら、逆にムダな買い物をしないようになっていきました。 これが良かったみたいですね。 その後、買い物のコツがわかってきたら、それこそフリマとかの二束三文の叩き売りの中からでも、いい服をチョイスできるようになっていきました。今は結婚して子供もいるので、当然服にお金がかけられなくなったのですが、ほとんどフリマで服を調達しています。年齢的にもあまり流行を追わなくてよくなったせいもありますが、友人や知人のあいだでは比較的「おしゃれだね」と言われてます。(飽くまで"比較的"ですが) あと、「流行に振り回されすぎない」ってのも、結構重要かも知れません。若い子たちは特に、ひとつなにか流行しだしたら、こぞってそれを追っていく傾向があるようですが(かつて自分もそうでしたが)、「流行ってる」のと「似合ってる」のは、また別の問題なんですよね。 結論としては「自分を知る」って部分が大切なのかなという気がします。ファッションセンスってのは「自分自身をプロデュースする能力」と言い換えることができるとも思います。
お礼
回答ありがとうございました!! kee_yanさんの回答を読ませていただいて、服にちゃんとお金をかけられるようになりたいと思いました(^^) >ファッションセンスってのは「自分自身をプロデュースする能力」と言い換えることができる この御意見に納得です!
- lemon-pop
- ベストアンサー率31% (163/514)
こんばんは。 お洒落な人=流行の最先端と思ってる人はお洒落じゃないように思います。 こんなスカートが流行ってるから履く こんなブーツが流行ってるから履く 実際に鏡に映った自分は何かが違う(コレは無理^^;)と思える人はお洒落な人 鏡に映った時点で違和感を感じてるのに、流行だから・雑誌で見たから良いと思う人はお洒落じゃない人 流行に流されず(まぁ、似合えばイイけど)自分に合う洋服・アクセサリーを上手く着こなせるのがお洒落かと。 ブランド品でも合わないものは合わない 安物でも、そう見えないように着こなす 他人が見て『あの人お洒落だよね』と思うのは 着てる・付けてる人にマッチしてるからじゃないかな? 奇抜な格好だったり、だらしない格好だったりでなければ 安かろうが高かろうが自分に見合った格好をしてる人が お洒落さんなのかも知れませんね^^ と・・・私的意見を長々と申し訳ありません^^;
お礼
回答ありがとうございます!! >鏡に映った時点で違和感を感じてるのに、流行だから・雑誌で見たから良いと思う人はお洒落じゃない人 こういう風にならないように気をつけたいと思いました(^^;) 自分に合う服を見つけてる人ってすごいですよね。 私の場合、人に似合うと言われる服と自分が着ている服のテイストが違うので、まだまだ自分に似合うものが見つけきれてないなと思います。。。 御意見参考になりました!ありがとうございました!
お礼
回答ありがとうございます!! >鏡などを使い自分自身を客観的に見れる これ大事ですよね! (1)にならないように気をつけます(^^;)