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おしゃれ・美の限界を感じる時
23です。高校の頃からおしゃれを始め、ヘアメイクもがんばってきました。 昔の写真をみても、周りの人にも、全然違う。今の方がいいといわれます。 でも、都内の夜の世界を見たせいか、綺麗な人ばっかなので、時々自分の美の限界を感じます。 整形してる人も多いし、最後は整形するしかないのかな?って思ったりします。 まだ私は完全に垢抜けきってないので、まだがんばる余地あるかとも思うのですが、おしゃれはある程度ひと通りやってきたので、最後はもとのつくりで決まるのかな?と思い始めてきました。 なんかよくわからない質問ですみません。 みなさんはおしゃれをしてきて、自分の限界を感じたことはありますか?そういう時ってどうしてますか? また、美の限界はあると思いますか?
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hana990さん こんばんは おしゃれ以外でも何でもそうなのんですけど、限界を感じた時点で終わりだと思います。例えばプロ野球の選手が、自分の能力や年齢による体力足らずとかで観客に見せる様なプレーが出来なくなった時に限界を感じて引退するわけです。ですから限界なんて感じてはいけません。 私だってエビちゃんみたいに可愛くなりたいです。でもエビちゃんみたいに可愛くなれない自分も解っています。それは顔の作りが違っているからしょうがない部分なんです。それはどうする事も出来ない事(もちろん整形してエビちゃんと同じ顔の作りにすれば話は変わると思いますけど・・・)です。でも限界とは考えていません。人それぞれに私にもhana990さんにもチャームポイントがありますよね。それを生かしたファッション・メイクをすればきっとエビちゃんとまでは行かなくても、エビちゃんよりある意味可愛くなれると思いますよ。 私の事を言うと、タレ目がとてもいやでいつでもアイラインをつり目傾向に引いて、いつでもスッピンのタレ目を見せない様にフルメイクしていました。ですから、私とお付き合いした過去の彼達の多くは私をタレ目だと思っていなかったと思います。前々彼とは、初めて温泉旅行に行ったんです。そのその時初めて混浴の露天風呂に入って、彼にスッピン見せちゃったんです。その時言われた事が「タレ目だったんだね。今までメイクしていたからタレ目とは思わなかったよ。メイクしている顔より、タレ目の方が優しそうに感じて良いよ」と言われました。それ以来、タレ目でも気にしなくなりましたよ。今ではタレ目をチャームポイントと私は思うようになれたし、優しい感じを主眼にしたファッションをする様になりました。 この様に自分のチャームポイントを解って、それを上手く利用したメイクやファッションをすれば、その人なりに可愛くなるはずです。それはエビちゃん同様に可愛くなるかは別として、その人なりの可愛さを引き出す方法だと思います。 夜の世界のお姉さま達は、それなりの良い洋服を着てそれなりのファッションをしています。そう言う意味で可愛く見える点も有るんでしょうけど、それ以上に自分の事を良く解っていて、私のタレ目の例じゃないけどチャームポイントを上手く使ったその人なりのファッションをしているんです。だから可愛く見えたんだろうと思います。 hana990さんは、ご自身のチャームポイント解りますか??解らなければご自身のチャームポイント探しからだと思います。チャームポイントを上手く使ったメイク・ファッションをすれば、今以上に可愛くなれると思いますよ。ですから限界って言うのは、まだまだ先だと思います。 一緒に頑張って可愛くなりましょうね。
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オバサンのあとはオヂサンが登場です。 説教くさくなったらお許しください。 50過ぎのオヤヂがお答えする質問ではないと思いますが、スッピンで生きて きた男の立場から一言いわせてもらっていいですか。 過去に美人も美人のヘアメイクの専門家ともおつきあいしたことがあります。 夜の世界と芸能界は知りませんが。東京で30年近く街行く女性を眺めてきました (といっても新宿のホームレスではありません^^;) 世の中には、いろんなタイプの美人がいると思います。でも美人は美人で あるというだけで、すべての運を使いつくしているような気もします。 努力する美人ってあまりみたことないし、賢い美人というのも少ない気が します。美しいというのは天賦の才のひとつであって「天はニ物を与えず」 という格言は真実なのかもしれません。 そういう意味では才能が容姿にかたよってしまっている人よりバランスの よくバラけた「一般人」のほうが、平穏で幸福な人生が生きられる気が します。また足りない面を補う努力が、その人に新たな魅力を添えるように 思えます。 おしゃれの目的が、「美の追求」だとすると、それは結局容姿の差に行きついて いまって目標を見失いそうですね。 化粧で欠点を隠していくうちに行く付く先はプチ整形という方向になります。 でもハゲのカツラがみっともないのと同様、整形もよくみれば不自然だし 恥ずかしいという気もします。 容姿が完璧でないにしろ自分の顔が好きになれたらいいのではないでしょうか。 自分が自分であることに誇りを持つには、整形のほかにもやることがありそうな 気がするのです。 美しい容姿というのは、ありきたりですが内面を繁栄するものです。 内面というと誤解をまねくので、個性とか言い換えてもいいです。 それにメイクなんて絵の上手下手の問題のように思えます。 うちの娘も23歳ですけど朝起きたら眉ないし、目もなんか子供の目のまんま なのに、出かけるときには、まばゆいほど美しい若い女性になっています。 なんだか、狐に化かされた気分です。 眉なんてないほうがいくらでも綺麗にかけるし、そりゃ 素顔がよければそれが一番。 でも顔はキャンバスとは違うと思います。 長い睫のつぶらな瞳があったら、マスカラとアイラインでそれを強調するから長所が 際立つ。そういう化粧がいいなぁと男は思うのですね。 おしゃれは、自分らしさの演出と考えたら、ちょっと意味が違ってくるような 気がします。 でも23歳の頃って、他人との比較のなかで自分らしさって何かなぁって まだ迷っている時期ですよね。 自分の「素地」とキャラクターを元にそれをどう演出するか。なんていわれても その自分のキャラクターがまだ決まらないのかもしれないですね。 自分の魅力を自分で理解できたらそれほど迷いはなくなるような気がします。 そのためには、容姿以外に何か自分が誇れるものを持つことが必要かも知れません。 男は、女性の美に惹かれるわけではなく、女性の雰囲気に魅かれるように おもいます。ですから、自分の雰囲気をわかっていてそれを引き出すような人の おしゃれって上手いなぁと思います。 知的で、都会的な雰囲気の人はそれを意識してカチッとした服と聡明さを 演出するクール服を着るしキュートで少女っぽい雰囲気の人は、それを強 調するためにあえて男っぽいラフなGジャンを着たりして可愛さを目立た せたりするのだと思います。 23歳の頃って、まだ誰かの型を自分にあてはめて、試しているような時期 ですよね。 女性が、他の女性と自分の美しさを比較しはじめると、基準が曖昧になり 際限がなくなるような気がします。 絶対的な美人の基準がないように、たまたま選んだ「型」のなかで これ以上自分がよくなれないと思ったら、別の型を見つけて、その方向で おしゃれを楽しんだらいかがでしょう。 SMAPの「世界でひとつだけの花」の歌詞みたいな考え方が大事ですよね。 ヘアメイクで女性は大きく変わりますますけど、ヘアメイクで大きく変わるの は20代だけかも知れないです。 スッピンと化粧がかわらないという意味ではなく、自分にあうヘアメイクが 固定化されてくるという意味です。若いうちは、どんなヘアメイクでも やっておかしくないほど「キャラクターが曖昧」なのだと思います。 能の世阿弥の言葉に「時分の華」という言葉があります。 「娘十八番茶も出鼻」という言い方もあります。 昔は十八でお嫁に行くのが不思議でなかったから、昔の18歳はいまで いえば24歳くらいに相当するのかもしれません。 質問者さまは、今が最も美しく輝く時期なのではないでしょうか。 別にそれで終わりという意味ではないですよ。化粧のし甲斐のある時期 おしゃれのし甲斐のある時期なのかもしれません。 それはどんな娘でも「若さ」というエネルギーがオーラになってご自身を 輝かせているからではないでしょうか。 「時分の華」以外で、女性が美しくなるのにいろいろあるように思います。 たとえば「幸せな恋」をしているときなどどうでしょうか。 「あなた、綺麗になったわね。誰かいい人いるんでしょ」みたいな。 中年過ぎて大抵の人は所帯やつれしてオバサン顔になりますが、いつでも 美しいのは、もとがいいというより経済的に余裕があって家族に誇りと信頼を 持てるようなケースではないでしょうか。 ヌカみそ臭くなってない。 熟年で女性が美しいのは、自分の趣味にあった暮らしが実現できている幸福感 を感じているからかもしれません。 60歳過ぎて女性が美しいのは、夫婦仲がよくて幸福だからかもしれません。 余談ですけど、篠原涼子って20代の頃ってただ厚ぼったい唇のセクシーな 子という感じだったのが、今の50代の旦那さんとつきあいだして、格段に キュートで愛らしい顔になったですよね。 人には「人相」というものがあるのですが若い頃って、多分化粧で 人相がごまかせるのでしょうね。 また、生活は「人相」に現れるし、心理状態も「人相」を作るのだと思います。 なんとなくですが女性の顔は、3回大きな節目をむかえる気がします。 30歳過ぎてから、42歳過ぎてから55歳を過ぎてから。 太ったりやせたりというのはありますが、42歳過ぎても美人というのはホンモノです が大抵、この時点で「老け顔」と「美人顔」が同居しはじめます。 逆にいうと人相を美人顔のまま維持するために、必要なのはヘアメイクではなく 実生活の「幸福」だということでしょう。 東京の夜の世界の女性がそれなりに美しいのは、それを維持できる 十分なお金を稼いでいて稼いでいる自分に生きがいを感じていて、 稼いだ金で自分が「満足感」「自信」「幸福感」を得ているからではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます☆ 努力する綺麗な人・・ 顔立ちは別として、他の努力で補えるような気もします。私の周りの夜の人も、彼氏も、めちゃくちゃ努力する人なんですね。(整形も含む)なのでそういうもんかな。と思ってきたのです。 自分らしさというか、私は自分のこと普通に好きなんです。自分の容姿以外の武器もわかっています。 自分に自信を持つためっていうより、単純に私は綺麗なものが好きなんです。。 でも、年をとってからのことを考えるとそうかもですね~やっぱり生活や幸福度って外にでますね~
- bekky1
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あなたのご参考になるかわかりません。 それに、#1の方と同じ方向性のはなしでなのですが、 昔から、この手のことはみなさんがおもいわずらうテーマなのでしょう。 私は50をすぎたおばちゃんですが、中学生のころに、夜遅い時間のアメリカのTVドラマをやるのが流行ってました。 SFものでした。 それのお話です。 中学生ぐらいの少女が大人になる「儀式」を拒むのです。 パパはいますが、ママは幼いときになくなっているという設定。 家族写真がベッドサイドにあります。 もっと子供のころの少女が一緒に写っている3人の写真。 ちなみに、女の子は、そばかすだらけで、コンプレックスがあるということになっています。 ドクターが入ってきて、説得します。 「オペを受けるなら、今年ぐらいが最後のチャンス。 それ以降になると、完璧は求められない」 パパも入ってきて、同じように少女を説得。 その道中に、「変身手術を受けなかった人」がいかに社会的に不幸な境遇にならざるを得ないかのビデオのようなものを見せられたりもします。 いまなら普通の人が「主役と同型」の顔形の男女に「なに、あの人たち・・・」とまるでホームレスをいじめるようないまどきの若いこのような反応をするだけなのです。 ココから、どうして少女が手術を受け入れたのか忘れたのですが、 最後が、「うれしいわ。ママと同じように私もこんなに美しくなれた。 」と手鏡を見てうっとり。 それをみて、ドクターとパパもにっこり。 この話の落ちは、登場人物が「男性型」「女性型」そして、その手前の「美少女型」、それしか「形」が登場しないのです。 つまりは、将来、みんなが美男美女を目指すとこの形しかないという ことで、成長期のある時期に「人類が悩まないように」ほとんど全員が美容整形してしまう。 で、主役の少女はそばかす他にコンプレックスはあったものの 自分の個性を愛していたのですが、「ママの美しさ」にはあこがれていた。 もちろんこのママもオリジナルではないので整形美人です。 当時中学生の私は考えました。 でも、あの男優(パパ)は余りいい男には思えなかった(笑い) ママはまーまーかな? 世のなか同じような顔ばかりだと奇妙です。 それに、久々に銀行で女性週刊誌をパラ読みしました。 写真の若いタレントの顔がおばちゃんの私が見るとどれも同じ。 男女を問わずです。 同じような二重、同じような鼻梁の線の横顔。 すっきりした顎のライン。 きれいだと思う前に、変だなって。
お礼
ご回答ありがとうございます☆ そうですね。。全体としてみると、画一化されてるかもしれないし、確かに没個性って変かもしれないですね~ それにしても、紹介して下さったドラマ気になります~考えさせられそうですね。
- pinkylove8
- ベストアンサー率16% (1/6)
そりゃ、限界感じるに決まってるじゃないですか。 私だってエビちゃんみたいにかわいくなりたいですもん。 でも、きっとキレイな人だって満足しきれてないんじゃないかな? 人間って欲張りでしょ? だったら、限界じゃなくて、最低限ここまではキレイになりたいって考えたらどうでしょう? 「好きな人にかわいいって思ってもらえる程度」にはかわいくなりたい・・・とかね。 質問者さんが美を追求したいって気持ちは分かります。でも整形って人工の美しさですよ。 質問者さんが見てきたキレイな人たちには、その人たちの、質問者さんには質問者さんの良さがあるんです。 整形なんてもったいないです。今ある自分の良さを捨ててしまうわけですから。 自分なりの美しさを追求してってくださいね。 それに、本当にキレイな人は内側から、キレイなオーラが出てるんです。だから、外見だけじゃなく、内面もキレイにしてあげてくださいね
お礼
ご回答ありがとうございます☆ やっぱり限界ってあるんですね~ 私も今まで人には人のよさがあるな~って思ってましたが、私は純粋に綺麗なものが好きなんですね。 私の彼氏も、一緒に働いてる人も整形なんで、それが変だと思わないというか・・ それぞれのよさってあるかもだけど、私は綺麗なものが好きなので、自分もそうしたいな~って気持ちです
少々辛口の回答になりますが、ご容赦下さい。 あなたは他人を意識しすぎではないですか? あなたは何故、何のために、「美しくなりたい」と思うのですか? ただちやほやされたいから? それとも、自分らしく良く生きたいから? ちやほやされたいだけなら、雑誌などのメディアが発信する情報に踊らされていれば良いことです。 しかし、それは本当の「美しさ」であるとは思えません。 他人は他人、自分は自分。自分の「美しさ」を最大限引き出すんだ、 と努力する気持ちが、あなたの「美しさ」に繋がるのではないのですか? そう思えば他人はさほど気にならないと思います。 自分の美しさを引き出すには、自分を知ることが大切になります。 自分の顔立ちや体型ではありません。 自分はどうありたいのか、どう生きたいのか。 おしゃれとは、自分の生き方や考え方など、「自分」を表現する手段だと思います。 あなたは、おしゃれをすることであなたの内面に在るものを表現できていますか? もし、そうでないなら、「おしゃれ」とは一旦離れて、内面を深める必要があるでしょう。 No1さんがおっしゃるように内面を磨くことですね。 それから、「美」のあり方は一通りではないと思います。 「都会の夜の世界」だけが美しいのではありません。 華やかに着飾らなくても、充実した日々を過ごしていきいきと輝いている人はいくらでもいます。 >みなさんはおしゃれをしてきて、自分の限界を感じたことはありますか?そういう時ってどうしてますか? また、美の限界はあると思いますか? あなたの文章を拝見した限りでは、表面的な「美」にこだわりすぎな印象を持ちます。 だから限界を感じるんだと思います。 もっと掘り下げて考えれば、自ずと答は出ると思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます☆ 何のために・・自分のためにです。私は綺麗な物が好きなんです。人にしろ物にしろ・・ みてるだけで幸せなんです。 そうなんですね、美の形はいろいろだとは思うのですが、私はどうも視覚的な綺麗がすきなんですね。
どこまでも「美」を突きつめればそれは「無個性」という事になると思います。 みんながみんな完璧に美しかったら…?さぞつまらない世の中でしょう。 それに美意識は一人一人違いますしね。 23歳と言えば肉体的に最も美しい年齢かも知れません。 しかし人間の魅力というのは「美」だけで成り立つものではありません。 「美」にとらわれすぎる人間は時に醜いものです。 次は内面を磨く事ではないですか? 内から充実した人は実に美しいものです。 ただ「美しい」だけではないオーラを放っているからですね。
お礼
ご回答ありがとうございます☆ そうですね~つきつめれば無個性。ある意味そうですね。 そうかもですね。中身も磨くこと大事ですものね☆
お礼
ご回答ありがとうございます☆ そおですね~~限界を感じた時点で終わり。まさにその通りだと思いました。やっぱりがんばらねばですね! 私の生かすとこはわかっていて、自分では十分生かしてきたつもりですが・・もしかしたらまだきずいてないとこあるかもですものね