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幇助自殺の合法化
幇助自殺を合法化した場合、起こるであろう問題点を教えてください。プラス面でもマイナス面でも結構です。よろしくお願いします。
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すみません、ちょっとだらだら入ります。ちゃんと答えがあります。法律が施行されている州もあるのですから..... その前に、Assisted Suicideの制度は、自殺を幇助するものが自殺幇助罪の適用されないように、尊厳死を法的に保護するための社会制度と、定義します。ですから、KAAZさんの説明してくれた内容は、Assisted Suicideの制度が混乱した場合に、Assisted Suicideを許容するとどうなるか、ということへの答えです。許容できない、というのが結論です(大変賛成)。では、もし、許容できる施策があるなら、どうか。が、私の説明です。 Assisted Suicide(幇助自殺)の典型は、(1)現在稼動中の生命維持装置を自分の意志で止める行為ですが、あと、(2)自分でモルヒネを注射する装置を作ってもらい、自殺の意図を明らかにしつつも邪魔されずに大量を自己投与して死ぬようなケースを言います。 このAssisted Suicide 幇助自殺は、くどいようですが、法律でいう自殺幇助とは区別しなければ行けません。Assisted Suicideについては、たくさんの情報が渦巻いています。 International Task Force on Euthanasia and Assisted Suicide ITFAS (國際安楽死と補助自殺推進機構、とでも訳できます)などがまとまっているように思います。しかし、最も進んでいるのは有名なオレゴン州です。 日本の法律での規定は、安楽死については、東海大学の判例などで多少の判例や解釈の提示がありますが、明確化までは到達していません。ましてやASをやです。雛形の議論もできていないのです。残念。 lily_chou_chouさんへの回答には、限定したASの雛形を厳密に定義する作業が必要です。先の例の(1)と(2)もずいぶん違います。よいサンプルはオレゴン州の法律にあります。有名なOregon’s Death with Dignity Actです。このactに関するレポートにすばらしいものがありますから、英文ですが、一度読まれることをお勧めします。(参考URL) オレゴン州2004年には、60人がASで尊厳死を実現しています。この方たちは必要要件を満たしたオレゴン州民で、資格のある医師のアシストにより、致死量の薬剤を投与されて尊厳死を達成しています。法的な対応も医師たちは行わなければいけません。患者はend of life concernsを明らかにしなければなりません。 もし、Assisted Suicideを許容する法律ができたらどうなる?というご質問ですが、法律やそのほかの環境の整備にもよりますけれど、オレゴンのようにできるのであれば社会にまったく混乱は生じず、患者の尊厳は守られます。最新のレポートでもそういった混乱は認められていません。むしろ、ASを正しく管理推進する、社会インフラ(法律家の会議や尊厳への啓蒙、行政を含めた地域連携、なぜ死にたいのかという議論の共有、死からの救済、教会との対話など)の整備に力が入ります。 答え、社会はより高度な社会となる筈。
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- KAAZ
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民事法における「契約自由原則」「自己決定原理」が、刑事法や社会法にまで影響し、アナ―キーに限りなく近づくでしょう。麻薬や売春は公に認められ、刑法199条犯は「自殺を幇助した」と言い訳するでしょう。挙証責任のある検察側では、「自殺幇助の依頼」が無かった事を立証するのは相当難しいと思います。 最大の保護法益である「生命」を奪う行為を合法化してしまうと、いったい法は何を護るために存在するのか ということが解からなくなってしまいます。当然、犯罪とは何ぞや という部分も曖昧になってしまいます。 私は「死刑執行」は殺人であり許されるべきではないと考えています。「自殺」や「自殺幇助」も同様です。 何故国家は、個人の「命・権利・財産」を守ろうとするのでしょう。それは、国家発生の過程を見れば分かります。個々の「守るべきモノ」をより安全に、システムとして守るものが、コミュニティであり国家なのです。 法により保護される「身体・生命」の所有権は誰の物なのか という部分をクリアしないと問題は解決しません。所有者が本人自身なのであれば、使用・収益・処分の権限は、自らにあると言っても良いでしょう。 しかし、社会の中の一員として存在意義を認められている以上は、その集団の最大幸福を求めるべきです。そしてその集団というのは、各人の「生命を護るために存在する」のです。 このカテゴリーに御質問なさった理由は、安楽死・尊厳死とのカラミを考慮してだと思いますが… 意識は無く、物言わぬ身体に、呼吸する機械を付けて生き続けている患者さん。でも、その手に触れれば確かに暖かい… 書いているうちに頭が混乱してきました。一つの叩き台にでもなれば幸いです。