#1です。補足いただき有り難うございました。
仏教に関して言うならば「供養」の本来の意味合いでお供えされるものかな、と思いました。(ご質問の事例が該当するかどうかはわからないですが・・・)
「供養」という言葉は、「敬意を表し、おもてなしをする」ことと言えます。経典・論書などによってその内容、種類などはさまざまですが、「供とは奉進なり。養とは具食なり。珍美を具して、もって尊者に奉進するなり」とか「供養は供給資養の意」などという解釈があるように、本来「供養」は「食べ物をお供えする」ことが大きなウエイトを占めているように思えます。
仏前に詣でて、何らかの祈願を行う場合、昨今はお賽銭を投げるとか、祈願料を納めてお寺さんにお勤めしてもらうというやり方が通常のように考えられがちですが、仏さまに食べ物をお供えして供養し、礼拝し、祈願するという形こそ、本来の供養の形と言えます。
仏教には「福田(ふくでん)思想」という考え方があって、とくにその始原的な構図には、仏さまへの供養(食べ物を供することも含む)は、功徳を生み果報をもたらす、という図式があり、一般の方にも可能な重要な功徳の積み方と考えられていました。
こんにち日本で行われているお米を供えるという行為には、この他にもさまざまな要素が加わっていますので、「供養」や「福田思想」のみでは説明できない部分もあります。「お寺への年始の挨拶には米を持参する」という習慣が自分の住んでいる地域には、まだかなり残っています。また「投げ米」というお賽銭箱にお米を入れる習慣もあります。(←これは一種のお供えでしょうけど・・・)お寺が田畑(寺領)を持っていた名残から檀家さんがお米をお寺に持っていく習慣が残っているところもありますので、ご質問者さんが見聞きされたことがどれに当たるかはなんともいえませんが・・・
あと、お米に関してですが、お釈迦さまの一族は米食をしていたというのが有力で、それが理由なのかどうかはわかりませんが、お米をお供え物の品とすることの起源は古く、インドから行われていたようです。
なんだか概説的な話しばかりになりましたが、自分の知ってる・調べられるところはこんなところです。
病気を治してほしいなどの心願成就を祈る場合、お寺の仏さまの前に、そのお供え物としてお米を奉げることは、仏さまに供物を献じた功徳でもって果報を得ようとする意図(ある種のギブアンドテイク)だと言えると思います。
ご参考になればよいのですが。では。
お礼
二度目の回答ありがとうございます。 詳しく説明してくださって、よーくわかりました。 なるほどなーって!