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平和
どの国の主義が地球を平和にしていくのでしょうか。 原爆を抱えながらお互いににらみあっている、まるで子供のけんかにも劣る行為を人類はいつまでつづけるのでしょうか。 人間は、種としてまだ幼年期なのか、それとも、老齢期なのか。
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- sawachann
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目的が自己保存の原則のみではなく、他者と一緒に成長、発展できることを主眼に置いた主義なら、真の平和が実現できるかもしれませんね。 もちろんそれを乱すものには実力を持ってでも対処できる自己責任も必要ですが。 大事なことは、より大きなもののために犠牲になれる主義ですね。そうでないと発展は難しいと思いますが。 どうでしょうか? 2番目は、まだ分かりませんね。まだタマゴまたは胎児のような状態の気がするんですが。
- CB1100F
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かって米ソの2大超大国が東西で睨み合う冷戦が続きましたが…共産主義という理想主義が人間と言う良くの深い動物にかかると単なる全体主義の警察軍事国家を作りだし最低限の自由すら拘束する社会しか産まない事を世界に示し崩壊して行きました。…現存する共産圏の国々は、キューバや北朝鮮、中国などでしょうが…北朝鮮などの犯罪国家は、別にして…これらの国も経済を開放し共産主義の原点を既に放棄して資本主義に近づくことで生き残りを賭けています。…しかし米国型の極端な自由資本主義が本当に良いのか欧州に多い社会民主主義のようなものが良いのかは、議論の別れる所です。…私の希望的観測としては、米ソが第2次世界対戦後…長い間の冷戦を得て…途中何度も第3次大戦=地球人類滅亡の危機が訪れようとしてきたにもかかわらずこれを回避して核軍縮をして来た事は 人類に残された良心と英知がまだまだ捨てたもので無い事を示しているものと考えます! …確かに2足歩行を始めた人類が今日を迎えるまでの歴史の大半が戦争と争いの歴史と言って過言ではありません。しかし、私には、全地球規模での統一がゆっくりとですが進んでいるような気配を感じてなりません。地球上にある多種多様な異なる文化をもつ民族が一つの共通する政府をもつ事は、並大抵の事では、ありませんが…何れは、ユーロ圏、北米NAFTA圏、アフリカ圏、亜細亜圏…と大きなブロック経済化が進み何れは、一つに長い時間をかけて進むものと希望的観測を抱いております!…そこまでには、地域紛争や大小の戦争も在る事でしょうが…きっとSFに良く有るような地球連邦政府みたいなものが生まれこれが国連を基盤とするものになるのかは、疑問ですが…そうして遥かなる宇宙を開拓探検する時代へと移行していくものと想います。短期的未来には、中国によるアジアの覇権を狙い紛争が起こり得る気がしてなりません。…唯一の超大国として米国は、覇権主義の中国がアジアを基盤に超大国化する事を許しませんが…我国が戦争に巻き込まれて行く恐れは充分に有るような気がします。…しかし…何れにしろ悲観主義で傍観していてもしょうがない事で…人生は、希望の漂流のようなものですから…希望をもって次世代の子供達に我々の文化と地球の豊かな恵みをこれ以上損ねる事無く守り残していくことが最も今を生きる人類に取って肝要な事と考えます。…現在、官も民もバブル以来、旅の恥は、掻き捨ての如く遍く腐敗臭を漂わせ取り締まる警察組織すら信用は、失墜し地に落ちた感の有る今、…心有る日本人の一人一人が心豊かな大和の民の古の精神を取り戻し国家百年の計で教育制度の再構築を図り新生日本を作り上げ真の意味での戦後を迎える必要があるかのように想えてなりません!
- masyura
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なんだか、みなさん平和に対して否定的なんですね(^。^;) まず始めに明らかにしたいのは、個人の闘争本能と戦争とは関係性が低いという事です。例えば湾岸戦争など、人の攻撃性にのっとって始まったのではなく、それぞれの国の利害に基づくかなり理性的な判断によるものです(あくまで「かなり」)。だから宣戦布告とか捕虜の扱いだとかルールがあるわけで、戦争は外交手段の一つに過ぎません。 しかし、戦争中に起こる悲惨な出来事の中には皆さんの言う「本能」によるところもあるでしょう。レイプとか捕虜虐待とか虐殺とか。まずそれらを区別して考えましょう。 ですから、戦争はなくなるか?と聞かれたら、その可能性はあるというのが僕の意見です。国の間の「戦争」は基本的に利害関係です。利害の調整ができるようなシステムがあればかなり戦争は防げるはずです。もっとも、民族や宗教単位の「争い」「紛争」など、感情によるものは分かりませんが・・・ kanekoさんの質問に戻ると、 どの国の主義も基本的にその国の利害関係を乗り越えるのは難しいので(自国の利益を考えない政治家はそれはそれで問題だし)、どれか一つを取るという事はできないのでは、と思います。地球規模の平和の実現は、むしろそれらを調整するシステムにかかっていると思います。 >人間は、種としてまだ幼年期なのか、それとも、老齢期なのか。 という質問は的外れに感じます。「種として老齢期」という言い方には「あとは滅びを待つのみ」という感じがしますが、そういうニュアンスでしょうか? 「種」の盛衰は環境との関係であって、幼年期や老齢期という言葉では文脈上不適切かなと思います。「文化」や「文明」という視点からなら、有りかも知れませんが。ゴキブリみたいに、ほとんど変化も無しで大昔から存続している「種」もいるのですから。 そんなに簡単に平和を諦めちゃうのってもったいなくないですか?「死にたくない」ってのはかなり基本的な欲望ですよね?そうゆう共通点があれば、妥協点も見つけられると考える方が現実的だし健康的だと僕は思いますが。
- taka-q
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F?6
- slip
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主義や主張が平和にしていくことはありません。 もしあるとしたならば古代中国の儒教ぐらいでしょう。 つまり東洋的な考えによる物だと思います。 一つの国や一つの主義には、また民族間や宗教観には、それ一つ一つに、一つの正義があり、他を認めない状態ではいつまでも変わらないでしょう。そう考えれば幼年期ですね。
- uetaka
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答えにはなっていませんが、意見だけ述べさせていただきます。まず私は平和というものは絶対的なモノだとは考えていません。結局相対的なモノであるため、平和を絶対として、それに向かう考えには反発を感じざるを得ません。現在の論調自体に通じることですが、平和というのは状態であって、価値ではないと思います。平和になることによって生み出されるモノが重要なのではないでしょうか? 質問の答えにはなっていませんが、議題の提起ということでお許し下さい。
- ojaru
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なんかよく構造が分からないのですが、私の発言の下に補足があるのを今日(すみません^^)見つけたので、私に対する発言とみなして答えさせて頂きます。(違っていたらごめんなさい) 何か誤解されているようですが、私も人間です。戦争は嫌だし、殺されたくもありません。平和が存在し得ないというのは、平和にしたくないということではありません。人間誰もが平和に生きたいと思うのは当然のことだと思いますし、その平和のために戦争が起こるのも当たり前のことです。戦争を拒む気持ちは誰しもが一緒ですが、拒んでもなくなるのか?ということです。戦争がいやだ、だから平和になろう、非常に短絡的ですが平和に向かって努力するのはいいことだと思います。しかし、平和は成し得ない、というのを前の発言でしました。というのを、分かって頂けたら幸いです。(文章が稚拙なのでわかりにくく、申し訳ありません。ご質問があれば責任を持ってお答えします)
- shiro
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意見のまったく同じな人間はなく、そこから争いが起こるは当然の事です。 どこの主義が良いというものはないでしょう。 時に争う勇気がないってのも愛するものでさえ守れない結果になるだろうし。。 戦争のない世界って無感情集団や無気力集団になってしまうでしょうね。 しかし、一番大事な事は一人一人平和に向かって努力する事だと思います。
- Snufkin
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まず、何をもって平和と思うかです。 今の世界は要するになわばり争いがひとまず終わった世界であると思います。 人間が戦うことはそんなにおかしいことではなく、元々生き物は昔から、優秀な自分の遺伝子を残すために争ってきました。 そこで人間だけが民族や宗教の単位でそれをおこなうようになったのだと思います。 人間は知恵を持ったときから人の意見をよく聞く生き物になり、現代ではほとんど自分の意見を持たなくなってきました。 ゆえに昔なら一対一ですんでいた喧嘩が同じ考えをもつ集団対集団となり次第に国家対国家となりました。 だから人間の考えが画一化できない限り、どこの国の主義にしたって平和にはならないでしょう。 原爆は一発で勝負を決める武器ですが、それがあるからほかのなわばりには手を出せない。ただ使う方も使えない。 今の人間のレベルを考えるとあった方がいいのかなと思ってしまうほど人間のレベルは低いのだと思う。 無かったらほんとに紛争が増えそうだし。 人間は種として、知恵を持ったときからバランスを崩してしまったのかもしれない。知識だけ豊富な子供って所だと思います。
- gum
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現在の世界情勢は、国家の終焉記期と、民族・宗教のアイデンティティーの幼年期の境目なんじゃないでしょうか?冷戦は誰が味方で誰が敵か、そう云うような国家としての拘束が重要視されましたが、冷戦の終わりで国家の含む無理が随分と表に出てきました。(民族自決の原則に沿って、国家単位より民族単位が重要視されるようになった。)更に、現在先進諸国と呼ばれている国々に追いつこうとして、後進国(言い方悪いかも・・・)が生活レベルを向上させ、高度な政治活動をするようになってきました。南北問題のように、世界は少数の国によって今まで支配されてきました。要は、世界は誰かが貧困に悩み飢餓に飢えて、誰かがそれを支配する事が先進国の平和だったんです。私達はタダ、その支配側にいるだけなんです。国連などの呼びかけで後進国の発展、民族自決が進んでくると、先進国だけの支配は難しくなり、スーパーパワーなどに代表される「力」の政治は限界に来ました。(それでも軍事力にこだわるバカな国がありますが・・・)これからは、尊重と融和の必要な時期であり、人間で言うなら受験とか転職とか、とにかくまだある人生(時間)の中での選択期なんじゃないでしょうか?間違った選択をすれば自殺するし、正しい選択をすれば平凡に成長して行くし・・・。人間は生物の中で唯一、退化している(順応ではなくて)動物ですが、今後の政治的な進化は現在の軍事的・民族的・宗教的問題の解決方法によると思います。まだ国際政治が成熟するには何百年も必要ですが、失敗すると数年で人間は終わりでしょう。既にその問題の時代が来ています。今が平和だとか言ってるのは、現実を無視した言い方であり、理不尽な殺戮は民族・宗教的理由や大国の軍事介入によって起こっています。パワーポリテクスの概念を取り払い、民族同志の尊重を引き出して共存を求めない限り、世界が成熟期を迎える事はないでしょう。みんな戦争なんか好きじゃないですよ。互いの不信と恐れで生み出した核などの武力で殺されるのが人間の運命なのかも知れませんが、僕は平和を考えていく者として、みんなが平和が欲しくて戦ってると思います。間違った方法ですが、みんな平和を求めているんですよ。もちろん、軍事的な緊張がなくなっても貧困があれば平和とは言えません。
- 参考URL:
- 平和学を学ぶ者として
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