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音楽の評価
大学生です。様々なジャンルの音楽に対してですが、どこがどのようにいいとかがうまく言葉にして評価できません。友達や先輩などそういうことが結構できるみたいなのですが、自分と彼らと何が違うのでしょうか。乱文で申し訳ないのですが、回答お願いします・・・。
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>大学生です。様々なジャンルの音楽に対してですが、どこがどのようにいいとかがうまく言葉にして評価できません。 そうですね。なかなか言葉にするのは難しいですよね。 皆適当に言葉を並べているだけだと思いますよ。 たとえば、「ツアラトストラはかく語りき」のどこがいいか・・なんて考えてみても ”内臓を揺さぶる重低音。感動的で衝撃的な管楽器の叫び。諌めるような荘厳なティンパニの鼓動。” とにかく、比喩と専門用語の語彙がないと語れません。 それともちろん、楽曲を記憶することも大事です。 平原綾香の歌にしてみても 「雄大な広がりと果てしない空間を感じさせる歌声」とか適当にいいますけど 想像力が大切ですよね。 というか、自分の感覚との共鳴を大事にしたらいいのです。 音楽はまず「評価」以前に「嗜好」があると思います。 演奏の上手い、下手でいったら皆上手いです。 それぞれが、固有の価値を表現していますから、ひとつのモノサシでは「評価」 できません。 ロックギターのすすり泣くブルースのフレーズと マイルス・ディビスのカインド・オブ・ブルーのクールなアンサンブルと 久石譲のオーケストラの演奏と ジュリー・ロンドンの歌うエンドオブザワールドと では、全く別の世界の表現なわけです。 >どこがどのようにいいとかがうまく言葉にして 表現しなくていいのですよ。 語るやつは所詮どこかで仕入れた薀蓄を語っているにすぎません。 1000枚聴いても、そのジャンルの評論が書けるとは私には思えません。 せいぜいが、評論家やライナーズノートの受け売りでしょう。 ですから、即席で音楽評論がしたかったら、評論家の本をじっくり 読めば、それなりの「通」にはなれますけど 「ほら、お前この ジミ・ヘンのすすり泣くギターのフレーズ いいよなぁ。クラプトンもテクでは凄いが、ブルースの心を知り尽くした って感じだよな。」とか 「とにかく、JAZZトランペットといえば、クリフォード・ブラウンだとかマイルス・ディビス に留めを指すけど、このウィントン・マルサリス聴いてみてよ。 とにかく、彼の中には、過去の天才のテクニックはもとより、表現の多様性も いっぱいつまっている。ブラウニーの明るさ、マイルスのテクニックすべてを 自分のモノとして再構成している天才なのさ。 いにかく、20世紀末のJAZZシーンって、先祖がえりの集大成という感じさ。 トランペットだけじゃない。テナーサックスのマイケル・ブレッカーね。 あれなんて、まさにコルトレーンとスタン・ゲッツとデクスター・ゴードンと ソニー・ロリンズのいいとこどりだもんな。」 >友達や先輩などそういうことが結構できるみたいなのですが、自分と彼らと >何が違うのでしょうか。 聴いてる枚数でしょう。それと、自分の好きなものを確実に聴き込む度合い。 ソムリエに聞いた話ですが、ワインがわかるには、とにかく自分が好きなワイン をいつも飲んでいることが大事なんだそうです。 そこを基準にして、どの位置に位置づけられるか、計るように味わうのだそうです。 音楽も自分の原点となるものを持てば、意外と早く語れるようになります。 要は絶対的な評価でなく,相対的な印象なのです。
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- Yorkminster
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言葉は無粋、といいます。本当に良いものに言葉で水を差す必要はありませんし、悪いものに御託を並べても言い訳にしか過ぎません。美術品や写真を、あるいは風景を目にして何の解説もなしに感動が得られるように、音楽も、目に、耳にして感動できれば、それ以上に何かを言う必要はないでしょう。 思うに、「誰それのなんとかという曲が(演奏が)良いよ」という人には、CDを貸してもらうのが良いでしょう。あるいは、生演奏であれば、その人に連れて行ってもらいます。それで自分も良いと思えれば、それで十分でしょう。 あるいは、良いという人に、どんなふうに良いのか、声で歌ってもらうというのもアリです。自分が聴いた音楽を、自分の演奏で他人に伝達する。途中に言葉への「翻訳」を通さないので、より伝わりやすいはずです。上手く歌えないのに、語らせればいくらでも詩的な表現が出てくる人は、音楽なんかやってるよりエッセイストにでも転向した方が正解だと思います。もちろん、言葉でも歌でも表現できるなら、それは素晴らしいことです。 自分の身体を使って音楽表現ができない人は、楽器を持たせても上手くないという場合がほとんどです。手をパンッと叩くだけでも、良い音で鳴らそうとする人は、音楽的なセンスがあると思います。 私も楽器吹きの端くれの端くれですが、人に「こう演奏してほしい」と伝えるときは、言葉より実際に歌ってみせるのがクセになっています。言葉だけでは伝わりきらないような気がして、つい歌ってしまうという感じです。 どうも上手く書けないのですが、要するに、音楽のすべてを言葉で語る必要はないということです。どんなふうにカッコイイのか、歌って聴かせることができれば、その方がより音楽的です。
- 918BG
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質問者さんの人柄や能力、性格等を一切存じ上げませんので、あくまで一般論としての回答になる事をご了承下さい。 音楽の美しさや特徴などを言葉で言い表わす時に必要なのは、音楽に対する豊富な知識や鋭い感受性でしょうか、それとも表現力や語彙の豊かさでしょうか? もちろん、どちらが欠けてもだめなわけですが、あえてどちらがより重要かと問えば、圧倒的に後者でしょう。 いささか乱暴な例えになってしまうかもしれませんが、英語を日本語に翻訳しようとする時に、英語はペラペラだけれども日本語のボキャブラリが乏しい人と、英語はあまり得意ではなくて逐一辞書を引かなければならないけれども日本語の表現力が豊かな人とでは、どちらが良い翻訳をものすることが出来るかを考えてみて下さい。おそらく、ニュースや論文など事実関係を正しく記述するものは英語力のある人が良い仕事をするでしょう。一方、小説やエッセイ、戯曲など人間の心の琴線に触れるようなものは日本語の表現力が豊かな人の方が良い仕事をするはずです。 頭ではわかっているんだけれど、それが上手く言葉にして表現できないという事ってありますよね。巧みにできている人を見ると、すごいと思うし羨ましいと思うこともあります。俗に「引き出しが多い」と言ったりしますが、こうした能力を獲得するには、新聞・雑誌・小説・随筆・詩集などを多く読んで自分の表現の引き出しを豊かにすると良いと思います。なかなか一朝一夕には結果は出にくいでしょうが、徐々に身に付いていくものだと思います。