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メル友についてどう考えますか?
今、大学の4年生で「ことば」とその環境について卒業研究を進めています。そこで、メールやメル友についての疑問にぶつかりました。私自身、メールもしているし、メル友もいます。しかし、顔の見えないコミュニケーションについて、どのように捉えたらいいか、自分自身での答えをまだ見つけられずにいます。そこで、色々な意見を聞きたいと思いました。 皆さんはどのように考えますか?又は、良い文献等を知っている方がいらっしゃったら、お返事下さい。もうすぐ締切で、困っています!よろしくお願いします。
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- QuickC
- ベストアンサー率29% (13/44)
再びQuickCです。 >全く、知らない人とメールを交わす行為、メル友に対して、悩みをぶつける人々、どう考えますか? ごく普通だと思います。 全く知らない人とメールを交わしても、 実際の生活にはほとんど影響はでませんよね? メル友に悩みを公開しても、 それを元に実生活が脅かされることはほとんどありません。 (※あくまでも「ほとんど」ですが。) これは「メールによるコミュニケーション」というものが、 匿名性の高い、安全なコミュニケーションであるからこそ、 だと思います。 ご参考まで。
補足見ました。 まず世界単位の話ですが、これは「結果的に」世界単位であるというだけで、個人を基準として相対的に見れば、インターネットとて結局は「個人対個人」であると考えています。ですから、文通だって外国の人とやれば世界単位になるわけです。 その考えで言うと、「気軽に」という条件を除外すれば、インターネットは決して特殊なものではないことになります。 けっきょくは、人間対人間の付き合いなわけで、これが人間対ロボットになるわけではないのですから。 もしかしたら、インターネットが一般社会に入ってきたことよりも、倫理観が変化したことによる問題なのかもしれません。 次に「ある程度があるからこそ」の話ですが、これはまったくもってその通りで、ある程度以上親しくなってしまったら、たとえばここのOkWebの「性」のコーナーなど、とてもとても書き込みなどできなくなってしまいます(笑) それはもちろん日常生活でも同じで、たとえば合コンで知り合ったはいいが、友達づきあいと呼べるほど親しいわけじゃなく、いつでも縁を切れるという関係。OkWeb上での付き合いは、あれと似たようなものと考えられるのではないでしょうか。 で、この「ある程度」に注目しているかどうか、ということですが、これは特に注目していません。 知り合いづきあいが長くなれば自然と親しくなるし、「ある程度」の知り合いが気軽にたくさん作れると言っても、そこには「知り合いの作り方」に関するノウハウも必要です。 しかし、気軽に作るだけの技術さえあれば(この「技術」はインターネットがなかった頃に比べて絶大に簡単になりました)、インターネットはとても便利です。 事実、ここOkWebでも、このHPがあったがために50万円という莫大なお金を損せずにすんだかもしれない、という方が実在します。 その意味では「ある程度の関係」が簡単に持てるインターネットはすばらしいとは思っています。
- mild
- ベストアンサー率47% (20/42)
補足致します。文字や文を黙読してる時も頭の中で「音読」してる自分がいます。言葉のイントネーションで、意味合いが変わる事があります。たとえば「がんばって!」ですが、強い口調で「しっかりやりなさい」の感じにとる人がいる一方で、にこやかにサポートしてくれていると感じる人もいます。イラストやアニメーションと違って、「文」は「音(おん)」が深く作用していると感じたことがあったのです。メールでは「顔文字」がサポート役をしていると思います。 補足になりましたでしょうか。はじめの問いの回答に遠いようで申し訳ございません。
顔の見えないコミュニケーションと言えど、それは世界中にある「コミュニケーション」の形態の中の1つと俺は捉えます。 つまり、メールやメル友、すなわち「インターネット」だけに疑問を持つのは意味がないと考えるわけです。 割と中年層の人々の間には、インターネットは不特定多数だから駄目だと言う人がいます。 実際、俺はnemicoさんとは会ったことがないし、よほどの天変地異でも起こらない限り実際に顔を合わせることもないでしょう。 でも、たとえば、OkWebで何度か質疑応答を繰り返せば、会ったことはないけどそれでも「知り合い」になることはできますし、ある程度の(本当にある程度の、ですが)信頼関係も生まれえます。 それに、インターネット否定派のいう「ある程度の関係で終わってしまう」という意見はまったくの杞憂で、親しくなったら自然に「会おうか」といった相談もすることになります。 ですから俺は、「世界単位」での公民館の寄り合い的なものとして捕らえればいいのではないかと思います。 もちろんそこには利点/欠点ありますが、それは他のコミュニケーション手段も同じ、というわけです。
- ikeyann
- ベストアンサー率18% (8/43)
人によって二通りに分かれると思います それは、人は、善と悪を演じられると言う事です ネット上では、なおさら個人の精神状態にきる所が大きいと思います。 個人的には、何でも相談出来る人を私は、望みますが
お礼
回答ありがとうございました。 善と悪、、そうですね。 私も、メル友に自分を偽って話し、その自分を演じることに快感を覚えていた時期がありました。そうやって、ストレスを発散していた部分があるので、それも又、一つの利点かなとも考えています。 「個人の精神状態にきるところが大きい」という点、もう少し説明して頂けませんか?もうちょっと詳しく知りたいです。 お時間と気力のある時に、又、返答頂けたら嬉しいです。
- mild
- ベストアンサー率47% (20/42)
手紙・はがき、電話、FAX、メール・・いろいろありますが、以前「手話」でコミュニケーションすることを学んだ時、私がいかに「音」に頼っているかが良くわかりました。 文字を「言葉」に置き換えて(つまり音にしています)認識している事実をあらためて知りました。 「音」から離れた視点で、メールというものを研究してみるのも、いいかもしれません。
お礼
回答ありがとうございました。 よく、人間は目からの情報量が圧倒的な領域を占めると言いますが、いざ、コミュニケーションとなると、「音」にのせた言語に頼り切っているなと気づきます。でも、実際は、どうなんでしょう?そう、勝手に信じているだけで、実は違うのかもしれないとも思いますが。 「音」から離れた視点でメールを捉えるとは、具体的にどのようなことでしょうか?私には、まだピンと来ないので、ヒントを頂けたらと思います。 私は、物事を捉えるのにまず、概念としての「ことば」、ここでは、まず、音にのせて発せられるもので捉えます。 mildさんは、まず、「文字化」された「言葉」で捉え、音にのせるという方法で、物事を伝えることが多いのでしょうか? 質問責めになってすみません。お時間のあるときにでも、又返答頂けたらと思います。
- QuickC
- ベストアンサー率29% (13/44)
QuickCの個人的な意見です。 [メールコミュニケーションの良い点] ・面と向かって話せないことも話し合える。 ・時間と距離にとらわれることがない。 [メールコミュニケーションの悪い点] ・微妙なニュアンスが伝わりにくい。 ・本心を偽ることが簡単。 こんなところでしょうか。 役に立たないかもしれませんが、ご参考まで。
お礼
早速のお返事ありがとうございました。 考えるところが私と似ていると思います。良い点、悪い点を捉えるのには、役に立ちました。 QuickCさんは「メル友」との関係についてはどう考えますか?全く、知らない人とメールを交わす行為、メル友に対して、悩みをぶつける人々、どう考えますか? もし、お時間があったら、又ヒント下さい。
お礼
回答ありがとうございました。 とても興味深い内容で、感謝しています。 世界的なコミュニケーションの一部という考え方、なるほどです。 私は、インターネット否定派でも肯定派でもありませんが、色々気になったことを聞いてもいいですか? コミュニケーションが世界単位になるということ自体、かなり特定されたコミュニケーションになるような気がしますが、deagleさんは、全てのコミュニケーションは世界単位であるとお考えなんでしょうか?その、一つの形態としてメールがあり、メル友との関係があるとお考えなんですか? もう一つ、「ある程度の関係で終わってしまう」ということ、その関係が、「ある程度」であるから、繋がっている関係というのもあると思います。「ある程度」距離があるからこその関係、言えること、っていうのもあるのではないかと私は考えます。 deagleさんは、インターネットでの関係は、「ある程度」で終わるものではないから、そのように言っている人達に違うのでは?と考えているのですか?それとも、その「ある程度」の距離感に注目しているのでしょうか? たくさん、質問をぶつけてすみません。 私は、聞きたいことはすぐに聞いてしまう方なので、この様な形になりましたが、もし面倒じゃなかったら、お返事下さい。deagleさんにこれからも私の良きアドバイザーになって頂けることを心から願っております!