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宗教・仏壇・お寺・信仰などについてご意見を聞かせてください。
こんにちは。20代後半の主婦。2児の母です。 2ヶ月ほど前から、主人の父と同居になり、仏壇に対する意識の相違により、なんとなくしっくり来ない気分を抱えております。 ●お家に、お仏壇は、必要ですか? ●必要だとお考えの方は、毎日お仏壇にどう接してお過しですか? 例えば、毎朝手を合わせて、ご飯を添えてなど、毎日は接することがない人でしたら、~の時に~しています。など、教えてください。 また、自分が死んだら、お仏壇に入り、ご遺族にどう接して欲しいですか? ~の時にだけ~して欲しいや、毎日~して欲しいなど、詳しくお気持ちをお答えいただけたらありがたいです。 ●お仏壇は必要としない方は、必要としないお考えや、自分が死んだ後は、お仏壇が無くてもかまわないというお気持ちやご意見をお聞かせください。 ●また、宗教に対する信仰の心理やご意見。経験して分かったことや困ったこと、様々な、ご意見もお聞かせください。 多くの方のご意見や、お考えが知りたいです。どうかお願いいたします。
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●お家に、お仏壇は、必要ですか? 不要 ●お仏壇は必要としない方は、必要としないお考えや、自分が死んだ後は、お仏壇が無くてもかまわないというお気持ちやご意見をお聞かせください。 生活上必要ない。 宗教は否定しないがあったところで邪魔になるだけである。 先祖に感謝している人ならまだしも、祖父母に恨みがある、嫌いだ。 とか言う場合は尚更です。 先祖が守ってくれるとかは、その人の気の持ちようです。 病は気からというような感じで。 同様に例えばお金も入ってくる人の所には自然に入ってきます。 運というか・・・ 家にも仏壇はありますが、私は拝んだことは一切ありません。 お盆も関係ありません。 ●また、宗教に対する信仰の心理やご意見。経験して分かったことや困ったこと、様々な、ご意見もお聞かせください。 宗教に関しては日本の場合、危ないという認識がありますよね。 オウムやその他宗教の犯罪はもちろん。 創価学会も大昔から入っている人はまだしも、若者が入る場合は社会に見捨てられた人。 暴走族、前科者とか、貧困とかだと言う気がします。 事実私の元にきた創価学会もそうでした。警察呼びました。 キリスト教などは神聖なイメージがあります。 ちなみに自分が死んだ場合、火葬して墓に入れられるより、海に流してくれるとか、 宇宙に放流して欲しいとか思ってます。
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- chupaku
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「仏壇」じゃなくてもいいんですよ。 線香を焚いて思い出してもらえれば。 その場所が仏壇という箱なんですよ。 仏壇が買えなければ箱でもいいし、無くても、台でもいい。宗派だって関係ないんじゃないかな。 何でも食べ物には困らないから、毎日ご飯をあげたりしなくてもいいでしょう。 それより思い出してあげるだけで十分です。 時々故人の好物をお供えしてあげるといいですよ。 それももう生きている時に食べていた状態にして。 たとえば果物なら切って楊枝をさして。という具合です。お酒なら器に注いであげたり。 お舅さんが自分が死んだらそうして欲しいから今からその様にしているんでしょう。 大事なのは生きている人からの気持ちなんです。 思い出してあげることです。 お舅さんをよく観察していて一緒にしてあげて下さい。 中に入っている人の事を聞いておくのもいいじゃないですか?
お礼
御礼が遅くなり、ごめんなさい。 ご意見、本当にありがとうございました。 chupakuさんのご意見、ごもっともだと思います。 宗教は関係がないというのは、本当にそうですね。 宗教にかかわらず、故人を思う気持ちがあれば、宗教にまつわる戦争もなくなるのに、どうしても自分が正しい(自分の信仰している宗教が全て正しい)という概念が宗教にはつきものの様に思えて、押し付けられるとちょっと引いてしまう気持ちは少なからずありますネ。 大切なのは、生前、良い思い出を沢山作れる間柄であったり、人柄であったりするんだと思います。やはり、気持ちは永遠だけど、物質的なこと(形)にこだわるのは、生に対する執着心であり、死に対する寂しさなのかな。 私は、子供たちに形を押し付けなくても、亡くなった後は、ふと空を見上げて懐かしく思い出してもらえる存在でありたいなぁ。と思います。
- kurukuru
- ベストアンサー率39% (148/372)
我が家に仏壇が来たのは、私が小学高学年か中学生位の時でした。 家のリフォームした後、置き場ができたからか、祖母が念願(?)の大層立派で大きな仏壇を購入して、リビングに置くことになりました。 母としては、せっかくリフォームして家が綺麗になったのに、場の雰囲気にそぐわない上、やたら場所をとる大きな仏壇に、しょっちゅう愚痴をこぼしてましたよ<気持ちはわかる。 でも数年後、2階にあった祖母の部屋を1階に移した時、仏壇も祖母の部屋に移したら、パッタリと愚痴もなくなりました。 目に付くから気になるんですよね。 その仏壇は父が幼少時に亡くなってた父の父(つまり私の祖父)のためのものだったんですけど、私は会ったことも思い出もない人なので、どちらかというとオザナリに対処してました。 が、数年前、20年以上同居した祖母が亡くなってから、認識が変わりました。 今でもお墓や仏壇、葬式に金かけるなんてバカバカしいという思いはありますが、亡くなった当人がそういうのを尊重する以上、こちらが無視するわけにもいかないのです。 心の中で思ってるから通じてるはず、と思いつつも、祖母が仏壇をやけに大事にしてたから、仏壇を無視すると祖母を無視してる気持ちになって、時々お茶入れたり、線香あげたりするようになりました。 祖母が死んだ時わかったんですよね。 「ああ、おばあちゃん、こんなに立派な仏壇を買ったのは、自分がこん中に入りたかったんだ。この仏壇で拝んでほしかったからなんだ」って。<もちろん、祖父に対する思いもあったと思うが。 祖母が家の中で線香をあげると、「線香の煙が臭い」って文句言ってた自分を今とっても後悔してます。 <線香の臭いが嫌いだったんです。 でも、今、仏壇から線香のカオリが漂うと祖母の存在を大事にしてる気持ちが感じられるようで、清清しい気持ちになります。 と、こんなえらそうなこと書いてますが、根が面倒臭がりなんで、仏壇の世話は我が家では思いついた時にする程度なんです(^_^;) <母が主立ってしてます。2、3週間毎位に花を変えたり、お茶いれたり。 私は、「こんな暑い日はおばあちゃんも喉がかわくだろうな~」なんて思ったりすると、お茶供えたりしてます。 我が家の場合、仏壇も墓参りも、信仰心からというより、昔からの伝統と慣習に従ってるだけ、という気がします。田舎出身なんで。 教義だって、あんま知りませんもの(^_^;)。 思いついたからってなかなか毎日仏壇の世話をできるもんじゃないんですよね(^_^;) お義父さんは、よっぽどお義母さんを愛されていたのでしょう。えらいです。 日本の仏教は、なんかもう宗教というより、金儲け主義がだいぶはいっちゃってると思います。(オソルオソル・・・) そこが、つけこまれてるようで悔しくて改革を求めたいところなんですが、まぁしょぅがないってかんじですかね。 余談ですが、私、江原啓之さんの番組が好きでよく見てるんです。 あれ見たら、「会ったこともない人だからって手を合わせるだけじゃだめだな。 ちゃんと、ご先祖様を敬わないと」と思い、祖父にも心の中で話し掛けるようになりました。仏壇の前でね。<ただのミーハ―ですね(^_^;) あ、知ってる人(祖母)は日常生活でもしょっちゅう思い出すから、仏壇が無くても気にかけることが常にできますが、思い出がない人(祖父)は、仏壇の前に座って気持ちを改めないと、日常の延長として気持ちがいかない、ということにも気づきました。 しょうもない個人的な話ばかりですいません。(^_^;)
お礼
ご回答いただき、ありがとうございます。 もしよろしければ、補足も読んでいただけたらありがたいです。 私の立場は、どちらかと言うと、kurukuruさんのお母様寄りですので、お仏壇に対する愚痴が、人事ではない気持ちでした(^.^) 宗教や仏壇のイメージが、どうしてもカルト的な信仰心で「○○を信じれば救われる」「○○しなければ幸せになれない」「○○してはならない罰が当たる」など…。人の弱みや、神経質な部分に付け込んで、団体的な活動に用いたり、強いては金儲けに使われていたりと…悪いイメージをあげたらキリがないのですが、 kurukuruさんのように、柔軟な考えで仏壇に接せられている方がいるということが分かり、私も、柔軟に受け入れそうな気分になりました。 <「ああ、おばあちゃん~拝んでほしかったからなんだ」> そうなんです。 補足にもありますように、私に対して、舅が、仏壇に感謝して欲しいという気持ちだと知ったとき、重たく感じたのは、気持ちの重荷を押し付けられたように感じたからなんです。 でも舅は、意地っ張りの寂しがり屋なので、素直な表現ができないんだなぁと思い、今は少しづつ仏壇の事も一生懸命拝む舅も、可愛らしく思えてきました。舅にとって、お仏壇は死(孤独)への不安が緩和される物だし、先立たれたお義母さんに会って、一緒になれる物という思いが強いので、私も、きっと、舅が亡くなったら、お仏壇の中で、二人一緒になれるきがします。そう思えば、素敵なロマンがありますね。 何が一番良くて、何が絶対ダメとかではなく、亡くなった人や、現在生きている舅や主人を思う気持ちで、自然に、お仏壇を受け入れてあげたい思うようになり、今日は、香りの良いお線香を買ってきて、そのお線香をあげていいかどうか舅に聞くと、舅も嬉しそうだったので、私も、嬉しくなりました。 今はまだ、どちらかと言うと、舅や主人のためといった気分ですが、良い匂いのお線香でアロマテラピー?な感じで、楽しくなりそうです。 私自身は、死んでしまったら、やっぱり実家の両親のように、供養というのには全くこだわりを持っていませんが、主人より先に私が死んでしまったら、やっぱりお仏壇に入れられてしまいますね(笑)う~ん。舅のようなロマンな気分になれないなぁ。 kurukuruさんのご回答で、優しい気持ちになれました。本当にありがとうございました
仏壇ですが、僕は持っています。でも、立派なものではなくて、小さいタイプのものです。 父親が亡くなった時に、購入したものです。 もともと、父親は「僧籍」を持っていて、その関係で仏壇を持つことになりましたけれど、 あまり、華美な仏壇は困りますね。 僕の家には、仏間もありますので、ある程度大きい仏壇を入れることは可能ですが お金がないので、こじんまりとした仏壇で間に合っています。 毎朝、ごはんとお茶は必ず上げていますよ。それで簡単に拝んでいます。 別に朝から、お経を読むと言うことではなく、神棚を拝んで、その下に仏壇を入れているのでそれを拝むと言うことです。 別に高価な仏壇を買ったとしても、残る家族が粗末にするのであれば、悲しいでしょう。 いろいろな宗派の葬式に行きますけれど、同じ仏教でもお経が違ったり様々です。 それについては、後ろの方に座って様子を見ると言うことです。 あと、某宗教団体の勧誘には、正直言って頭に来てます。 いくら、その勧誘している人が良くても、 他の人に対して押しつけるような行動を採るというのは、宗教ではなくて 単なる「カルト集団」です。 その集団に関係する政党が数を減らしてくれると、こちらとしては、すっきりとするのですが。 宗教とは、「来る人を拒まず、去る人を追わず」というのでなければいけないのです。 あのカルト集団は、その本質を全然わかっていないと言うことです。 あの集団に関しては、邪教としか見られないですね。
お礼
ご回答いただき、本当にありがとうございます。 御礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。 もしよければ、補足を読んでいただけたらありがたいのですが、宗教や仏壇というのを身近に感じることなく育ってきましたので、仏壇を拝むのも、某宗教団体も、一緒の様に感じてしまうほどでした。 皆様のご回答を読んでいくうちに、様々な見方、とらえ方があり、本当に勉強になりました。 今は、少しずつですが、仏壇を、優しい気持ちで受け入れられるようになってきました。 本当に、邪教としか思えないカルト集団が、結構あって、本質からズレた宗教の勧誘があったりするので、私の様に、仏壇を見ただけで、怪しいと思ったり、寄り付きにくいと感じる人が増えるんです。 本質を知りたい、私なりに納得して、舅を(仏壇を)受け入れたいと言う気持ちから、この質問をさせて頂いたのかも知れません。 宗教で戦争がおきるくらいなので、無宗教でいたいと考える私も存在しますが、柔軟に優しい気持ちで受け入れていきたいと思えるようになりました。 ご回答、本当にありがとうございました
- Alitalia55
- ベストアンサー率20% (16/77)
♯2です。 すみません。誤解してしまったようです。 お義父さまを、お二人の家に呼ばれたのですね。 そうだとすると、頭では分かっていても、どうも納得できないお気持ち 分かるような気がします。 >私は、主人のお母さんを思う気持ちはもちろんあります。ただ、仏壇を守っていくとか、その物質的な箱にたいしては、少々重たい気持ちが消えなくて・・・素直に感謝という気分にはなれないのが苦しいです。 そう感じるのはもっともだと思います。 仏壇の問題というより、お義父さまとの価値観の違いとその自分の価値観を押し付けようとすることに不満(違和感)を感じているのですね? 心中お察しいたします。 仏壇問題について私が思うこと 仏壇の効用(いい部分)は♯8で書いた通りです。 いまここで、mamachan55さんがすべきことは、今後も起こるであろうお義父さまとの仏壇に対する価値観の衝突を通じて、お義父さまが亡くなったあと仏壇をどうするかについてご主人とよく話し合っていくことではないでしょうか? 勘違いした上にまとまらないアドバイスで申し訳ありません。
お礼
いいえ!とんでもないです。私も上手にお伝えする文章がかけなくて、申し訳ありませんでした。 ご親切に、私たち家族間の事もご心配くださってのご解答に、本当にありがたく思いますし、今#8も読ませていただきましたが、全くもって、その通りです。 仏壇も、家のデザインの一部と思って、生活に組み込むというのは、現状の私に、もっとも必要なことですし、仰られている通り、家の一部と思えば、モダンな感じもしてきました。 生活習慣として、強制ではなく、自然に子供も私も受け入れていけるように、肩の力を抜いて柔軟になるのも大事ですね。 我が家に仏壇が来たことで、いままでアットホームな良い雰囲気作りをしてきただけに、同居⇒仏壇のためのリフォーム⇒仏壇のある生活と、変わってしまったことが、妙に私の気持ち的な部分で受け入れることができず、表面上で円滑にしようと思う葛藤になっておりました。 舅の気持ちの治まるように、今は付き合って生きたいと思いますが、主人とは、上手な表現をしていただきました食事の味付けや好みの違いを徐々になくしていくように、話し合い、長い年月をかけて、解決できたらと思います。 「~しなければ罰が当たる」とか、「~すべきである」という表現は私は好きになれないのですが、それ以外は、柔軟に対応できる範囲ですので、子供たちにも自然な方向で柔軟な考えを持てるように、微妙なラインを笑顔で保ちたいと思います。 私も、柔軟な考えになり、大人にならないといけない時がきたのかもしれません。 本当に、様々な観点でのご解答で、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。 また、お気づきの事など、是非ご遠慮なくご解答いただけたらありがたいです。 今は、色々なご意見などを、直に受け止めて聞きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。
- Alitalia55
- ベストアンサー率20% (16/77)
♯2です。 補足を拝見し、私なりに感じたことを書かせてもらいます。 あなたのご両親は理性的で合理的な現代社会にマッチした宗教観をお持ちなのだ思います。 亡くなった方を思う気持ちがあれば供養の仕方はどのようなものであっても 尊いものです。 お義父様はともかく、ご主人との考え方の違いに悩んでらっしゃるのだと思いますが 食習慣でよく問題となる結婚後の味付けの仕方の違いを解決していくように お互いが歩み寄ってお二人の供養の仕方を作っていくしかないでしょう。 仏壇に関しては、(同居されてご主人のご実家に入られたと解釈してますが) 仏壇も家の一部と考えられてはいかがでしょうか? ご実家の家のつくり間取り門構えなどに(不満はあっても)自分の思うようにしたいとまでは思われないでしょう。 りっぱな仏壇も家を構成する一要素として諦められませんか? 仏壇がある家というのはモダンではありませんが、教育的にもそれほど悪いものではないと思います。 宗教儀礼というのはとても形式的でつまらないものと言う見方もありますが 子供にとっては、亡き人を供養する気持ちを分かりやすく伝えてくれるものでもあります。 お義父さまが、妄信的な信者で、子供たちに必要以上の儀礼を強要するならば問題ですが 朝夕におばあちゃんを拝み、仏壇を含めた家を掃除することを教えたりすることは 悪いことではないと思います。 仏壇を厄介者扱いせず、それを利用した生活設計をされていってはいかがですか? お義父さまが亡くなられたら、仏壇は小さいものにするなり、必要なければ捨ててしまえばいいでしょう。 そのときまでに、あなたとご主人の間で供養に対する考え方が近づいていることを祈ってます。
- cherrymoon
- ベストアンサー率23% (739/3104)
20代独身、両親・妹と4人暮らしです。 敬虔な仏教徒ではないですが、仏壇は必要だと思っています。 とはいえ、本家に仏壇があるので当家には置いていませんが。 今まで育ててくれた両親が他界したとき、供養をしていくのは子供である自分たちの務めでもありますし、今まで自分たちの生活があるのも先祖のおかげだと思っているからです。 私たちには跡取りとなる男の兄弟が居ないので、両親は永代供養を頼むから必要ないと言いますが、妹が最後に出来る親孝行になるだろうからと、とりあえず妹は小さいながらも仏壇を購入することを決めているそうです。 今でも本家に行けば必ず2回(到着したときと帰宅する前)は手を合わせますし、盆・彼岸のときはお坊様をお招きしてお経を上げていただいてます。 勿論、仏様にあげる精進料理も母や伯母たちが用意しています。 本家を守る伯父が祖母を倣って仏様に毎朝炊き立てのご飯をあげているのを知っているので、私たちも仏壇を構えたときはあげます。 仏壇を置くのは宗教ではないと思います。 自分たちが生活していかれることを先祖に感謝し、その気持ちを表すものだと考えています。 非情な仕打ちを受けた人は恨み以外はないと思うので先祖に感謝しろなんて言いません。 でも、育ててくれた親、そのご先祖に感謝の気持ちがあるなら、仏壇を通して感謝の気持ちを伝え、これからも守っていってもらうことを願う対象物として見ていただきたいです。 お墓に行けば先祖供養は出来ますが、地理的な条件で無理な方こそ…と思います。 そういうところから感謝の心ってあると思うので。
お礼
ご回答いただき、本当にありがとうございます。 お礼が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。 もしよろしければ、補足も読んでいただければありがたいのですが、私自身が仏壇のある生活をしたことが無く、市営住宅やマンションで育ったため、核家族が多くて、仏壇が有るお家もあったのかもしれないですが、仏壇が存在感のあるお家が少なくて、地域や親戚に根付いた宗教ではなかったため、今ひとつなじめない感覚がありました。 皆様のご回答を読ませていただくうちに、いろいろな考えがあり、様々なとらえ方があることが分かり、本当に良い勉強になったと感じております。 ご回答いただき、本当にありがとうございました
- huyumi
- ベストアンサー率14% (108/746)
こんにちは。 かなり興味深いご質問ですね。 私の考えとしては、ですが 仏壇は家に必要か、については信仰に対しての重さにもよるのではないかと。 つまり、舅さまにとっては必要不可欠であり、ご質問者様には必要性を 深く感じない訳です。 ちなみに私は仏壇を所有しています。 信仰する上での「対象物」は必要だからです。 そしてほぼ毎朝お水は取り替えます。掃除もします。 炊きたてのご飯はお皿に盛ってお供えします。 そんな私ですが、自分が死んだら子孫には何もしてもらおうとは思いません。 戒名も位牌もお墓も要らないと。 その代わり、信仰は続けなさいと遺言するでしょう。 信仰の心理。そうですねぇ・・ 私は時折もしかして信仰を持たない人間(または薄い人)は信仰を持つ人間より 幸せなのではないかと考える時があります。 しかし、それは心の持ちようだそうです。 いかに生きるか、という点において信仰を持つ人間には真理に到達するのが 速いと感じています。 つまり、悩みは信仰の有無に限らずある事ですが、自身がまず何をすればよいのかが判りやすい。 ちなみに。私の持論は「完全なる無宗教の人間は皆無である」です。
お礼
ご回答本当にありがとうございます。 そうですね、必要性という点でも、必要としてこなかったことが当たり前になっていましたので、必要不可欠な雰囲気、仏壇が組み込まれた生活というのは、なんだか生活スタイルの方向性が変わってしまったように、感じてしまったのかもしれません。 宗教にかかわらず、哲学的なことでも、いかに生きるか、これは永遠のテーマですよね。 ご回答本当にありがとうございました。
- hoshimineko
- ベストアンサー率13% (132/996)
●お家に、お仏壇は、必要ですか? →不要です。 ●自分が死んだら、ご遺族にどう接して欲しいですか? →何もしなくて良いです。仏教を信仰していないので仏壇に入りたいとは思いません。葬式も仏教式でなくて良いし、戒名も要らないと思っています。理想は、葬式も何もしないで火葬にして散骨。時代と費用によっては海よりも宇宙に散骨して欲しいです。 ●お仏壇は必要としない →上記のように、仏教を信仰していないからです。ちなみに私は無神・無宗教・無党派です。 ●また、宗教に対する信仰の心理やご意見 →信仰はしないですが、「宗教を背景とした社会習慣や生活習慣」にはとても興味があります。 例えばキリスト教のある国では進化論を教えないとかありますが、どうしてそこまで宗教を絶対のものとしてそれに従った教育をするのか疑問です。 また最も興味があるのはムスリムの生活ですが、地域によって違いがあるのが興味深いです。酒は飲むけど豚肉は絶対食べない、豚肉の入った鍋をつついた箸が入るのもダメ、という辺り、徹底しているなぁと感心したことがあります。
お礼
率直なご意見、本当にありがとうございます。 宇宙に散布素敵ですね!ロマンがありますね。 生きているあいだに宇宙旅行は実現しなくても、死んだら宇宙に散布してもらえるんだと思ったら、解き放たれた自由な気分になれそうで、いいですね! 宇宙で散布されたときの真っ白はお骨は、キラキラととても綺麗かもしれません。それに、周り巡って、生命体へと生まれ変わっていくかもしれないですね。 宇宙船でご遺族と一緒に行くことはできなくても、小さなロケット花火みたいな感じで、お骨だけつんで、宇宙で散布してくれるような小型ロケットが開発されるかもしれませんね。そして、散布の様子を小型カメラで中継してくれたり、神秘的だし未来的ですね。 「宗教を背景とした社会習慣や生活習慣」は、興味深いです。たまに、宗教は、(政治家)や(やくざ)と一緒といわれる方がいますが、確かに、密な関係があったりなど、興味深い論点です。 何らかの「~でなければならない」「~しなければならない」など神経質なしきたりを用いて団体心理を構築しているような風にも思われます。 ご解答をいただき、とても嬉しかったです。本当にありがとうございました
信仰について 「神は我が心にあり」「鰯の頭も信心から」です 仏壇・お墓について 祖先(故人)を供養するために必要と云われています しかし、故人の供養とは残された人の安心感・満足感であると思います 必要と考えれば設ければ良く、不要だと考えれば無くても良いと考えます 最近は少子化や核家族、遠距離居住(外国も)で墓守ができず無縁墓が増加しております その為、永代供養の納骨堂や散骨が注目されています 当家には墓(両親の)も仏壇もあり、年3回(春秋の彼岸とお盆)僧侶が来てお経を上げています 墓参りはお盆及び法要時(お寺で行います)のみです 仏壇にはお鉢とお茶(ご飯を炊いた時のみ)をお供えし灯明とお線香です(家内が) 小生は墓や仏壇は無くても良いと考えますが、周りの者がそれで安心・満足であれば、それで良いと思います 当家は内孫が女の子一人なので早晩無縁墓になります
お礼
信仰についてなどにもご意見のご解答を下さり、本当ありがとうございます。 「神は我が心にあり」というお言葉、同感いたします。 私も、仏壇お墓について、残された人の安心感・満足感であると思いますし、強いては、本当に失礼なことかもしれませんが、仏壇という物質的なこだわりとしきたりを代々に伝えたいと思う気持ちは、生への執着心であったり、自分が死んでも、誰かと通じていたい不安感や、弱さのように感じてしまいます。 物質的な象徴やしきたりなどが無くても、亡き人のことを思う気持ちや、沢山のいい思い出があれば、そばで見守ってくれている様に感じ、いつまでも永遠のように感じることと思います。 仰られている通り、仏壇があった方が気持ちが落ち着いたり、安心できるなら、それはそれで私もよいと思います。 どちらにしても、生きている内に、子供たちや、大切な人にとって、いい思い出として残るような生き方をしていきたいと思います。 率直なご意見やお考えを教えていただき、心より感謝いたします。ありがとうございました
- Alitalia55
- ベストアンサー率20% (16/77)
>お家に、お仏壇は、必要ですか? 家に仏壇が必要かどうかと言えば「必要」ではないとおもいます。 ただ信仰は個人の自由なので個人として仏壇を必要としている人はいると思います。 夫婦を中心とした核家族の家庭では仏様(供養すべき故人)を持たない家庭は多いと思います。 その場合は必然的に仏壇はその家に存在しないでしょう。 逆に、親と同居した場合、仏壇があるケースは多いと思います。 核家族に育ち、仏壇に接する機会の少ないいまの若い人は、仏壇の存在意義を理解できないというのはしょうがないことだと思います。 しかし考えてみてください、この先子供たちが成長し、巣立っていき、あなた方ご夫婦が老後を向かえ、あなたの愛するご主人が先になくなったとき あなたはご主人の位牌をどうしますか? 「引き出しにでも入れておく」とおっしゃるのであれば、あなたにとって仏壇は永遠に必要ないものであるのでしょう。 でもやはり、ご主人の冥福を祈り、ご主人の思い出を偲びたいと考えると、大きさや形はともかく、位牌を仏壇に入れて、毎日ご主人に話しかけるのではないでしょうか? ご主人のお父様と同居なさっているということは、お義母さまは先立たれたのでしょうか? そうだとすると、仏壇にはご先祖様はともかく、あなたのご主人のお母様のご位牌が祭られていることと思います。 信仰の自由があるのだから、あなたが仏壇を必要と感じるかどうかはあなたの自由だと思います。 ただ、お義父さまやご主人が仏壇を大切にしているのならば、その気持ちを尊重しあなたご自身もお二人に倣ってみてはいかがでしょうか? 最後に、推測からの回答であり、失礼な想定をしてしまったことお詫びいたします。
お礼
ご丁寧なご解答を下さり、感謝いたします。 Alitalia55さんの仰られていること、本当に、様々な立場からの観点でのご解答で、頭の下がる思いです。 もしよろしければ、補足も読んでいただけたらありがたいです。 『お義父さまやご主人が仏壇を大切にしているのならば、その気持ちを尊重しあなたご自身もお二人に倣ってみてはいかがでしょうか?』本当に、全くその通りで、そうしたいと思う気持ち、同居前からも、仏壇などにかかわることでは、快く参加し、お手伝いして参りましたが、同居になって、毎日のかかわり方と、補足のように、なじめないという気持ちと、物質的に重たいという気分があり、複雑な心境でした。 率直なご意見をいただき、心より感謝いたします。 ありがとうございました。
補足
<<詳細>> 私は、仏壇のない家に育ちました。 私の両親は、親兄弟(私からいうと祖父母や叔父叔母)が亡くなった時には、葬儀やその後の事も、できるだけシンプルに簡易的な形で全てを済ませてきたように思います。 だからといって、亡き人を思う気持ちが無いわけではなく、時々、亡くなった親や兄弟の事を思い出し、様々な思い出話を私に聞かせてくれました。 それは、とても自然な雰囲気で、私も思い出話を聞くのが好きでした。 私の両親はまだ健在ですが、自分たちが亡くなってもその様に簡易的で十分だし、もちろんお仏壇も要らない。 時々楽しかったことなどを思い出して、私の子供たちに話してくれたら嬉しいというのが本人達の希望です。 一方で、私の主人は「お仏壇は家の宝」という考えで育っております。特に舅は毎朝手を合わせて、~して、と、仏壇が生活に組み込まれております。それを、私は否定する気持ちは全くありませんが、なじめないと言うのが正直な気持ちです。 主人のお母様が他界された時に、お父様(現在同居の舅)は、高額なお仏壇を購入しました。その後、主人と私が結婚し、舅とは別で暮らしておりました。 今回、同居に際して、お仏壇を置くために、リフォームしたり、お仏壇を移動するために思わぬ時間がかかったりと、そして、そのために私は子供を連れて外に行かないと行けない状況になり、正直に言って、お仏壇とはこんなに大変な物なのか。というのが私の感想です。 2階建ての一軒家に住んでおりますが、一階は、リビングと8畳の和室がつながっていて、同居前は、一階で広々と子供のお友達を呼んで遊んだりもできたのですが、同居になり、一階の和室を舅の部屋にしましたので、お仏壇も来て、なんだか立派なお仏壇の仰々しい雰囲気が漂って、今までのアットホームな家の雰囲気が一転したような感じで、私や子供たちのお友達も呼びにくい雰囲気になりました。 舅は、こんな立派なお仏壇が行く行くはお前たちの物になるんだし、リフォームなどの費用は自分が払ったのだから、感謝して欲しいという気持ちのようです。 私は、主人のお母さんを思う気持ちはもちろんあります。ただ、仏壇を守っていくとか、その物質的な箱にたいしては、少々重たい気持ちが消えなくて・・・素直に感謝という気分にはなれないのが苦しいです。 皆さんのご意見をどうか聞かせてください。
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お礼
率直なご意見ありがとうございます。 先祖が守ってくれるとかは、その人の気の持ちようです。私も同感です。亡き人でも、生きているけど遠く離れてしまった人でも、いとしく思う気持ちがあったり、懐かしむ気持ちがあったり、時々、ふと近くで見守ってくれているような気持ちになったりしますよね。 宗教が、生活の習慣となっている方で、自分の精神が落ち着くなど、仏壇や宗教を精神の場としている方にとっては、無くてはならないものかもしれませんが、無くても生活で来ている人に対して、宗教(信仰)や、仏壇などの象徴が無いことが、精神的(強いては金銭的にも)に貧しいとか、偏見の目で見たりする方もおられます。 宗教や信仰はその人自信の物であり、強要することではないと、私も思います。 前の方のお礼にも書かせていただきましたが、宇宙散布は素敵ですよね。未来的なニーズですし、是非、そういうことができるようになって欲しいです。私もそれまで生きていないと。と思いました。 率直なご意見を本当にありがとうございました