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お茶くみをジェンダー以外の視点で捉えることはできないでしょうか。
昔からよく言われることですが、職場内のお茶くみを女性がしていることがあります。これを「文化的恣意性の表れである」とするのが、いわゆる<ジェンダー>の視点でしょう。これを無くそうとするのが、<ジェンダーフリー>の実践でしょう。そういう視点や実践があることは分かっていますが、それ以外の見方はできないものでしょうか。例えばその場に女性社員がいないとき、お茶くみをするのは若い男性社員です。ここには年功序列制度(の残滓)がかいま見えます。そうなるとお茶くみをジェンダーだけでは切れない気もしてきます。
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こんにちは。 昔そのような議論をしてみた事があります。 「お茶酌み」を下働きとか、仕事が出来ない連中のやる事とか、従属する者のする事と捉えると、そういう考え方になるのではないかと思います。 ちょっと見方を変えて、疲れが見えて来た時に、お茶や茶菓子などを持っていって一息入れさせて、脳をリフレッシュさせ、更なる仕事の能率向上の為に、仕事のパターンや休憩時間を管理する仕事、と捉えたらどういう事になるでしょう。 もし、それぞれの人の疲れ度みたいな物を全部把握して、適切なタイミングでお茶を出して休憩させる事が出来たとしたら、生産性も上がるでしょうし、それ自体素晴しいテクニックですよね。 となると女性や新米がやるのが適切なのではなく、その職場の作業環境を管理してる人、つまり係長なり課長なりがやってこそふさわしいのではないでしょうか。 社長こそ全社員にお茶を持って回る位でなくてどうしましょう。(爆)
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- jakarta
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>無くそうとするのが、<ジェンダーフリー>の実践でしょう。 これは一部のジェンダーフリー思想であって、個人がその行動の選択において生物学的・社会的性の属性にとらわれない個人的自由を認められるべきというのがもともとのジェンダーフリーの発想だと思います。 >女性社員がいないとき、お茶くみをするのは若い男性社員 単純にお客様に顔を覚えてもらう機会になるととらえることはできないでしょうか。それならば新入りが率先してお茶を入れにいくということは合理的です。 もっとも立場に関係なく手が空いている人が気づいて入れにいくというのもアリと思います。
お礼
返信ありがとうございました。若い社員でも手が離せない仕事をしている場合もあるわけですから、「手が空いている人が気づいて入れにいく」のがベストな気もしないではありません。または、「自分の分は自分で入れる」でしょうね。
補足
<ジェンダーフリー>というタームの用い方についてはおいておきます。ブルジョワ的な考え方になりますが、「個人を見る必要がある」ということに関しては同感です。
- meru55
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例えば、その会社内における生産性、効率性の面から見たらいかがでしょう? 同じ時間働いて、会社に多くの利益を生み出す働きを出来る人が、 その時間をわざわざ裂いてお茶汲みをすると、 会社の利益から見ると非効率的に思えます。 それは男女関係なく。 ただこれを、誰でも認識しやすく判断しようとすると、 一般的には年功序列になってしまうのかも。 自分の見栄やプライドは捨て去り、 本当の能力主義を誰もが認識し、 利益追求という目的で一丸となれる会社であれば、 年上の社員も率先してお茶汲みする場合が起こりうると思います。 的外れだったらごめんなさい。
お礼
回答ありがとうございました。新しい視点の提示ですね。「全社員の中でもっともお茶くみをするのに能力がある社員がすればいい」と思われます。そこまで能力主義を徹底させればいい気がします。
お茶くみはより下位の者がすること、という認識でしょう。 女性の管理職や幹部は少なく、女性は必然的に男性よりも下位であることが多いですね。 お茶くみは女性、あるいはそれに準ずる下位の者の仕事、ということではないでしょうか。 余談ですが、個人的に興味があるのが、来客があったときに、女性社員が自分の上司だけしかいなかった場合、若い男性社員はお茶くみを自分がしようとするかどうか?、ということです。 そこにいる女性社員が、自分よりどの程度上位なら、男性社員は自分がお茶くみをしようとするのだろうかと思います。
お礼
回答ありがとうございました。「余談」の話ですが、若い男性社員は自分からお茶くみをするのではなく、上司に言われてしました。女性の上司に対しては、その上司に言われてからしました。主体的ではありませんね。
お礼
返信ありがとうございました。管理職がお茶くみをするというのには賛成です。部下のお茶の好みを知らない管理職には、管理能力がありません。そこまで管理されると、ちょっとウザイですが、嬉しくもあります。
補足
職場でのお茶くみは、家庭での家事にリンクしている気がします。家事労働は、サービス労働とシャドウ・ワークを兼ね備えたものです。この社会的経済的編制が、職場で表象したものを「お茶くみ」と呼べるのではないでしょうか。少なくともジェンダーの視点だけでは、捉えられない気がして、質問しました。