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旧ソのアフガン侵攻
旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した際、世界各国はどのような態度をとったか知りたいです。 ソ連にたいして軍事攻撃があったのかどうか等。
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冷戦中ですから、直接攻撃などできるはずもありません。 西側がやったことは大まかにいって3つ。 1 口で非難した 2 イヤガラセをした 3 ゲリラに援助して邪魔した 1は、非難決議とかそういうもので、まああんまり意味はありませんでした。 2は、輸出入や交流の制限が主で、ハイテク品の禁輸とかモスクワオリンピックのボイコットがあります。 とはいえやったのは実質的にアメリカとその属国である西ドイツ・日本だけであり、アメリカが最大の同盟国と宣うイギリスさえ気にせず参加しています。 3は、パキスタンを通じてアフガンゲリラに武器を与え、軍事顧問を派遣して訓練を施しました。 この時パキスタンでブットを倒して政権を奪ったムシャラフが援助先として選んだのが、かのタリバンや、マスードやヘクマチアルといった部族の頭目でした。 ちなみにこの時、アラブからの闇援助をゲリラに取り次いだ一大フィクサーがウサマ・ビンラディンです。 この時の活躍により彼はアフガンの恩人となり、子供にウサマと名付ける親が続出したと言われています。 かくして紛争は泥沼となったわけですが、一気に戦局を変えたのがかの有名なスティンガーミサイルです。 アメリカが新兵器地対空ミサイルをゲリラに渡して以来、ソ連の戦闘ヘリがガンガン墜とされはじめ、耐えきれなくなったソ連は撤退、数年の内紛の後カブールはヘクマチアル達が制圧します。 先日暗殺されたマスードは英雄となり、国防相になります。 ところがしばらくするとゲリラ同士の内紛が起きタリバンが首都を制圧、マスード達は下野します。 この時タリバンに逐われたゲリラ達が、生き残りを賭けてマスードの勇名の元に寄り集まったのが今の北部同盟です。 おっと、いつのまにかアフガンの歴史にまで脱線してしまいましたね。(^o^;) まあ、そういうことです。 冷静に考えると、実にえげつない悪魔の所行を繰り返しているのは明らかにアメリカなんですが、まあそのへんはバランス・オブ・パワーというやつですね。 そういうわけで、強者であるソ連側からアフガンに対する補償や謝罪なんぞは当然あるはずもありません。 ましてやロシアになって今度はアルメニア他で同じことを繰り返しているのですから、まあ当然といえます。
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- cse_ri
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以前に、同様の質問を回答していますので、参考URLを参照してください。 簡単にまとめますが、当時は冷戦たけなわでした。 アメリカの大統領がカーターで、ソ連の最高権力者はブレジネフだったと 思います。 カーターは今でいうことろの平和主義者のようなイメージがあり、一方の ブレジネフは超タカ派でした。アメリカも今でこそ世界の軍事超大国ですが、 当時はソ連の方が軍事的には優勢でした。ICBMなんかはソ連の方が はるかに多く持っていましたし。 当時は米ソが対立する冷戦時代でしたが、カーターはソ連との対決に消極的 でした。それを見越したブレジネフは隣国アフガニスタンに軍事侵攻して、 親ソ政権を樹立します。推測ですが、ゆくゆくは湾岸諸国に手を出して、 石油を押さえることで西側諸国を屈服させようと考えていたのではないで しょうか。 ここに至って、カーターはそれまでの容共的だった外交政策を転換し、 反政府活動を開始したイスラム教徒たち(ムジャヒディン)の支援を開始 します。パキスタンは当時米国の同盟国だったので(※)、主にパキスタン を通じてムジャヒディンを支援するようになりました。 (※)元々パキスタンは米国の同盟国だったが、インドに対抗して核実験をした 際に、制裁を受け関係が切れます。さらに軍事クーデターでムシャラフ現 大統領が政権を取った際にますます亀裂しますが、今回の騒動でイヤでも パキスタンを抱き込む必要にせまられ、現在は関係を修復しています。 しかし転機となったのは、カーター後のレーガン政権時代です。 レーガンは公然とソ連を「悪の帝国」と名指しし、対決姿勢を強めます。 そして、ソ連と直接戦っていたアフガンのムジャヒディンに対しても支援 を強化し、No.3の方も触れていますが最新兵器であるスティンガーミサイル の供与を開始します。 それまでゲリラ戦術で戦うムジャヒディン達に対して、ソ連のハインド攻撃へり は圧倒的な攻撃力を誇っていました。軽火器しか持たないムジャヒディン達 は攻撃へりに対して無力だったのですが、スティンガーという切り札を手に 入れることで、形勢は逆転します。 これが決定打でとなりました。以後の戦いでソ連軍は形勢を挽回できませんで した。その後、ゴルバチョフが最高権力者となり本国の政治情勢の変化もあっ て、とうとう撤退することとなります。 しかし、アメリカを始めとする西側諸国は、ソ連を撃退することでアフガニスタン に対する興味を失います。アフガニスタンへの興味を失い、安定化への努力を 何もしなかったことが、アメリカの最大の誤算であったように思います。 その後ムジャヒディン達は政権を執りますが、やがて内部抗争を始め、内戦の 中でタリバンが勢力を伸ばし、そのうちにウサマ・ビンラーディンとかアルカ イダといった連中がアフガンに住み着き、今の事態となっていくわけです。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 以前の質問と回答も参考になりました。
- KAMOCHA
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#3のKAMOCHAですが、ちょっと間違いがあったので訂正します。 ソ連の侵攻に対し、外国の援助を受けて抵抗したのは、ラバニ、ヘクマチアル、マスードらいわゆる「ムジャヒディン」であり、タリバンは撤退後ムジャヒディンが分裂して群雄割拠になってから出てきたオマルの一派です。 戦国時代となったアフガンで、タリバンはイスラム原理主義の援助を受けて颯爽と登場し、ムジャヒディン勢力を各個撃破してほぼ全土を制圧しました。 そこから先は前回文にあったように、残る英雄マスードに敗残兵が寄り集まって北部同盟ができました。 以上、訂正でした。
- DrStrangelove
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謝罪や補償はないはずです。 1988年にソ連軍はアフガンから撤退しましたが、ロシア人からすると負けて撤退というわけではありません。ロシア人の感覚では、「アフガンについては大目にみてやろう」的気分がおおいので、謝罪や補償など考えつきもしないでしょう。 (大国のエゴと言う気もしますが、日本だって朝鮮を侵略した割には最近まで表立った謝罪はしてなかった) だいたいロシア人は領土意識が強く(合衆国のアラスカ州はもともとロシア領で、アメリカにアラスカを売ったロシア皇帝は未だに極悪人扱い)、周辺国を侵略することを当然の権利と思っている節がある(これは中国も同じ)。 よく世界平和とかマスコミでは聞きますが、世界はまだ戦国時代のように「いくさ」で領土を拡げるのは当たり前と思っている国はたくさんいます。 その点は、世界の常識からかけ離れて議論を進める日本人の悪い癖です。 注)世界平和は必要です。でも、現実とかけ離れた机上の空論では、世界は耳を傾けません。
お礼
わかり易い回答有難うございました。
- DrStrangelove
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ソ連に軍事攻撃なんかないですよ。 アフガン侵攻の時、ソ連はまだ経済的に破綻してなく、共産主義国の盟主として、アメリカと冷戦を繰り広げていました。 ソ連に直接攻撃しようものなら、それこそ核戦争が始まって世界が破滅していたでしょう。 主にやったのは 1)アフガンゲリラの支援 アメリカは、アフガンゲリラに軍事物資を送ったり、軍事教練をする指導者(アメリカ軍人やCIA)を送り込んだりして、ソ連と戦うアフガンゲリラを支援していました。 そのアフガンゲリラの中にいたのが、今回のテロ事件の首謀者とされるビン・ラディン氏だったり、北部同盟の人達だったりするのです。 2)モスクワオリンピックのボイコット アフガン侵攻に抗議する意味で、1980年にモスクワで行われたオリンピックをボイコットしました。 そのときボイコットしたのは、主にアメリカ、西ドイツ、日本です。 こんなところです。
補足
さっそくの回答ありがとうございます。 では、この件に関して冷戦後とかにでものロシア政府等から謝罪や補償はなされていないのですか?
お礼
丁寧な回答有難うございます。 今のアフガンへの武力行使に疑問をもっていたのですが、これでますます それが強くなりました。