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親孝行 ~母の死を直前にしてできること~
27歳既婚子供なしの女性です。今年5月に急に母が倒れ、まず治る見込みのない病気であることが分かりました。 数回危篤状態を乗り越え最近はしばらく容態が安定していましたが、数日前よりまたあまり思わしくない状況になっています。 あと数十年は一緒に過ごせると思っていた母が急にこのような状態になり今、何をしてあげれるのか、どのような親孝行をするべきなのか非常に悩んでいます。 特に若くしてご両親を亡くされた方で「こんなことをしたよ」とか「こういうことをしておけばよかった」などありましたら是非アドバイス頂ければ幸いです。 どうぞ宜しくお願い致します。
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質問者が選んだベストアンサー
こんばんわ。20歳女性です。 母を7歳の頃に病気で亡くしております。 質問文を拝見して、当時の私の気持ちそのものだと思いました。 本当に、お辛いでしょうが残された時間を大切になさってください。 本当にかけがえの無い思い出を沢山くれたお母様に感謝を沢山してください。 私の母は、日に日に弱っていき、一時退院もどんどん減って行き、 最後の一時退院ではもう、救急車を呼ぶ程悪化し、そのまま危篤状態、他界…。 その救急車を呼んだ次の日、お見舞いに行きました。 といっても、もう親戚縁者みんな集まっていて、生前最後のお別れ、みたいな雰囲気でした。 その時、想像以上に弱った母を見て、私はショックで、悲しくて、 弱りきった母の手をにぎる事しか出来ませんでした。 ただ、「おかあさん…」と呼んで手をぎゅっと握ったら、危篤状態だった母が薄目を開けてこっちを向いてくれたのです。 なにかを言っているようでしたが、もう聞き取れる程の声量ではありませんでした…。 まわりの家族親戚達が驚いたのは今でもはっきり覚えています。 今思えばその時に「ありがとう」くらい言えばよかったかな、なんて思いますが、 yomomo123さんの思う方法が最善だと思います。 親孝行、私はお墓とお仏壇にしか出来ませんけど母の日にカーネーションを買うとか、 そういった事で自己満足ですが孝行しているつもりです。 書いてて悲しくなって涙で前が見えず、校正もしないで打っています… 全く参考にならなそうですが、こんな人間もいるんだ位に思ってください。
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- burigeido
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いつか別れが訪れるのは分かっていても、そのいつかが自分が思っているよりも早く来てしまう・・・お辛いですね。 私の経験上言える事は、 一緒に居てあげる事 だけです。 でも、残された時間が残り少ないと分かっているからこそ、それは出来ますよね。 私の場合は両親ではなく、大事な人を交通事故で失い、突然の別れでしたが、貴方とお母様にはまだ時間が残されていますよ。 子供は大人になって結婚して、何れ親元を離れてしまうものですが、人生の間で親と一緒に過ごす時間って意外と短いですよね。特に女性は結婚と同時に相手の家へ入る方も多いですから。 一緒に居ると先を考えてしまい貴方は辛いかも知れません。でもね、貴方の空いている時間に会えるだけお母様と会ってあげる事が一番の親孝行だと思いますよ。 貴方が側に居てくれる事で、きっとお母様も勇気付けられるでしょう。辛いと弱音を吐かれる事もあるかも知れません。でも聞いてくれる人が側に居るという事はそれだけでも勇気付けられる事です。 大変でしょうが、お母様に残された時間を一緒に居れるだけ居てあげて下さい。
お礼
ご親切なご回答本当にありがとうございました。 残された時間を大切に過ごしたいと思います。
- hamaiso49
- ベストアンサー率47% (8/17)
こんにちは。 私は、近しい親族は健在ですが私自身が病気であまり長くはありません。もって、後2~3年でしょう。 質問者様のお母様と同じで治る見込みは治療法が無いのでありません。 ですので、質問者様とは逆の立場になってしまいますが書き込みをさせていただきました。 私がいつも思っているのは、自分が病気であるために家族が悲しい顔をするのが一番辛いということです。 いままでも何度と無く、もう最後かもしれないという時を過ごしてきました。 そのたびに、最後は家族の笑顔を見ていたい、手を握っていて欲しい、頭をなでて欲しい、あきらめないで欲しい、そう思います。 痛みより何より、悲しい顔が辛いです。 笑うというより、笑顔が見たいと思ってしまいます。 ご自身も辛いかもしれませんが、何気ない、いつもの質問者様を最後まで見せてあげて欲しいです。
お礼
ご丁寧なご回答本当にありがとうございます。 母の前では常に笑顔でいれるよう、頑張ってみます。 hamaiso49さんもお体大切になさって下さい。
- OK37-16
- ベストアンサー率33% (36/108)
こんにちわ。 半年前のことですが、26歳(未婚)で母をガンで亡くしました。 それまでも短期の入院はありましたが、その時は2ヶ月近くに及ぶ入院。 その間にどんどん衰弱して、退院することなく亡くなりました。 3年の闘病生活でしたが、家族は正直辛いことから目を背けていたと思います。 母ひとりで闘っていて辛かっただろうな、と今は後悔しています。 まず病気について理解をして、快方に向かう努力を一緒にするべきだったと。 プラスに考えられるようにいつも励ますことしかしませんでしたが、 もっと一緒に苦しんであげればよかったな、とも思います。 幸いにも融通のきく仕事をしていたため、入院中は毎日顔を出し、 最後の1ヶ月は朝から面会終了まで病院で母のそばにいました。 家事もすべてやっていたので肉体的にも辛かったし、 弱っていく母の姿をみて精神的にもかなり辛かったですね。 1週間は簡易ベッドを病室にいれて寝泊まりしました。 それは通いで見舞ってたよりも遙かに辛い現実でした。 モルヒネの増量で呼吸が止まるかもしれないと告げられたり、 苦しいから殺してくれと母に言われたり・・・。 でも亡くなった後、母の姉や友人たちから「○○(私)がいてくれて 安らげたって言ってたよ」と聞かされて、良かったんだと思えました。 話もしてましたが、衰弱してからはほとんど眠っていて、体をさすったり タオルで拭いたり、ゴハンを口に入れたり、ただ手を握っていたり。 そんな事で良かったんだと思います。家族だから、ただそばにいるだけで。 きっと今一緒にいなかったら後悔します。あなたもお母様も。 他の事はこれからいくらだって取り返しがつきます。 お体壊さないように頑張ってくださいね。
お礼
ご体験談、本当にありがとうございます。 年齢が近いということで非常に励まされました。
- YAtsubaki
- ベストアンサー率50% (7/14)
こんにちは。 私は10代後半に父を、20代前半に祖母を亡くしました。質問者様もさぞおつらい状況であろうと思います。私の場合の経験談をさせていただきます。長文になりますがご容赦ください。 私の場合は、私達子供がまだ皆10代だったことから、心配をかけまいと、看病していた母が父の病状を私達に一切伏せていました。それで私も亡くなるほどひどい状況だとは思っておらず、たまに母とお見舞いに行く程度でした。もちろん父とはとても仲が良く、私も父が大好きでしたが、前述の通りひどい病だということを知らなかったのでそんなに頻繁にはお見舞いにも行かなかったのです。 父が亡くなったのは突然でした。前日までいつもどおりだった父が、夜のうちに急変して亡くなってしまったのです。前もって命に関わる病気だと知らされていない私には大変なショックでした。亡くなってから思うことはたくさんありますが、一番思うのは「あんなことも話したかった、こんなことについても一緒に話したかった」ということです。どこかに出かけたい、何かプレゼントしてあげたいなどもありますが、やはり「一緒にいて話をしたい」という思いが一番強いです。元々父とは共通の話題が多かったので、自分の教養が深まるにつれ、「もし生きていたらこれについても話したかった」と、何年たっても思います。 この経験から5年後、今度は祖母が余命半年と宣告されました。あらかじめ宣告されるのは家族としても非常につらかったのですが、やはり質問者様と同じように、残された時間に私は祖母に何をしてあげれるかを考えるようになりました。そして、父と満足にできなかった、「一緒にいる、話をする」ということをやろうとおもいました。時間が許す限り毎日お見舞いに行き、何か話をしたり、話ができなくなっても手を握ったり水を飲ませてあげたりそばにいてあげたり。祖母が会いたいと言った人にも会わせたりしました。 手当ての甲斐もなく祖母も他界しましたが、心の準備があったせいか、それとも一緒にすごした時が多かったせいか、父の時よりは落ち着いて祖母を見送ることができたと思います。 長くなりましたが、人それぞれだとは思いますが、私が思う、「こんなことをしたかった」というのはやはり「たくさん一緒にいる(お見舞い)・たくさん話をする」ということかなと思います。 質問者様もお見舞いなど大変とは思いますが、ご自分のお体にも充分お気をつけください。 なにか参考になりましたら幸いです。長文失礼しました。
お礼
ご丁寧なご体験談、本当にありがとうございます。 限られた時間ではありますが可能な限り母と一緒に過ごし、少しでも多くの思い出を作るよう頑張ってみよう、と勇気づけられました。
- nobuchi
- ベストアンサー率54% (475/875)
こんにちは。 過酷な現実にショックをおぼえている時期だと思いますが あまり思いつめないようにね。 私は2年前、享年62で父を亡くしてます。 いわゆる糖尿で、5年前位前から食事療法してたものの 日常生活には何ら支障の無い状態でした。 検査入院などは何度もしていたものの まあ、けっこう元気だったので私もあまり実家には顔を見せず・・。 そんな折、また検査入院したと知らせがあり 何度か見舞いには行ってたものの、ある日 急変してポックリ逝きました。 お医者さんからしても予想のつかない急変でした。 唯一、幸いだったのは偶然にも家族一同がそろって見舞いに来ていた時だった事。 最後を看取れたのが、本当に不幸中の幸いでした。 実は・・、明日より私も兄も旅行に出かける予定だったのです。 ちょうどお盆の時期、容態も問題ないと聞いていたので・・。 ーーーーーー 今となっては、「もっと実家に顔を出しとくんだったな・・」 「もっと頻繁に見舞いに行ってやればよかったな・・」 そんな事を考えてしまいます。 ですが、無理してまで「何かしておこう」ってのも違うような気がします。 その時まで、「普通」な日常を大切にすべきかもしれません。 むしろ、「悔いが残らないよう」って考えてたらあなたの神経の方が先にまいってしまいます。 とにかくも・・、一緒に居る時間を大切にしてあげるのが一番。 こんな言葉しかありませんが・・。
お礼
ご回答本当にありがとうございました。 幸い、仕事場と母の入院している病院は電車で1時間程なので可能な限り一緒の時間を過ごしたいと思います。
- ha2525
- ベストアンサー率27% (3/11)
お気持ち、お察しします。 私は、26歳の時に父を亡くしました。 余命いくばくも無いのは分かっていたのですが、 そんな現実を認めたくなくて無理に普通に 生活をし接するようにしていました。願掛けの ようなものだったのでしょうか。 しかし、今は後悔もあります。今のお気持ちの まま感情に素直に行動なさってはいかがでしょか。 ありのままの姿、行動が一番の親孝行になると 思います。他の方がおっしゃっているように、 出来る限り時間を共有するのももちろん素晴らしい ことだと思います。 大して参考にもならなくてすみません。平凡な 回答の一つでも、少しばかりの励ましになれば・・・ と思い投稿させていただきました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 26歳でのご体験談、ということで非常に励まされました。私も頑張って残された時間を大切に過ごそうと思います。
- h-snsy
- ベストアンサー率21% (13/61)
私は30代女性ですが20代の頃に父を亡くしました。 肺ガンで気付いた時はもう末期で余命3ヶ月と言われました。 父は仕事人間であまり会話をした事がなかったのでいざ、話すとなると何を話していいのか分かりませんでした。 今、思えば、もっと父の傍にいれば良かった、話をすれば良かったととても後悔しています。 もし、お母様が調子の良い時があるならば、近くで良いので外に連れ出してみては・・? 私の父の時はちょうど桜の時期で花見をしたのですが「来年の桜は見れるかな」と呟いた父の言葉が忘れられません。 私の個人的な考えですが、とにかくお母様の傍にいて話をするだけでもお母様の気持ちも安らぐのではないでしょうか。 質問者様も看護疲れされない様、お体に気を付けてくださいね。
お礼
ご回答、本当にありがとうございます。 アドバイス頂いたとおり何気ない会話の時間をこれからも大切にしていきたいと思います。
- chibi4731
- ベストアンサー率15% (232/1511)
こんばんは。 私自身、15の時に父親を亡くしました。 倒れてから一晩入院してそのままでした。 だから自分の父親が死ぬ前には、本当に何もして あげる事が出来なかったです。 二年前、だんなの父が胃がんで、余命三ヶ月と宣告された時は、 だんなに、「私が父を亡くした時は、何もしてあげられなかった。 だから、あなたはずっとそばにいて、後悔だけはしないよう」と 伝えました。だんなは、義父が亡くなる二日前から 病院に泊まり、ずっと義父のそばにいました。 お母様のそばにいてあげる事が出来るなら ずっとそばにいてあげて下さい。 だんな様に協力してもらえるのであれば、 家の事を任せて、ずっとそばにいてあげて下さい。
お礼
早速のご回答本当にありがとうございます。 支えてくれている主人に感謝しつつ、残された母との時間を一日一日大切に過ごしていきたいと思います。
- k470226
- ベストアンサー率40% (114/282)
質問を読ませて戴きました。 結論を先に書かせて戴きます。 何も出来なかったです。 後悔は沢山しています。 私がした事は触れあいを大事にしました。 会話も苦しそうで、目も見えないそうでした。 ずっと手を握ってました。 俺はここに居るよって・・・・・ 時間があれば一緒にいてあげて下さい・・・・・
お礼
ご回答、本当にありがとうございました。大切な人を失うときはみんな同じ気持ち(無力感)を抱くものなんだな、と少し肩の荷がおりた気がしています。残された時間を大切に過ごしたいと思います。
お礼
非常にお辛かったであろうご経験談、本当にありがとうございました。7歳という幼い年齢でこのような辛いご経験をされたというお話をお伺いでき、私ももっと頑張らねばと励まされました。